117
その扉を目にした瞬間、思い出した。
『開かずの間』って――。
ここ、知ってる。
昔、おじ様と交わした会話が甦った。おじ様を探していたとき、ここに立っていた。だから話しかけたことがあった。
『おじ様。入らないの?』
『――生憎、入れないのです』
『鍵は?』
『鍵が二つ必要ですから。いまは――』
私を見下ろしたおじ様が、ふむ、と頷いて――。
『片方は満たしていると言えますね』
『片方?』
『王族の――』
入る方法の一部を、教えてもらった。
別邸の一階北にある、片開きの扉。別邸内にある他の扉とデザインは同じ。だけど、よく見ると鍵穴が大きい。
「ここが、『開かずの間』なのね?」
デレクに問う。
「はい。ですが、正式名称はありません。ただ、入れない部屋だと認識されています。公爵家の当主――現在でいえば父しか入れない、と。その鍵がこれです」
右手に持った短剣をデレクが振ってみせた。
……当主だけってことは。
「何故デレク様がその鍵を? おじ様から?」
「まさか。保管場所が判明したので、少しの間拝借しているだけです。父が不在でちょうど良かったですね」
いい笑顔でデレクが言った。
「……わざとおじ様がいない時を狙ってわたくしを招待したのね?」
返答はなかったけれども、依然として浮かべられた笑みが答えのようなものだった。
「入ったことが後でバレるのは問題ありませんが、入ろうとしているときに邪魔があっては目的が達成されませんから」
扉の前に立ったデレクが、鞘に入ったままの短剣を鍵穴に差し込み、回した。
そのままデレクが押しただけで、扉は内側に開いた。
ただし――現れたのは、狭い空間と、もう一つの扉。それだけの部屋だった。
鍵が二つ必要っておじ様が言っていたのは、このせいなんだ。
デレクに続いて、中に入った。
二つ目の扉に近寄る。この扉も、作りはまったく同じようだった。一見すると、今回も短剣を鍵穴に差し込めば開きそうに見える。
さっそく開けてもらおう。
「デレク様?」
促すも、デレクは動かなかった。
「……ここまでが、限界だったんです」
「?」
「悪ガキだったおれが、『開かずの間』を諦めると思いますか? その当時はこの――」
デレクが短剣を器用にくるりと片手で回転させてから、掴み取った。
「鍵だけだと思っていたので。ところが」
短剣で二つ目の扉を指し示す。
「これがおれの前に立ちはだかりました」
……挑戦済ってことか。結果は敗北。
「そこでオクタヴィア様にお訊きします。開ける方法を、ご存じではないですか?」
ご存じではありま――。いや、待てよ、と私は思い直した。私、おじ様から聞いたんじゃない?
『王族の――』
王族の、何? 出て来ない……! 思・い・出・せ・な・い!
「……デレク様はどうしてそう思うのかしら」
デレクがヒント持ってない?
「確証のようなものはありません。絵が『開かずの間』にあると推測したのも父の様子からです。――鍵に関しても。父はオクタヴィア様にここの鍵に関して教えたことがあるのではと感じました。どうです?」
どうですって、合ってる! 合ってるけど、肝心の私の脳みそが核心部分を消去しちゃってるんだって。王族の――?
おじ様! 助けて! ぎゅっと目を閉じて、過去の記憶に思いを馳せる。
『――すると、短剣に変化が訪れます』
はっ。聞いた後のことは思い出せた感じ?
と、とりあえず。
「クリフォード」
『黒扇』をクリフォードに預けて、両手が自由になったところで、デレクに「渡して」の意で右手を差し出す。デレクが手渡してきた短剣を私は受け取った。
そう。鍵穴の形状からして、この短剣を差し込むのは間違いないと思う。
や、この鍵穴、一個目と形が違う? 鞘があると入らないんじゃ……。鞘なしで差し込めばピッタリ一致しそう。
でも、たぶんそれだけじゃ駄目、だよね……。要素が足りない。
だから、王族の――。
血、とか?
暴走シル様が元に戻ったときのことを連想してしまう。王族が何かをすることによって、短剣に変化が訪れる――。
王族が持っただけでは、変化なし。じゃあ――鞘から出してみると?
私は鞘から短剣を引き抜いた。さっきデレクが見せた通りの、美しい刃が現れる。鞘にも特に変化なし。
えっと、王族の……。
うーん。やっぱり、血、あたり? 垂らす?
指先? 指先あたりをほんのちょこっと、この短剣でサクッと――。手のひらをザックリやるわけじゃないし、試みとしてはアリ。これが正解な気もする。
私が真剣に検討を始めたとき、
「――殿下」
静かな、クリフォードの声が耳に届いた。顔を向けると、目が合った。眼差しが、「まさか、その短剣でまた身体を傷つけようとしているのでは?」と尋ねているかのようだった。
図星。
いや、でも試してみないとわからないし!
だって他に――。
待てよ、と私は考え直した。
他に、あるんじゃない?
私の前世のオタク知識がフル稼働した。こういうとき――つまり、血が何かのキーだったときって、実は血じゃなくてもいけるパターンって創作物ではよくある!
体液なら可ってやつが。つまり――。
私は短剣の刃に唇を寄せた。血と同じく、唾液も体液! ペッてやるのはさすがに憚られるから、キスをして唾液を付着させる。どうだ!
これで駄目だったら血でチャレンジするしかな、い?
「…………!」
――刃の色が、変わった。刃が青味を帯び、模様が浮き出た。
変化した短剣を持って、扉の前に立つ。
そのまま、鍵穴に差し込む。特に回す必要はなかった。それだけで、解錠音が響いた。短剣を引き抜く。色は戻り、模様も消えていた。
左手で、軽く扉を押す。――動いた。
私は右手に持った短剣に視線を落とした。
この仕掛け、どういう原理なんだろ。
鍵は二つ。まずはこの短剣。そして、私が開けられたってことは――王族の体液で正解? 正確には、王族の血を引く人間、なのかもしれない。短剣の刃に体液が付着することで、別の鍵へ変化する――。
「お見事です」
言い、デレクが解錠された扉を見つめた。
「おじ様が教えてくれていたからよ」
肝心なところは忘れてたんだけどね……。
鞘に戻した短剣を、デレクに返す。
「この部屋は――キルグレン公が使っていたのかもしれませんね」
受け取った短剣に視線を落とし、デレクが呟くかのようにそんな言葉を漏らした。
ナイトフェロー公爵家で、王家の血族は、前代国王――祖父の弟である故キルグレン公だけ。キルグレン公の息子――前代のナイトフェロー公爵は子どもを儲けず父親より先に急逝していて、おじ様は王族の血は引いていない。ナイトフェロー公爵家の人間単独では――おじ様も、ルシンダ様も、デレクも自分一人では開けられない。王族の協力が必要だ。
でも、生前のキルグレン公なら、自分で開けられた。
「……入ってみましょう」
気持ちは逸るけど、ここは王城ではない。私はあくまで客。別邸の住人であるデレクが先だ。促すと、デレクが頷いた。私の脇を通り、扉に手をかける。少しだけ内側へと動いていた扉が、完全に開いた。




