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ステップを私の身体は忘れていなかった。音楽に合わせて、ちゃんと動く。クリフォードも――兄やアレクほどではないけど技量は並以上。伯爵家の養子になってから、付け焼き刃で習得したにしては、過ぎるほど。充分上手い。身体能力の賜? 安定感がある。
ただ、基本に完璧に忠実って感じではない。たまに我流が入る。……面倒なステップの時とか、音楽に合わせて適当に省略している。
競技じゃないんだし、踊り方の採点をされるわけじゃない。形になっていれば良いとはいえ、結構いい度胸。でも、おかげで私もがちがちに緊張していた気持ちがほぐれた。ミスをしないことを目指すより、ミスしても、立て直せばいいんだって方針で行こう。
楽しく踊れることが一番!
そして数分。
私は自信を深めていた。
うん。クリフォードの足を踏むことなく、大きなミスをすることもなく、順調。
踊れてる!
これなら本番も行けそう!
「…………」
「…………」
一安心した私は、今度は新たな問題に直面していた。
きちんと踊れるかに意識の比重がおかれていたときは、何とも思っていなかったんだけど。
クリフォードと、か、顔が近い。この接近具合も心臓に悪い。
しかも相手は、誰かと恋に落ち、とっくに護衛の騎士を辞めていてもおかしくなかった逸材。それほどの美形。
これで数分間も平気な顔で踊っていたとか!
ペアで踊っている以上、当然なんだけどね! アレクに感じていた安心感とは違う、この落ち着かなさ!
ダンスの間は、可能な限り、相手の顔を見ること。
そう学んではいるものの、見つめ合うことに堪えられず、私はさりげなく視線を逸らす――。
「殿下?」
も、クリフォードの美声が直撃。
不自然にずっと別方向ばかりを見ていたら、ダンスのマナーとしても変か……。視線をクリフォードの顔に戻す。
は、話! 雑談しよう! それによって気を紛らわす!
宮廷円舞曲、長いんだもん……。演奏時間、ゆうに十分。曲調で、だいたいこれで三分だな、とか、ここで難しいステップのパートが来る! 身構えなきゃ! なんてこともわかる。
本番だとパートナー交代もある。もちろん、一人と踊り続けたいときはその限りではない。
が、ここではクリフォードのみ。
しかもクリフォード、私から目を離さない。
一挙一動を見逃すまいとされているような錯覚。
私の顔に何かついてる? ついてないよね?
くっ……!
い、意識するからいけないんだよね。
経験上、護衛の騎士は、百パーセントの確率で、いずれ他の男のものとなるのよ、オクタヴィア……! クリフォードも、私に仕えると約束してはくれたけど、だからといって男とくっつかないわけじゃない。
異性として意識したり、ドキドキしてはいけない。護衛の騎士は、対象外。対象外……。恋をしたいからって、失恋確定濃厚な相手を好きになることほど、愚かなことはなし!
「予備の武器は短剣とのことだけれど、やはり、剣が得意なの?」
踊り出す直前まで武器当ての話をしていたし、ドキドキしないよう、武器トークを続行! 私は己の浮き立つ心を殺す!
クリフォードは瞬きした。目を伏せる。意外と考え込んでいるようだ。間近からの視線が外れて私はほっとした。味方だからいいけど、クリフォードに敵意でもって睨まれると寿命が縮むって言われたら、私信じる。
「ひととおりは、扱えますが……」
ほうほう。万能型と。
「得意なのは、剣でしょうか。扱っていて、一番馴染むのは槍ですね」
「槍……」
くるりと一回転した。動きに合わせてドレスが翻った。
また、クリフォードの腕の中へ戻る。
この後は、しばらくは曲調がゆっくりになって、踊っているほうも小休止期間。
「はい。突く、刺す、投げるが出来、剣と比べ、敵に近づかずして倒せるため、乱戦時にも役立ちます。振り回すのも有効ですね。ただ……普段の装備には向きませんので。殿下をお守りするのにも」
「まあ、そうね」
槍だと……背中に背負う? 剣よりも長いし、平時だと邪魔そうだなあ。
「しかし戦場では剣の他に、槍も装備しておきたいところです。私の場合は、ですが」
実体験がこもっていそうだけど、やっぱり戦場での体験があるのかな。そこでアルダートン伯爵の目に留まった。父上も、クリフォードの存在を知るところとなった?
