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21 深読みしすぎる平民兵士の、レヴ鳥に導かれた災難(中編)

 

 そうだった。オクタヴィア殿下にお会いするということは、側に護衛の騎士――『オンガルヌの使者』もいるってことなんだよ。


 ほどなくして殺気は消えた。無害だと判断されたのか。殺気を向けられたのは、俺が予定外の訪問者だったからか。


 オンガルヌの使者が、脇へずれた。使者が庇っていたのは、オクタヴィア殿下だ。


 ――これが、オクタヴィア殿下?


 殿下が着ている赤と黒のドレスのせいか。外見は変わらないはずなのに、対峙した者へ与える印象は、大分異なっていた。

 今朝聞いたばかりのレヴ鳥の羽根を使った扇の話が、俺の脳裏をよぎる。


 これで、『黒扇』を持てば、そりゃあ、完璧だろう。

 しかも、オクタヴィア殿下が従えるのは、『オンガルヌの使者』ときている。

 地獄の女神と、被る姿だ。

 なまじ両者とも見目麗しいからこそ、おっそろしい主従にしか見えない。


 あれだ。俺の中では決定だ。


 オクタヴィア殿下は、故意に、『オンガルヌの使者』を、護衛にしている。


 優しげな水色の瞳が、俺を品定めしているように思える。


 ……困った。身動きが取れない。殿下は怪しんでいる、よな? 『オンガルヌの使者』だって、殺気は消えたが、油断はできないぞ。まだあの殺意の余韻は肌に突き刺さっている。


 かといって――待てよ? アレクシス殿下からの言づてを預かっているという大義名分はあるとはいえ、俺は王女殿下の御前で、許しもないのに発言して良かったのか? 


 さらにまた発言していいものなのか?


 ――救世主は、女官長殿だった。おかげで、所属はないこととガイ・ペウツと名前を名乗ることができた。しかし、エスフィアの兵士であることの証明を求められてしまった。


「当然でしょう。鑑札は持っていますか?」


 女官長殿に問われる。

 鑑札? 鑑札か。そうだよな。鑑札を見せれば、解決だ。「はい!」と慌てて身体を探る。


「いつも……首から提げて……?」


 ここで、俺は早朝、兵舎で起こった悲劇を思い出した。階級なしの兵士は、基本、一部屋を二人で使用する。俺は早朝巡回に備え、余裕を持って部屋を出た。しかし、集合場所へ向かう途中で、鑑札を忘れたことに気づき、一度、兵舎の自室へ戻ったのだ。


 ……戻ったが、中へは入らなかった。


 兵舎の壁は、薄い。


 自室からは、明らかにイチャついているとしか思えない声が響いてきていた。

 同室の野郎。俺がいなくなった途端、恋人を部屋に呼んでいたのだ……!


 一応、俺に気を使った結果だろう。通常勤務の兵士は、まだ自由な時間帯だ。普通は寝ている。イチャつくこと自体も、問題はない。

 そして、そこへ踏み込む勇気は、俺にはなかった。だって、水音もしていたからな!

 俺は手ぶらのまま、黙って回れ右をした。


「ほ、本日は、兵舎に置き忘れたようでして……」


 ――クソ! 気まずくても、向こうは真っ最中でも、踏み込むべきだった……!


 エスフィアの兵士なのに、鑑札を不所持。怪しい。怪しいよな……。俺も自分を擁護できない。


 女官長殿は、鑑札を取ってくるように、と言い放った。それしかないか……? 兵舎へ戻っていたら、それだけ言づてを伝えるのが遅れるが……。


「――待ってちょうだい」


 俺が練習室へ着いてから、はじめてオクタヴィア殿下が口を開いた。そのまま殿下は、驚くべきことを告げた。俺を見掛けた、というのだ。だからエスフィアの兵士である、と。続けて、なんと『オンガルヌの使者』に話を振り、賛同を求めた!


 見掛けたことがあるはずよって……。いやいやいや、まさか。


 『オンガルヌの使者』が、俺を見た。眼光に貫かれたような錯覚を覚える。


 やがて、もたらされた使者の返答に、俺は冷や汗を垂れ流すこととなった。


 『オンガルヌの使者』は、俺を覚えていた。

 馬鹿な。戦場で、だと? 戦場で俺を見掛けたことがある?


