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一礼し、クリフォードがクローゼットへ向かった。
クローゼットは、だいたい色ごとにドレスが分けられている。原色系のドレスが揃う一角に向かったクリフォードは、そこから、一着のドレスを持ってきた。
「アルダートン様。私にお渡しください」
ドレスを受け取ったマチルダが、私に近寄り、よく見えるようにしてくれる。
赤と黒の二色を使ったドレス。身体の中央部分は赤で、他は黒。ドレープの入ったデザイン。所々に散ったパールの飾りが明るさを添える。ワンショルダータイプ。そしてここがちょっと変わっている。取り外しできる黒地の長い布付き。ワンショルダーになっている左側の肩にかけられる仕様。
色はマチルダの言っていた流行色の二色だし、ワンショルダーで、露出もそこそこある。ポイントは取り外し可能な布だね!
ただ、クリフォードが重視した点は、違ったみたいだ。
「そのドレスなら、殿下の扇とも調和するかと」
私は、小机の扇に手を伸ばし、開いた。黒い羽根が広がる。
たしかに、マチルダとサーシャが選んでくれたドレスは、ドレス自体の自己主張も強い――それだけ単体で完成されている――から個性がぶつかり合って、この扇とはちょっと合わないかもしれない。たぶん、扇が浮く。
いま着ているのも含め、普段着用のドレスは、どれもそれなりに、何にでも合わせやすい色とデザインを重視に仕立てたから、とくに扇を意識したことはなかったんだけど。
二色のドレスに、扇を近づけてみる。クリフォードの選んだ三着目も、個性は強いものの、扇とぴったりマッチしている。
「あなたは、わたくしの扇に合わせて、ドレスを選んだということ?」
「殿下は、『黒扇の姫』として有名です。そちらの扇を当日もお持ちになるなら、扇が映えるドレスが宜しいでしょう」
「黒扇の、姫?」
私は眉をひそめた。
聞き捨てならない造語が、クリフォードの口から飛び出したんですけど?
対するクリフォードは、涼しい顔。
「殿下の扇に用いられている羽根は、レヴ鳥のもの。違いますか?」
レヴ鳥。扇の材料提供をしてくれた、そこらを飛んでる大きめの黒い鳥。王城の敷地内からでもよく見掛けるし、たまに羽根も落ちている。
「違わないわ」
認めると、種明かしをしてくれた。
「レヴ鳥は不吉の鳥として忌み嫌われております。貴族階級以上の女性が持つ扇も、白が一般的です。ところが、殿下がその扇を作り、使うことで、そのどちらも打破されました。黒い扇が流行り、レヴ鳥に餌を与えるものも出てきているとか。――故に、殿下を『黒扇の姫』、と」
そ、そんな中二病なあだ名が、ついていたなんて……!
いやあああああああ! 小っ恥ずかしい……!
でも、でも、この扇のふわふわ感は、レヴ鳥の羽根じゃないと……!
「もっとも、レヴ鳥の羽根を用いた扇を使うのは殿下のみのようですが。少なくとも、私は見たことがありません」
な、何故に?
そんな風に言われて、俄然、私はレヴ鳥の肩を持ちたくなった。不吉の鳥って、レヴ鳥の何が悪いっていうの? 換羽期でもないのに、レヴ鳥の羽根をむしり取ってもっとたくさん扇を作れってわけじゃないけど、良さは知って欲しい! 説明しないと!
「レヴ鳥の羽根は素晴らしいのよ? わたくし以外も使えば、良さがわかるはずよ」
返されたのは、淡々とした一言。
「恐ろしいのでしょう」
「恐ろしい?」
鳥が?
「レヴ鳥は、死を運ぶ鳥。そう言われています。サザ神教における、地獄を司る死の女神。女神の使役する架空の使い魔と、姿が似ていることが発端だとか」
サザ神教の、地獄……。
「地獄……オンガルヌかしら?」
地獄って聞くと、どうしてもターヘン編のキーワードが浮かぶ。オンガルヌの名称って、サザ神教が発祥だった。
クリフォードが、口元だけで、ちょっと笑った。楽しそう、かも?
「そうですね。地獄の最果て、オンガルヌより来る鳥。レヴ鳥は、オンガルヌの使い魔、と言い換えることができるかもしれません」
つまり、ただ黒い扇なら、ファッションとして受け入れられるけど、レヴ鳥ってなると、無理ってことだよね。もしかして、意識としては、お葬式用品を日常的に使ってるのと同じ? あるいは呪いグッズを好き好んで持ち歩いている?
