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あのまま、おじ様が……ナイトフェロー公爵家が保護していたんだ。――確か、目が不自由だったはず。『空の間』では不安そうで、顔色も悪かった。それと比較すると格段に落ち着いている感じ。あの、エミリオという『従』が捕まったことは、知ってるのかな……?
かわりと言ってはなんだけど――現在、少女の補助をしているのは赤毛の青年ステインだった。少女をすぐ手伝える位置に控えている。見たところ、給仕も兼ねているっぽい。
「母上……ステインは護衛としては役立ちませんよ?」
用意されている空席は二つ。一つの椅子を引いて、私が座れるようにしてから、デレクが呆れた声を出した。
「護衛としていてもらっているわけではないから良いのよ。それに、殿下の御前でしょう。雑談は後になさい」
「はいはい。今更ですがね」
私が席につくと、最後にデレクが椅子に腰をおろした。クリフォードも私のやや後方という位置に待機する。
それを合図としたかのように、ルシンダ様が口火を切った。
「――ようこそ、オクタヴィア殿下。この度は、突然の招待で申し訳ありませんでした。本当に、失礼ではありませんでしたか? 夫も息子もわたしには嘘ばかりつくのでまったく信用ならないのです」
「人聞きの悪い。おれを父上と一緒にしないでください」
ルシンダ様はおじ様と同い年。茶色の髪を結っていて上品。言うまでもなく美人。雰囲気は気品がありながら柔らかい。偉そうでもなく――でも厳しいときは厳しいということも知っている。
「嘘だなんて。訪問のことは、先にわたくしがデレク様にお願いしていたのです」
「まあ。でしたら信用できますわ。では殿下。少しだけわたしにお付き合いくださいね。わたしの名前で殿下を招待した以上、歓迎させていただきたいのです。お茶とお菓子をご用意しました。オクタヴィア殿下のお口にあえば嬉しいのですが」
ステインがそれぞれのティーカップに紅茶を注ぐ。
そして机には「食べて!」と言わんばかりにお菓子の数々が並んでいた。うわー。別邸に通っていたとき、楽しみにしていた別邸専属料理人のレシピによるイーバだ! ここでしか食べられない。これが出てくると、残さず完食していたのが私です! イーバは奥が深くて、アレンジにより味の繊細さが多種多様。それにB級グルメ寄りのお菓子も用意されている。――私用に選んでくれたんだって、わかった。
ルシンダ様は、私の母上と親しいから、私の食の好みをかなり正確に知っている。
というのも、私は実の母に会うときは、向こうに赴くんだけど、そのときはここぞとばかりに料理のリクエストをしていたから! いわゆるエスフィアのB級グルメばかりを! 母上が呆れていたぐらい。そのときにルシンダ様が母上のところへ遊びに来ていたこともあった。
普通のお茶会では、やっぱり出すもののグレードが求められる。美味しいだけでは駄目。味もだけど、王侯貴族らしさっていうのも必須なんだよね。庶民のお菓子は選択肢として避けられる。相手側が用意する場合、王女に出すものとしてはほぼ確実に出てこない。失礼になるから。
あと一応、場にふさわしくないっていうのは私も理解してる。一度、お茶会で私の好みを流行らせられないかなって目論んだこともある。でも、私の好みだらけになったら――お茶会が確実に混乱する。食べ物の好みって難しいもん。やるなら少しずつ進めるしかないよねって段階。なので、私の真の好みを知る人は限りなく少ない。
しかし、今回はルシンダ様もわかっているからこその、このセレクト。
「ルシンダ様が用意して下さったものですもの。合うに決まっていますわ」
――合わないはずがありません!
「…………」
机に並んでいるお菓子を見て、デレクは物言いたげな視線をルシンダ様に向けている。デレクは正しい。でも、この場においては間違っているのである……!