考え込んでいると、ステップの関係で、身体が一段と近づいた。
「どうされました?」
吐息がかかるほどの距離。話し声もお互いにしか聞こえていない。青い瞳に、私の姿が映っている。ということは、私の瞳には、クリフォードが映っているのかな。
「あなたのことを考えていたのよ」
「私のことを?」
「父上……陛下があなたを気にする理由について。昨夜以前にも陛下と話したことがあるのでしょう?」
今度は、私がクリフォードの一挙一動を見逃すまいとするほうだった。だけど、クリフォードはとくに動揺することもなく、私の視線を受け止めた。
「陛下には、殿下の護衛に就任する際に、お声がけしていただきました。……殿下を、心配なさっていたようです」
「父上が、心配?」
「私のような者を護衛に選ばれたからではありませんか? 陛下は殿下を愛しておられますから」
たぶん、いま、私は疑うような目付きになっていると思う。
父上が、私を愛している……? 家族とはいえ、血は繋がっていない上に、普段もほとんど交流がない私たちの間に親子愛が? それはどうかなあ。
「気遣いはいらないわ、クリフォード」
かぶりを振った。嫌われてもいないし、好かれてもいない、のがせいぜいじゃないかな。娘として心配されたり、ましてや愛されているってのはないない。
「気遣い……ですか」
ちょっと目を見開いたクリフォードが、くっと笑う。おかしそうに喉を震わせた。
小休止期間が終わる。お互いの技量がないと、様にならないステップが続く宮廷舞踏曲の山場へ。
練習室のほぼ全面積を使えるから、移動も自由。ここは、うまく踊れていると楽しい。
二人でステップを踏みながら、くるくると回る。
「笑うところかしら?」
「申し訳ありません。気遣いなどと、あまりに私に縁遠い言葉を殿下がお使いになられたので……」
「自分にはふさわしくないというの?」
「少なくとも、私を知る人間なら、耳を疑う程度には」
クリフォードが薄く笑った。野生の獣の面を覗かせて。
「あなたを知る……。『従』だということを?」
「ええ。私を『従』だと知る、オンガルヌの住人となった者たちも。――殿下、『従』は『主』に嘘をつくことはありません」
釘を刺された。
「……ごめんなさい。わたくしが悪かったわ」
息を吐く。
気にしないようにする、とは決めたんだけど、父上とのやり取りや、毒だって聞いたことが影響してるみたい。クリフォードが『従』だと知っている生者は私一人だって、本人が言っていたのに、疑うような質問をしてしまった。
「『主』の自覚が足りなかったと思うわ。――ねえ、クリフォード。あなたは私がどんな『主』であることを望むのかしら」
『主』と『従』。
私とクリフォードを比較すると、『従』のほうが高スペック過ぎると思うんだよね! 私も理想の『主』に少しでも近づいて、クリフォードに愛想を尽かされないようにしないと。
「では、『主』として何か私にご命令下さいますか?」
命令?
私への要望はある? ていうつもりで訊いたのに、変化球が飛んできた。
私が反応を返せないでいると、クリフォードの瞳が陰った。
「『従』である私に、殿下は何もご命令下さらない?」
いつもの鋭い眼光とは違った眼差しに、うっかり私の乙女心が復活しそうになった。あ、危なかった……! すぐにぎゅっと心の手綱を引き締める。
「――『主』として、何か特別な命令が必要ということ?」
「いえ。ですが、『従』にとって『主』の望みを叶えることは喜びですので。可能であるならば」
そういうことかあ。でも、いきなり命令しろって言われてもなあ……。『主』っぽい命令……。
あ。こんなのでもいいのかな。
「もし――」
ぱっと頭に思い浮かんだことがあった。
「もし、わたくしが涙を流すようなことがあれば、周囲に知られないよう、隠してほしいわ」
何故なら、今後、悔し涙を流す場面がないとも……いや、ある気がする!