 サザ神教の信兵たちが起こしたあの戦い。


 使者は、エスフィア側もサザ神教側も、無差別に殺しているように、見えた。だが、俺を覚えているということは、何らかの区別をして、殺していた? 


 俺は、『オンガルヌの使者』は、狂人なのだと、そう思っていた。殺人に快楽を覚えるクソみたいな輩だっている。だから、戦に参加する。対象が敵であれば、戦での殺しは、咎められるようなことじゃない。わざわざ捕まえていたら、兵士の大半が罪人になってしまうからだ。こういう奴らこそ、迷いがない分、戦では強い。

 そして、たがが外れたのが『オンガルヌの使者』だと。

 が、最初から最後まで、正気だったとしたら。


 俺が戦場で奴を見たとき、奴もまた俺を見、区別して、殺さずにいた、のか?

 だとしたら、何をもって区別していた?


 狂っているのではなく、目的があって、あの戦いに身を投じていた?

 何のために。

 自分の意思か? それとも、誰かの命令で。


「まあ……奇縁だこと」


 オクタヴィア殿下の、威圧感など一切ない、むしろ親しげとさえ言える、柔らかな声が、聞こえているんだが、うまく頭に入って来ない。


 俺が、あの戦いの生き残りだと、『オンガルヌの使者』は、思い出した。そしていま、オクタヴィア殿下も知ってしまった。

 これは……探りを入れられている?


 冷や汗が、止まらない。


 ――否定だ! 全否定だ!


 俺はただの雑魚だと殿下に理解してもらわなければ! 


 必死の訴えが聞いたのか、殿下は、あの戦いについてはそれ以上言及しなかった。

「マチルダ。彼が我がエスフィアの兵士だと納得してくれたかしら?」

 俺がエスフィアの兵士か否かの話に戻している。


 そうだった……。俺はアレクシス殿下からの言づてを伝えに来たんだったな……。


「――仕方ありません。ガイ・ペウツ。言づての内容を」


 女官長殿に、促される。

 しかし、これに俺は頷くことはできなかった。

 命じられたのは、オクタヴィア殿下にのみ、伝えることだ。これは譲れない。


 結果、オクタヴィア殿下の取りなしもあって、俺はとりあえず、身体検査を受けることになった。








「では、クリフォードにガイの身体検査を……」

 不敬であることも忘れ、俺は殿下の言葉を遮った。


「恐れ多いので!」


 『オンガルヌの使者』に身体検査をされるなんて、死ねと言われているようなものだ。俺の寿命が縮む。

 殿下は可愛らしく首を傾げた。


「あら、でも他に適当な者がいないでしょう?」

「にょ、女官長殿にお願いしたいと思います!」

「マチルダに? マチルダはどう? やってくれるかしら」

「私は構いませんが……。おかしな新兵ですね」


 女官長殿には不審な目で見られたが、『オンガルヌの使者』だけは勘弁願いたい。オクタヴィア殿下の護衛の騎士として、いかに違和感なくおさまっていようと、俺の中では、あの戦場での姿のほうが真実だ。好き好んで近づきたくはない。敵対ももってのほかだ。


 ――まさにレヴ鳥みたいな存在だよな。


 身体検査を受ける中、しかし、どうしても目がいってしまうのも、オクタヴィア殿下と、『オンガルヌの使者』だった。相乗効果ってやつか? 惹きつけられるものがある。


 オクタヴィア殿下が、台に置かれていた長剣を手に取った。使者に渡している。そういえば、使者は剣を装備していなかった。殿下の命令でか?


 殿下は、重そうにしながら、奴の剣に普通に触り、持っているが……。

『オンガルヌの使者』も、怒りも、不快感も見せず、受け取った?


 これは現実か?


