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油断なく、建物内を移動し始める。――サザ神教の施設内? 兵がいたるところに配置されていて、軍隊といわれたほうが納得できる。少年は、監視に見つからずに上手に外に抜け出した。
入っていったのは、建物の外に広がっていた森。森で、何かを探している。
私の頭に乗っているアオが、飛んで行った。まるで、少年の行き先がわかっているかのようだった。
そして実際――アオが止まった低木から、少年が幾つか実を収穫している。
……蜜柑もどきを。
蜜柑に似ているけれど、エスフィアでの名称はツィグの実。外皮は鈍い橙色で、低木に成るので、子どもでも収穫しやすい。ただ、味は蜜柑とは大違い。あの甘さを期待して、私はひどい目にあった。城の庭にも生息しているのを、蜜柑だ! と思って食べてみたあのときの衝撃は忘れられない。まず、剥くのに一苦労した。中には薄黄色の果肉がある。ただし、水分は少なめで、乾いた感じで、食べると少し酸っぱく、えぐみも強く、何とも言えない土っぽい味……!
栄養がないわけではないので、食料が乏しいときに本領を発揮する自然の恵み。
……逆を言えば、普段はよほどのことがない限りは食べたりしない。
皮を剥くのに硬すぎるため、野営地では、火で炙ったりして食べやすくするとか。……そんな果実ある?
ツィグの実を二、三個採った少年が、食べ出した。
……絶対、美味しくないはず。
にもかかわらず、その実を少年は黙って食べ続けている。さっきの、見た目だけは豪華な食事よりは、よっぽどマシなんだろうなって感じた。……少なくとも、吐いたり、苦しんだりは、していない。
――でもさ。これ、夢だよね? 私の夢なんだよね?
何だか、腹が立ってきた。
こんなひどい夢を想像している自分が許せないし、夢なら――創造主である私が自由にできないはずがないでしょ?
食べ物ぐらい、ポンって出せなきゃ!
――出でよ、イーバ!
咄嗟に思い浮かんだのが、イーバだった。私の大好きなエスフィアのお菓子。日持ちもするし、携帯もできるし、隠し持つのにも最適。
『!』
出たー! やった!
バスケット――紙に包まれた山盛りのイーバが、私の腕の中に出現した。
……んだけど、普通のイーバだ。
理想はナイトフェロー公爵家のイーバだったのに!
想像してたもの、そのものじゃない。成功とは言えるんだけど……。
納得がいかない気分でいると、木の枝からアオが下りてきた。
私の肩に止まって、バスケットの中に興味津々。嘴でつつこうとしてる。
『駄目よ。これはあの子にあげるんだから……』
ガサッと音がした。そちらを向くと、ツィグの実を食べていたはずの少年が、私を凝視していた。……警戒心マックスで。
『誰だ? レヴ鳥を連れた……貴族? どこから?』
少年は、短剣を構えていた。現実で、クリフォードが持っていたものと、同じ。……前の夢で、使っていたもの。そのことに、やるせない気持ちになった。ただの夢でも、あのときから続いていて、少年は、短剣を当たり前に使うようになっているんだ。
そして――少年は、私とアオが見えているみたいだった。イーバを出すのに成功したから? ついでに自分たちも実体化できた?
私が貴族……というのは、服装からか。普段着用ドレスだもんね。
近寄ってみる。
少年の顔が険しくなったけど、怖くない。
何故なんだろう。……クリフォードに似ているから。人を傷つけることが嫌いな、優しい少年だって、知っているから? 理由は、自分でもうまく説明できない。
『これをあげる。イーバよ。お菓子なの』
私はバスケットを少年へずずいっと差し出した。
公爵家のイーバとは違うのが出てきたけど、味は問題ないはず。普通に良い匂いがバスケットから漂っていた。
少年は眉を八の字にしている。困惑したようだった。それだけじゃない。依然として警戒心も見え隠れしている。
じゃあ……。
バスケットの中から一つ、イーバを選ぶ。包まれた紙から出して、私はそれを半分に割った。
そのまま片方を自分で食べてみる。
……うん。普通に美味しい! ナイトフェロー公爵家のイーバだったら最高だったんだけど……。どうせならあれを少年に渡したかった。
『ゲヒー!』
アオもくれ! と訴えたので、イーバを食べやすいように崩して手のひらにおくと、嘴で器用に食べ出した。……あっという間。レヴ鳥であるアオは雑食だから、イーバも食べられる。……現実でも食べたがるのかな。
――ともあれ、これで、一人と一羽が食べて、ピンピンしていることが少年にも伝わったはず!
割ったイーバのもう片方を、私は改めて差し出した。
『どうぞ。食べても問題ないことは、わかってもらえたと思うのだけれど』
あの異物混入が明らかな、豪華料理の後だもんね。見ず知らずの他人から渡されたものをホイホイ受け取るほうがおかしい。
しかも、私はレヴ鳥が連れで、突然出現したという状況。……怪しすぎる。うん。私が初手を誤った。なので、自分で食べてみたんだけど……。
半信半疑、という体で、少年がイーバを受け取った。内心で快哉を叫ぶ。やった!
そして、パクリと、一口。その一口の後は、たちまち食べきってしまった。
『……どうだったかしら?』
『不味くは……』
思わず答えちゃった感じ? 途中で横を向いてしまった。でも、不味くはないって答えようとしてたよね!
『じゃあ。はい。残りもどうぞ』
『…………』
少年が無理難題にぶつかった、みたいな表情になった。ただ、決断は早かった。バスケットを受け取る。
――美味しい食べ物の力は偉大。夢の中でも有効。私はそのことを実感した。
ツィグの実の成っている低木の近くに、私と少年は隣り合って腰を下ろした。アオはその辺を飛び回り、自由に過ごしている。
少年はというと、イーバを既に何個も平らげていた。
『私はオクタヴィアというの。あの子はアオ』
飛んでいるアオを示して、私も含めて自己紹介する。
すると、空にいるアオを見上げた少年が「変な名前」と呟いた。くっ……。でも、これがエスフィア人の一般的な反応ってやつ?
『あなたの名前は?』
『……ない』
少年の答えは、一言。ない? ないって、どういうこと? いやいや、もしもってこともあるし、一応。
『ナイ、という名前なの?』
『違う』
……だよね。やっぱり、名前が、ないっていう意味か。
『……クリフォードって、知っている?』
『知らない』
一言で否定されてしまった。
『……そっかあ』
あ、喋り方に麻紀味が出ちゃった。でも、ま、いいか。既に第一王女にあるまじき、膝を抱えて座る、なんこともしちゃってるわけだし。私は開き直った。
森には木漏れ日が差している。鳥のさえずりも聞こえる中、
『ゲヒー! ギャギャ! ギャヒー!』
……レヴ鳥独特、アオの鳴き声だけがたまに不協和音? でも、ここだけ切り取れば、平和かも。
『要求は?』
『へ?』
『これのかわりに、何を要求するんだ? 対価は支払う』
少年の言う、これ――は、当然、イーバの入ったバスケットのことだ。でも、あげたかった理想のイーバじゃなかったし。必要ない、と答えようとして、思いとどまった。前世での「無料サービスには気をつけろ」の精神だよね。タダほど高いものはない。この少年もそう思っている。
そして、私の夢が作り出した、架空の存在でもあるよね?
なら、要求は――。
『私のところに来ない?』