兄絡み。もしくは私の恋人探し方面で! ハンカチくわえてキィィィ!ってな感じの。
そしてそれを目にする可能性が最もあるのは、護衛の騎士として常についてくれているクリフォード! フォロー役に最適。もしもの時は、『従』として『主』のために隠蔽工作をお願いします!
私、一人で閉じこもって思う存分号泣したい派だから! ついでに、弱っているのは極力誰にも見られたくない派! だけど、涙腺が緩むのが、自室でだけとは限らないし。堪えようとしても堪えられないときってあるし。泣かないのが一番とはいえ、こればっかりはなあ。
「…………」
「クリフォード?」
ダンスの山場は、もう少しで終わり。片手を伸ばし合って一旦、離れる。手を引かれ、戻った私に、クリフォードが呟いた。
「殿下は、予想を裏切る方ですね」
私ほどわかりやすい人間はいないよ? 常に自分の心に正直に生きてるもんね。多少の腹芸は王女人生で会得したけど、基本、裏表のない人間を目指しています!
「あなたが『従』だから、わたくしが無理難題を押しつけるとでも?」
だとしたら心外だよクリフォード! 王女権力は使えるときは最大限使う……ものの、たまーにだから! 理由なく臣下いびりとかはしないよ!
「そうではなく――『主』が『従』に与えるにしては、随分可愛らしいご命令でしたので」
「『主』が『従』に与えるにしては?」
それを聞いて、ピンときた。
ご命令下さいますか、と言いつつ、これって、私がどんな命令を出すかの『主』チェックだったんじゃ? 瞳が陰った、あの眼差しも、私への巧妙な揺さぶり?
「――クリフォード。あなた、何故わたくしの命令を望んだの?」
「『主』と『従』の間では、『主』の『従』への命令こそが、互いを理解する最短の道ですから。私と殿下には必要かと。幾千の言葉よりも、命令一つのほうが重いのです」
ほらやっぱり! 『主』チェックだった!
「そう……。理解できて?」
内心では心臓をばくばくさせながら、平気な顔を私は装った。
「先ほども申し上げましたが、予想を裏切る『主』なのだと理解しました。ご命令もしかと」
命令自体は有効なんだよね? 『主』チェック一応クリア?
「約束してくれるの? わたくしが泣いているときは――」
クリフォードが苦笑した。
「約束など不要です。我が『主』。お隠しします。それが私へのご命令なのでしょう」
「命令よ」
私は頷いた。
でも、『主』として他に命令することがあるようなときは、気をつけよう。『従』にとって『主』からの命令は、私が想像していたより重いみたいだから。
それと――『従』は『主』に嘘をつかない、か。
これも新事実。
父上が私を愛しているっていうのも、クリフォードの私への気遣いではなくて、本心。その見立てが真実かどうかは別にしても、少なくとも、そう思ったってことは、根拠があるはずだよね。もしくはクリフォードの愛情に対する価値観が違っているとか?
尋ねようとした私は、クリフォードの視線が練習室の外――廊下へ向けられていることに気づいた。クリフォードが立ち止まった。つられて、私も足を止める。
でも、宮廷舞踏曲の演奏が終わったわけじゃない。まだ演奏中。
「殿下。私の後ろに」
クリフォードが私を背後に庇った。袖口に隠してあるといった短剣を、いつでも抜けるようにしている。
そして、練習室の扉が勢いよく開いた。
「失礼します!」
若い男の声だった。走ってきたのか、少し息が切れている。私の位置からは、クリフォードの背中しか見えないので、姿はわからない。
「アレクシス殿下より言づてを預かって参りました! こちらにオクタヴィア殿下がいらっしゃると聞き――ひぃっ? オ!」
ひぃっ? お?
悲鳴をあげる要素なんて練習室にはないと思うんだけど……。
クリフォードが短剣を抜くことなく、横にずれた。問題なし。安全ってことかな? ――それにしても、足音なんて一切聞こえなかったはずなのに。クリフォードは誰かが来るのを察知したから、念のため護衛として警戒したってことだよね。
私は、練習室への闖入者の姿を目にした。
その顔に、もちろん私は見覚えがな――くは、なかった。あれ? ある。
鍛錬場で、アレクの訓練相手を務め、その後は同僚と談笑していた兵士だった。
兵士はクリフォードを見て青ざめていた。




