158 王配エドガーの述懐(前編)
商家にも、得意分野がある。それにより客層も変わる。俺の生まれた家は、庶民を相手に商いをしていた。構えた店も、高位貴族が頻繁に足を運ぶような一角にはない。
だから、貴族も王族も、雲の上の存在だった。普段、関わり合いになるようなことはない。かろうじて、下級貴族の長男以下の子息が訪れることがあるぐらいだ。彼らはこちらの価値観も熟知しているため、特にもめ事を起こさない。あまり貴族らしくもなかった。
家族四人。両親と、妹と俺。両親が始め、俺たちも手伝うようになっていた商売は、うまくいっていた。妹は俺の贔屓目だとしてもなかなかの器量よしで、妹目当ての男客も多かった。
……幸せだったのだ。
少々、自国に変わったところがあろうと。
エスフィアでは――特に上流階級では――男同士の同性愛が珍しくない。なにせ、国王からしてそうだった。
美しいものを偏愛していて、容姿に優れた男を集めているとか、宝石に目がないとか、高価なものを扱う商人たちの間では、鴨になる上客として有名だという話は聞いていた。
同性愛に染まっているのは国王だけじゃない。貴族もだ。むしろ男同士の恋愛が主流なんじゃないか? が、俺たち平民の間では、なくはない、という程度だ。
昔からそうだったという。
そのせいで国が傾き、自分たちの生活が逼迫しているならともかく――国王を筆頭とした上流階級の性癖がどうあれ、国政は安定していた。
過去から現在までで、著しく国民の数が減ったわけでもない。浮き沈みはあれど平均すれば、豊かな生活を送れていると言えるだろう。
だから、俺はあまり関心がなかったのだ。初恋は普通に女の子だったし、子どもの頃から付き合いのある友人たちも男女で付き合い出した者のほうが圧倒的に多かった。
男の――同性で関係が成就した者もいたが、「へえ、そうなのか」と思った程度だ。それで元々あった付き合いが変わるわけでもない。
貴族も王族も、男と男の恋愛も、俺の狭い世界の中では、重要ではなかった。
――それが覆ったのは、ある日、やってきた一人の客のせいだった。
貴族がお忍びでやってきた。それも、上位の。
そんな格好でいながら、そいつは美丈夫だった。一目惚れした娘たちもいた。
だが、貴族だということは、妹も見抜いていたから、最初は――変わった客と、店の売り子。それが、妹とそいつの関係だった。
運命。二人のことを思うと、そんな陳腐な単語が浮かぶ。
だが、二人の仲は簡単には縮まらなかった。
貴族の男といえば、恋愛対象も男と決まっている。上位貴族なら、なおさらだ。俺自身、そう思い込んでいた。当然、妹も。
二人が近づくきっかけは、その誤解が解けたことだった。
そいつが異性愛者だということが発覚したのだ。
同性も異性も愛せる奴なのかと思えば、「男に友情以上の感情を抱いたことはない」と言い切っていた。真面目な顔をして言うものだから、おかしくて遠慮なく笑ってやった。
『笑うなエドガー。お前は男に恋愛感情を持ったことはあるのか?』
難しい顔をして、笑う俺に問いかけてきた。
『は? いや、ないけど……?』
『ならわかるだろう。こちらにその気があるならまだしも、断わったにも関わらず、恋愛対象ではない同性に言い寄られるのは迷惑だ』
『あんた格好良いからな。男のほうも諦めきれないんだろ。……こればっかりは、性別はあんまり関係ないんじゃないか? でも、そうか。異性愛者か……』
――こいつが貴族でも、大丈夫かもしれない。
妹とそいつは両想いだった。妹はしっかりしているが、変なところで抜けているから、妹の結婚相手は俺が見極めると決めていた。少しでも駄目なところがあればいびり倒すとも。
俺は二つ下の妹を可愛がっていたのだ。何が悪い。
商売のことばかりで、特別を作らなかった妹は、どんどんそいつと親しくなっていった。
だが、俺がそいつをいびり倒すことはなかった。仕方ないだろう。そいつにも駄目なところはあったが、妹はそいつといるときとても嬉しそうだったんだ。……俺といるときよりも。
邪魔なんかできるか。
二人が身分を越えて愛し合っているのは明らかだった。
そいつが、妹との結婚を考えるぐらい真剣だということも。
結婚式はいつになるか。俺は結婚祝いにどんな贈物をしようかと考えるようになっていた。
――あの日々を、幸せと言わずして何と言うのだろうか。
妹は貴族へ嫁ぐだろう。どうせなら、貴族は貴族でも、次男か三男あたりだったら良いんだが。そんなことを考えていた。恥ずかしくないように、商家の意地にかけて入りようなものはすべて調達しなければ。少しばかり客層を変えて、ウチも貴族向けの商品も揃えてみようか? 妹には内緒で両親と新たな店舗について真剣に検討しあった。
そいつが何者なのか、俺も両親も知らなかった。妹にだけは、打ち明けられていたようだった。だから、それでいい。二人が結婚したときに、教えてもらえれば。
……嗤えてくるほど、楽観的だった。
いまでも考える。
何者かを問い質していれば良かった。
――そいつの身分を、俺は最悪な形で知ることになった。
妹とそいつが結婚?
そんな日は、来なかった。
妹は、死んだからだ。
事故だった。いいや、殺されたと知っている。
『お前、何してたっ? なんでアイリーンが死ぬんだよ! ――殺してやる! お前も、妹を殺した野郎も!』
『……すまない』
『謝るな!』
許せなかった。
『お前が! ……お前がっ!』
お前と、会わなければ。
王子であるお前と、恋仲に成らなければ。
そうだよ。そいつは、自国の王子。それも、王太子だった。
いずれは、国王となる男だった。
――イーノックという名前。
王太子も同じ名前だとは知っていた。だが、貴族でも平民でも、あってもおかしくはない名前だったのだ。
エスフィアでは、ありふれた。それが、よりにもよって。
『お前が王子だって最初から知ってたら、妹に近づけたりしなかった……! 本命は誰だった? 平民の妹を利用したのか! 同性愛者なのに、異性愛者の振りをして……!』
その日、謝るだけの人形みたいだったそいつが、はじめて声を荒げた。
『そんなことをするものか! 俺は……!』
アイリーンを、愛している。
血を吐くような叫びだった。しかし、俺の心には少しも響かない。
『……そうかよ』
俺の妹は、アイリーンは、もう、どこにもいないんだぞ。
俺はそいつの顔に唾を吐いた。
『なあ。俺は不敬罪で打ち首か? 王子サマ』
王子の顔に唾を吐いたのに、俺は殺されなかった。
だがそいつと俺たち家族が築いていた関係は、粉々に砕け散った。二度と、戻らない。
妹の埋葬も終わり、幾日か過ぎた頃、憔悴しきったそいつが再び、家を訊ねてきた。
顔を、その表情を見るだけで憤怒の感情がわき起こった。
なに、被害者面してやがる。
無性に腹が立ったのを覚えている。アイリーンを愛していたんだろう。それは本当だろう。だが、こいつはアイリーンを守れなかった。危険があるとわかっていて、アイリーンを欲した。
その結果が、アイリーンの死だ。
俺はひたすらそいつを罵った。だが、そいつは帰らず、あろうことか、こう言った。
『――エドガー。私と結婚して欲しい』