だからかー!
扇をこれこれこんな風に作ってねって、特注したとき、商人があんなに渋りまくってたのは……。色にも、鳥にも、どん引き?
教えてくれれば良かったのに! 商人さん!
――でも、すでに私は、この扇に愛着を持ちすぎている。レヴ鳥だって、このふわふわ羽根を持っているという一点だけで、私の中では偉大な鳥! オンガルヌの使い魔っていうのも、迷信だし! 私生きてるし! うん!
「殿下」
マチルダが、前へ一歩、進み出た。
「その『黒扇』なのですが……ご一考を」
発覚。女官長であるマチルダの中でも、『黒扇』で定着しちゃってた、私の扇!
「王城の者は、殿下が『黒扇』をお持ちになる姿に慣れておりますし、ただの黒い扇なら、身分問わず、いまでは使われていてもおかしくはありません。ですが殿下のそれは、レヴ鳥の『黒扇』です。久しぶりの準舞踏会ですし、口さがないことを言う輩がいないとも限りません。今回は、『黒扇』をお持ちになるのは、控えられては」
私を心配してくれたからこその、進言だった。
「ありがとう、マチルダ」
まずは、お礼。
でもね……。
もはや、この扇は、私の身体の一部に等しいんだよ……! ふわふわという癒やしがないと、準舞踏会という魔窟を生還できる気がしない!
この扇を持っていることで『黒扇の姫』と呼ばれるのなら……! 扇を捨てるのではなく、中二病なあだ名のほうを、私は受け入れてみせる!
「けれど、わたくしは『黒扇の姫』なのでしょう? 『黒扇』を持って登場することこそ、期待されているのではないかしら?」
「……このようなことは申し上げるのは、不敬だと存じています。ですが、万が一、『黒扇』が殿下に死を運ぶような事態が訪れないとも……」
マチルダは信心深いほうなのかな。知らなかった。実際問題、レヴ鳥の羽根を使った扇を持っているからって、死に繋がるようなことはないと思うけど、こういうのは、気持ちの問題か。マチルダに安心してもらうためには……。
「そのような事態を防ぐために、護衛の騎士が王族にはついているのではなくて?」
「護衛の騎士……アルダートン様、ですか?」
「ええ。そうよ」
マチルダに微笑みかけて、私はクリフォードを見上げた。濃い青の瞳が、私を見返す。
「――クリフォード。あなたはたとえわたくしが『黒扇』を持っていようと、いかなる死からも守ってくれるはずね?」
ここは嘘でも即答するところだよクリフォード! マチルダのためにもお願い!
「はい。『黒扇』を持つ殿下であればこそ、私がお守りするにふさわしいかと」
あ。クリフォードは、結構この扇を気に入ってくれてるっぽい。同志よ!
嬉しくなってつい王女風を忘れ、私はクリフォードに笑いかけた。
良さがわかる人はわかるんだよ! レヴ鳥の羽根!
「頼りにしているわ。そこまで言ってくれるのなら――クリフォード。レヴ鳥の羽根をあなたに下賜しようかしら」
突発的な思いつきにしては、我ながら妙案! 誓いの儀式でのプレゼントも、結局クリフォードに渡していないし。あれは、『主』と『従』の儀式に成り代わったわけだけど。
『主』として、『従』に何か贈っておくっていうの、ありかも。
男の人に扇はあれだから……。羽根は使っていても、別の何かだよね。
「――私にレヴ鳥の羽根を」
直後、クリフォードの口角があがった。笑いを堪えているようにも見える。
「わたくしが『黒扇の姫』なら、その護衛の騎士も、レヴ鳥の羽根を持っていてしかるべきでしょう? おかしなことではないわ」
そしてクリフォードもレヴ鳥の羽根好き仲間に! ふわふわ! ふわふわ!
「羽根を使った、剣用の飾り房はどう?」
いまクリフォードが腰に帯びた剣、柄の先の部分にも、飾り房はついている。一般兵士の剣には見られないもの。騎士や、一定階級以上になった兵士なんかが持っている。一種のステータス。
戦うときに邪魔じゃないのって思うのは素人の思考! 飾りでありつつ、熟練者になると、房はフェイント攻撃にも使える……らしい!
