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キ、キス? まさに私が兄の発言にカッチーンと来た日、兄とシル様がしていたあれ?
い、いや、何も唇と唇を合わせる必要はない……。ほら、おでことか、頬とか。
「――互いの唇にな」
た、退路を阻まれた。……それに、なんでかな。
絶対に、無理だろう? と父上が言っている気がした。その視線の矛先は、私ではなくて、クリフォードで……。
む、無理じゃないもん。
「クリフォード……」
小声で名前を呼ぶ。
「我慢してちょうだい」
お互いに聞こえるぐらいの声で、予め私は謝った。
クリフォードに向き直って、『黒扇』を持ったまま、頬に両手を添えた。
私は女優と胸内で唱えて、覚悟を決める。
目を閉じ、背伸びをして――。
顔を近づけるだけ。
それだけなのに、出来なかった……! 私は女優になりきれなかった……!
薄目を開ける。
ふっとクリフォードが微笑んだ。
腰に、手が回った。抱き寄せられる。
フリ、だった。
紙一重で唇が触れあっていない。でも、傍目にはキスをしているように見えるはず。
……クリフォードがここまでしてくれているんだもん。
私も、消えかけていた女優魂を復活させなきゃ!
目を閉じて、頬に添えていた手を、クリフォードの背中に回す。
唇が、触れてはいないけれど、熱は感じる。
互いの、吐息も。
い、いつまでしていればいいの、これ?
し、心臓が、ですね……!
「――もうよい」
父上の、声がした。
クリフォードの顔が、離れる。
だけど、まだ抱き寄せられたままだった。
フリだったのに、心臓が、爆発しそう。
「――恋人だと、認めていただけるのですか?」
玉座の父上へ向かって、クリフォードが口を開いた。
対して、何かを確認するかのように、父上がクリフォードを見下ろす。
やがて、父上が言った。
「……認めるしかあるまい」
シンと、玉座の間が静まりかえる。
「二人が認められたことを祝して、わたしから二人のダンスを希望しても良いかな?」
その最中、口を開いたのはエドガー様だった。
――爆弾発言をもってして。
ダン、ス?
「エドガー」
諫めるように父上がエドガー様の名前を呼ぶ。このときばかりは私も父上を応援した。
この上、クリフォードとダンスなんて、私の身が保たないです!
「わたしたちのときは、ここでダンスをしたんだよ」
「……あれは婚約時だった」
「同じようなものだよ」
いや、恋人紹介と婚約は違いますよ、エドガー様!
「オクタヴィア。わたしからのお願いを聞いてくれないかな?」
柔らかく問いかけられ、
「――もちろんですわ」
気がつけば、私はそう返事をしていた。
一人の使用人が近づいてくる。
「――殿下。『黒扇』を」
『黒扇』を持ったままだとダンスは厳しいもんね。
クリフォードの背中に回していた手を、外す。私の動きに合わせて、クリフォードが身体を離した。
私は『黒扇』を使用人に預けた。
でも、まだ使用人は下がらない。どうやら、クリフォードが装備している剣も預かるよう言われているみたい。
「……クリフォードの剣は、このままで構わないわ」
頭を下げ、『黒扇』だけを持って使用人が下がる。
「――よろしいのですか?」
「いいのよ。それとも、剣を装備したままでは踊れない?」
「いいえ。問題ありません」
私は小声で続けた。
「けれど、練習のときみたいに手を抜いては駄目よ」
ちょっとだけ、クリフォードは驚いたみたいだった。
「――はい」
小さく笑う。……口元に目が行って、また心臓がバクバクし出した。せっかくうまく話せていたのに、ちょくちょく女優が抜ける……!
だって、フリとはいえ、あれは限りなくキスに近い何かだったよ……!
いや、実際にはキスしたわけじゃないから、まだ幾分冷静でいられるけど。
――自動演奏の楽器による、音楽が流れ始めた。クリフォードと練習したときのと、同じ曲だ。ワイゼネン作曲の、宮廷舞踏曲。出だしの感じだと、正規の十分版じゃなくて、半分の五分バージョンにアレンジされたやつかな。
差し出された手に、自分の手を重ねる。
参列者たちは脇に寄っていて、私たちが踊るためだけの空間ができていた。
――踊り出すと、単純に、楽しかった。
互いに、ステップを踏む。
改めて、クリフォードってチートだよねって思う。全然嗜み程度のダンスの技量じゃない。腰に佩いている剣が、ダンスの最中動くんだけど、それすらも把握して邪魔にならないようにしている。面倒なステップのときも我流で省略していない。
ダンスに専念することによって、変に意識しないで済んだのも結果的には良かった。
か、顔が近いのはいかんともしがたいけど……!
いっそ、話しかけてみる?
「さきほどのことだけれど……機転をきかせてくれて助かったわ」
「お役に立てましたか?」
「ええ!」
私はにっこりと笑った。父上たちも私とクリフォードがキスしたと思ったみたいだし。完璧なフリ具合だった。
クリフォードが目を細める。
私は小声で続けた。
「いくら偽の恋人役とはいえ、実際に口づけるわけにはいかないものね」
「はい。お願いの範疇に留めました」
ん?
お願いの範疇って……偽の恋人役になってって私が頼んだことだよね。――つまり、お願いだからフリに留めた……? もし私が命令していたら、フリじゃなかった可能性も……? その辺もクリフォードは完璧に遂行しそうだよね……?
てことは、その場合は、実際にキス――。
動揺して、ミスった! 体勢を崩しかけたけど、身体を引いたクリフォードに引っ張ってもらい、うまく助けられた。ドレスが翻る。
「クリフォード。もしわたくしが命令していたら――」
そこで、言葉を切る。
私を見つめる濃い青い瞳から、つい、目を逸らす。
「いいえ。何でもないわ」
キスしていたの? なんて。
訊けないよね。
そこからは、会話はなかった。
私たちは五分間の宮廷舞踏曲を踊りきった。
――まるで、恋人同士みたいに。
その日、第一王女オクタヴィアの恋人が護衛の騎士のクリフォード・アルダートンだというのは本当だったという話が王城内を駆け巡った、らしい。
いや、本当だったって、何っ?