『オンガルヌの使者』は、どんな理由があろうとも、自分の武器を他者に触らせない。そんな風に戦場では知れ渡っていた。実力者は、概して己の武器にこだわる。だからこそだ。真偽は定かではないが、信憑性はあった。それこそ、触る、というのとは厳密に違うが――斬られたりすることでしか、他者は武器には触れない、と。


 まだ、奴が自分から誰かに預け、預けられた人間が奴の剣に触ったのならわかる。

 オクタヴィア殿下は、台に置かれていた剣に、勝手に触ったよな? 本人の許可なく、持ったよな?

 護衛の騎士だから、我慢したのか? いや、それにしては――。


 ――今度は、『オンガルヌの使者』が、動いた。

 台には、置かれているものがもう一つあった。

 オクタヴィア殿下がいつも持っている黒い扇だ。

 レヴ鳥の羽根で作られていると、今朝知ったばかりの『黒扇』。


 お返しとばかりに、『黒扇』を平然と殿下に手渡している。

 これまた当然のように、オクタヴィア殿下が『黒扇』を受け取り、広げた。


 二人とも、『黒扇』への拒否感がまったくないのが伝わってくる。


 しかし、『オンガルヌの使者』が、レヴ鳥の羽根で作った扇をオクタヴィア殿下に渡す光景は、姿も様になりすぎていて……。


 地獄の女神とその忠実なる家臣かあれ?


「サーシャ。よそ見はよしなさい」

「マチルダ様。だって……」


 女官長殿の補佐をしていた若い侍女が、殿下とオンガルヌの使者を見て目をキラキラ輝かせ、ほうっとため息を吐いている。


 この目は……恋バナで話に花を咲かせていた村の娘たちと同じだ。憧れの恋人同士たちを間近にした、自分もあんな風に……という目。


 侍女! 違うだろう!

 あれはすさまじく異端かつ、恐ろしい光景なんだぞ。


「本当に、剣一本しか、所持していないようですね」

 足元を確認した女官長殿が立ち上がり、俺へ言った。

「申告通りであります」


 俺は身体検査に伴い、最初に、唯一装備していた支給品の長剣を女官長殿に差し出している。他の武器は、ない。金がある奴は、自費でもっと良い自分好みの長剣や、他に予備の武器を買ったりする。

 ……俺は金がないので、なけなしの資金は、武器ではなく、靴にあてた。ボロ靴をこだわりぬいたものへ新調したのだ。……レヴ鳥に糞を落とされたが。

 靴の、糞が付着していた辺りを注視する。

 

 災難……。今日中に、靴、洗うか。


「丸腰だと認めましょう」


 女官長殿が重々しく頷いた。







「ただし、わたくしがこのことを知るのは、父上の意に反する、というわけね」

 オクタヴィア殿下が呟き、『黒扇』に向かって顔をやや伏せた。


 俺は一息ついた。

 大任を、果たせたようだ。伝えるべきことを、伝えた。


 華麗な音楽が練習室には流れている。小声で話してはいるものの、念には念を入れ、殿下との会話が聞かれないようにだ。何の曲かは知らない。練習室に入ったとき、途中で止められたが、そのときもこの曲が流れていたな。

 ……そうか。『オンガルヌの使者』が、長剣を外していたのは、殿下とダンスをしていたからか。


 ……死の舞踏か?


 オクタヴィア殿下の様子を窺ってみる。新兵の、それも平民出身の兵士が、王女殿下と、こんな近い距離にいる。洗練された物腰と美を持つ王女だ。ドレスのせいで、雰囲気は異なっているとはいえ、優しげな印象もまた、消えてはいない。

 しかし――一筋縄ではいかないんだよな。背後には『オンガルヌの使者』がいる。


 身分の問題だけじゃない。気を抜いてはいけない。

 身構える。


 俺の役目自体は終了したが、次は何が来るか。


「新兵で、アレクの管轄下の兵士でもないのに、あなたは短期間でアレクの信を得たようね」

 だが、オクタヴィア殿下から、俺はお褒めの言葉を頂戴した。


 短期間で、信を……?