見たところ、クリフォードのものは城からの汎用支給品。貴族の場合、この飾り房一つとっても自己主張が激しく、素材、色、長さまで、多種多様。支給品で済ませているあたりアルダートン伯爵家は武勇の名門なのに、クリフォードはその辺のこだわりがないのかもしれない。
「ただし、無理強いをするつもりはないわ。わたくしの希望にすぎないもの」
好きなものは、布教したくなるもの! 他の人にも好きになって欲しいもの! でも、無理矢理は駄目! 絶対! ……前世で失敗したんだよね。『高潔の王』を、少女小説好きの友達に勧めていた私。友達はのらりくらりと私の推薦をかわしていた。ぜひ読んでみて欲しい私は、ますます熱くなり、しつこく勧めた。そして、ある日、友達は私に言い放った。「いくら面白くても、BLは苦手なんだってば!」って。
……だよね。
その友達には謝って仲直りしたけど、結構、抵抗なく読んで、そこから腐女子道に入ってくれる友達のほうが多かったから、私の感覚は完全に鈍っていた。
自分が好きでも、それがどうしても受け付けない人もいる。押しつけはいけないってことを……! いくら好きでも、布教は、慎重に。
相手の意思を尊重しましょう!
危ない危ない。レヴ鳥の羽根擁護に意識が行くあまり、ついついこのことをおろそかにして暴走するところだった。
心の中でトーンダウン。よし!
「嫌なら、断わってくれて構わないのよ。固辞したからといって、咎めはしないわ」
私は返答を待った。
「殿下から贈物をいただけるなら、喜んで」
クリフォードの表情は、笑いを堪えた余韻を引きずってか、心なしか悪戯っぽく見えた。
「楽しみにしております。いただいた暁には、ぜひ――」
帯びた剣の飾り房を示す。
「レヴ鳥の羽根を、この剣に」
もらってくれる上につけてくれるみたい。
これでクリフォードも晴れて、レヴ鳥の羽根仲間!
よーし! 扇を作ってもらった商人に、今度は飾り房で特注しよう!
ふふ、と笑い声がした。マチルダだ。柔らかく私たちを見つめている。
「杞憂でございましたね。このように、殿下が信用なさっているアルダートン様がいらっしゃるのなら――」
マチルダが頭を垂れた。
「余計なことを申し上げました」
「いいえ。感謝しているわ、マチルダ」
「念のために確認いたします、殿下。ドレスは、どちらになさいますか?」
深い緑色のドレス。薄い水色のドレス。赤と黒の二色のドレス。
この扇が必須アイテムな以上――。
「クリフォードが選んでくれたものにするわ」
他の二つも単品でならひけを取らない。
ただ、『黒扇』と合わせるとなると、やっぱり三着目。
決定。
「それにしても、アルダートン様は、ドレス選びに長けていらっしゃるのですね。少し悔しい気がいたします。……自信がありましたのに」
腕の中の、薄い水色のドレスを眺めながら、サーシャがそんなことを口にした。
「アルダートン伯爵家は、伯爵とアルダートン様以外は、女性ですものね。そのせいで培われたのでは?」
マチルダの問いに、クリフォードは首を振った。
「姉が一人と、妹が二人おりますが……生憎、私は嫌われておりますので。ドレス選びを頼まれたことはありませんし、仮に頼まれたとしても、期待に応えられたどうか」
「あら、何故?」
私は首を傾げた。クリフォードなら、そつなくこなしそうなものだけど。
「私が殿下のドレスを選べたのは、殿下が『黒扇』をお持ちだったからです」
「わたくしがいつも持ち歩いているから?」
「それもありますが――いわば、『黒扇』は殿下の武器のはずです。ですから、私も、戦場に出るときと同じように考えることができました。装備は、まず武器を選び、それに合わせて他のものも決めます」
ドレス選びにも適用してみた、と。
「武器こそが、命?」
「はい」
「わたくしにとっての武器は、ドレスより何より、まずはこの扇というわけね」
「ご気分を害されましたか?」
「むしろ、着るドレスも決まって、良い気分よ。クリフォード」
扇を顔の前で広げ、にっこりと私は微笑んだ。
あとは、実際に着て、サイズの調整。
扇以外の装飾品と、靴選び!




