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絶体絶命。大ピンチ。
私は小部屋の中で行ったり来たりを繰り返した。
――私の読みが正しければ、デレクの記憶は、兄みたいにおかしくなっている。記憶をいじった人間が、近くにいるってことだよね?
デレクのときも、兄のときも……。
デレクが私の恋人だと困る人間? でも、このこと自体、第三者は知りようがない。それとも、別の要因でたまたま記憶を操作された時期が重なった? 『あの青年』とは関係があるの?
次々と疑問が浮かぶ。
ただ、救いは、デレクも兄も、命の危機に陥っているわけではない。一刻も早くどうこうしなくちゃいけないって話でもない。……欠けているのは、記憶だけだから。そのかわり、慎重に動く必要がある。皮肉なことに、デレクという二人目の被害者が出たことで、このままじゃ駄目だって、心に刻むことができた。
深呼吸する。
だから――目下、最大の問題は、この場で、私がどうするかってこと。
いまさら別の偽の恋人役を見つけるなんてできない。
――アレクに頼みに行く? デレクが恋人だって、話をした後で? しかも、昨日、様子が変だったのに? 自分の見栄のためだけに、弟を巻き込むの?
いっそ、ちょっと玉座の間のほうに行って、参列者の中から適当な人を……。
私はかぶりを振った。
適当な人、なんて……。
唇を引き結ぶ。
いるわけがない。
クリフォードの姿が、目に入った。……いるじゃない。そう思ってしまった自分に、必死にノーを突きつける。――クリフォードだけは駄目。この命令は、したくない。クリフォードなら、嫌だと思っていても、引き受けるに決まっているから。
「…………」
パシンッと、『黒扇』を閉じる。
やっぱり、道は一つだ。
想像より大規模な、公式行事みたいになってしまったから、それをひっくり返すのは気がひけるけど……。
もともとは、兄の「愛する者のいないお前にはわかるまい」にカッチーンときて、「わたくしだって、愛し合っている方はいますわ?」と答えたことがはじまり。
――下手にあがかずに、「嘘でした。いません」と正直に話すしか……!
しばらく、自室に引き籠もりたくなるかもしれない。それを許してもらえれば。
ヒューの移送先も、どうにかして別方向から探ることを考えなきゃ。
「――どうぞ上手くお使いください、と」
え、と発言の主を見る。私が話しかけたときは別として、不用意に口を開かないのが、クリフォードだった。
「私が申し上げたのは覚えておられますか」
濃い青い瞳が私を見返した。
もちろん、覚えている。
『私は特殊な「従」です。私を扱うなら、ご覚悟を。どうぞ上手くお使いください』
「覚えているに決まっているわ」
「では、ご命令ください」
言いたいこと……その意味は、わかった。
命令――クリフォードに、偽の恋人役になりなさいって?
「したくないわ」
「……何故ですか?」
ぐっと私は言葉に詰まった。
……嫌、だから?
「『従』とは、『主』の窮地を看過できないもののようです。そして、私を使えば、殿下は窮地を脱することができるでしょう。最初に申し上げました。お役に立てるよう、私をどうぞご利用ください」
……前から、思ってたけど。
「あなたの、使う、という表現は好きではないわ」
クリフォードが道具みたいじゃない? ――人間なのに。その上、自分で自分のことを、道具のように表現していること自体も。
それに。
「『主』であるわたくしが『従』であるあなたに命令してしまったら、あなたは拒否できないでしょう?」
不思議そうにクリフォードが返してきた。
「……拒否する必要が?」
そんな必要はない、と言わんばかり。
命令をベースにしているからこうなるのかな……。
「命令ではなく、わたくしの我が儘……単なるお願いだったとしても? 嫌ではないの?」
「――いまの私は」
濃い青い瞳が、私を直視する。
「嫌だと思うことはしません」
き、きっぱり。クリフォードが淡々としながらも断言した。
「しかし『従』としては、『主』の命令を遂行するために自分の意思を殺すでしょう」
だ、だよね……。ていうか、前に、何かあったのかな? 嫌な命令でもされたことがある? 根拠のない想像だけど、そんな気が……。いや、私? 現在進行形かも。
「ですが、殿下の『従』となってから、そのような命令をされたことは一度もありません。お願いも同様です」
「……本当に?」
「――嫌だということであれば」
クリフォードが言葉を続けた。
「現況に対して、そう感じます」
「…………?」
「殿下が私にご命令下さらないことに」
えっと、偽の恋人役になりなさいって命令されないのが嫌だって、こと……?
――私、基本的に自分に甘い人間だからね? そういう風に言われると、後押しされてるように、自分に良いように捉えちゃうからね?
……頼って、良いのかな。
「――わたくしの偽の恋人役は、大変よ?」
「殿下のご命令で、大変だと感じたことはありません」
でも、命令するのは、嫌だった。私としてはやっぱり、どうせなら、命令よりは、お願いのほうが良い。
「……命令ではなく、お願いでも?」
構わない?
恐る恐る、確認する。
「はい」
クリフォードがはっきりと頷いた。
それで、私も決めることができた。命令は、しない。
お願いとして、クリフォードに頼む。これは私の我が儘。お願いなら、クリフォードに拒否の余地が残る。――強制にならないって。
口を開く。
「クリフォード。あなたにお願いしたいことがあるわ。わたくしの偽の恋人になってちょうだい」
「――承りました」