 俺自身が実力で、信を得たなら、良かったんだが……。

 違うんですよ、オクタヴィア殿下……。


 一気に、気が抜けた。

 これは、訂正しておかないとだろうな。

 言葉を振り絞って訂正したが、言っていて、空しさを感じてきた。


「自分は、染まっていないので……」


 男もいける口になった、ある熟練兵士から聞いた話によれば、軍隊における男同士の恋愛には、利点もある。戦時には結束が高まり、生還率もあがる。士気も下がりにくい。性欲の解消という点でも、女を買いに行かずして済む。


 しかし、だからといって染まるかというと話は別だ……。


 同室の奴が、恋人と真っ最中だったため、躊躇して鑑札を取りに戻れなかったこと。巡回中に目撃した濡れ場のことなどがすっと脳内を流れていった。


 諦観を込め、ありのままの事実を述べる。


 そして、我に返った。


 見ると、オクタヴィア殿下は、透き通った水色の瞳を大きく見開き、驚いた様子でぱちぱちと瞬きしている。


 可愛い……じゃなくて!


 ご不興を買ったか? 


「わたくしも覚えたわ。ガイ・ペウツ」


 ご気分は、害されていない……? むしろ、オクタヴィア殿下にも、名前を覚えていただけた?


「あ、有り難き……」


 何気ない口調で、殿下が言葉を続ける。


「そういえば、不思議なのだけれど、練習室に入ってきたとき、あなた、何故クリフォードを見て青ざめたのかしら」


「そりゃ、オ」


 心臓が、ドッドッドッと早鐘のように打つ。

 あっぶねー! 『オンガルヌの使者』が、なんて口走るところだった。


 ――誘導尋問。


「オ?」


 何の意図もありません、という顔をして、オクタヴィア殿下が催促してくる。

 俺は、『オンガルヌの使者』と、同じ戦場に立っていたことがある。

 ならば、オクタヴィア殿下は、当然、次の疑問を抱くはず。


 このガイ・ペウツという兵士は、どこまで知っているのか?


 ただ、何者かも知らず、戦場で見掛けただけなのか。

 それとも、己の護衛の騎士が、『オンガルヌの使者』だということを知っているのか。


 知っていたら……どうなる?

 俺がオクタヴィア殿下だったら、側近の秘密を知る雑魚はさくっと始末――。


 いや、知らない! 俺は知らないぞ。

 オクタヴィア殿下の護衛が、『オンガルヌの使者』だなんて、知らないぞ。


 落ち着け。

 殿下の質問は、あくまで、練習室に入ったとき、俺が何故青ざめたか、だ。

 正直に。正直に、答えよう。

 幸い、オクタヴィア殿下も、「オ」で始まる名前だ。俺の首はまだ繋がっている!


「――オ、オクタヴィア殿下。殺気です。自分は護衛の騎士殿からの殺気を感じ取ったんです。あのような登場でしたので、護衛の騎士殿が俺を疑うのも当然です」


『オンガルヌ』の単語を出していない以外、すべて俺の感じた真実だ。


 ……殿下の出方はどうだ?


「殺気を感じ取れるなんて、すごいのね。クリフォードといた戦場での経験が物を言うのかしら」


 俺への賞賛を混ぜつつ、話題が戦場へと戻った。やはりこれが本題か!

 咄嗟に「いえ!」と叫んでいた。


「自分は、何も知らないので、殿下が気にするようなことは何一つ……! 護衛の騎士殿との関わりも一切なく……!」


 しかし、言えば言うほど墓穴を掘っているように感じるのは何故だ。

 殿下に窘められてしまった。

 ついで、穏やかに、困ったように、俺へと言い含めた。


「わたくしはただ感想を口にしただけでしょう? 深い意味はないから、気にしなくていいのよ。聞き流してちょうだい」


 言葉通り……でいいのか? オクタヴィア殿下だぞ?

 余計なことを言うな。するなという婉曲的な牽制では?

 深い意味はない、という表現も意味深だ。意味は、あるんじゃないか?

 すべて反転させたら――。

 深い意味はある。気にしろ。……聞き流すな。


 『オンガルヌの使者』について、黙っていろ、ということか。

 そうすれば、とりあえずは見逃す。


「…………はい」


 たぶん、まだ俺の首は繋がっている。

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