ちゃんと、私好みのお菓子は、私の席に集中している気の遣いよう。かつ、貴族用の遜色ないものもきちんと入っている。
微笑んだルシンダ様が、まだ一言も口を開いていない少女に向かって片手をあげた。
「それから――殿下には事後承諾になってしまいますが、もう一人このお茶会に彼女を招待させていただきました。彼女はリリーシャナ・ターヘン。ターヘン伯令嬢です。わけあって我が公爵家にしばらく滞在することになりました。……殿下にも、お知らせしたほうが宜しいかと思ったのです。おそらく夫は伝えていないでしょうから」
ジロリとルシンダ様がデレクを睨み付ける。
「息子も」
「……言う機会がなかっただけです」
デレクが弁明するも、ルシンダ様の睨みは一切緩まない。
「あの……ご挨拶を」
銀髪の少女が立ち上がった。
「――こんにちは。わたくしはオクタヴィアよ」
彷徨っていた視線が私の座る場所で留まった。ドレスのスカート部分を摘まんでお辞儀をする。
「リリーシャナと申します。オクタヴィア殿下。お初にお目にかかります」
……お初に?
リリーシャナとは『空の間』で会って……あ。声か。リリーシャナがいたとき、私は言葉を発していなかった。気配は感じ取れたかもしれないけど、あの場に私がいたってことはわかりようがないんだ。
それと、必要以上のことはリリーシャナには教えられていないのかも。
「よろしくね」
「はい。ありがとうございます。オクタヴィア殿下とお話しできるなんて光栄です」
にこっとリリーシャナが笑った。椅子に腰を落とす。緊張してたのかな? それが解けたみたい。ルシンダ様がリリーシャナをお茶会に呼んだのは、彼女のためでもあるのかもしれない。気分転換になるように。
どうして自分が保護されているのか、とか、何故エミリオが側にいないのか、とか。もし教えられていなくとも、感じ取れるものはあるはずだもん。
そして私も、『空の間』で会った少女が、ナイトフェロー公爵家で客人として遇されていることを知れた。
「…………」
ふと、リリーシャナが再び私のほうを見た。
いや、私というより――?
「――あの、殿下やルシンダ様、デレク様、ステイン様以外にも、この場に誰かいらっしゃいますか?」
「わたくしの護衛の騎士がいるわ」
リリーシャナが顔を向けた方角にいるのは、クリフォードだけ。他の二人の視線を浴びても、クリフォードはまったく顔色を変えない。その様子を見ていたら「何ですか?」という風に目で問いかけられた。でも、ただ見ていただけって、言うわけにもいかない。
首を横に振って前に向き直る。
私の答えを聞いたリリーシャナは気落ちしたようだった。
「リリーシャナ?」
「違うとはわかっていたのですが、わたしの従者と似た気配だったので……」
似た気配……。わたしの従者っていうのはエミリオだとして、クリフォードとの共通項と言えば『従』であるってこと。『従』繋がり?
「どう似ているんだ?」
突然、デレクが口を開いた。
「在り方……でしょうか? でも、殿下の護衛の方は、もっと鋭い感じがします」
「……エミリオより鋭い、か」
デレクが独りごちた。エミリオの名前にリリーシャナがピクリと身体を震わせる。
パン、とルシンダ様が手を叩いた。
「せっかくの紅茶にもお菓子にも手つかずなままだと料理長が泣いてしまいます。殿下、どうぞ召し上がってください」
こうしたちょっとした集まりで、かつがっつりした食事でない場合は、各自で天空神への感謝を簡単に捧げる。それを終えてから私はさっそくイーバにありついた。何年ぶりだろ? 公爵家の特製イーバ!
「リリーシャナ様。何をお食べになりたいですか? 何が並んでいるのかお教えしますね」
リリーシャナには、ステインがどんなお菓子があるのか伝え、リクエストされたお菓子を取り分けている。ていうか、ステインの口調が違いすぎるのに突っ込みたい。
ステインがリリーシャナについているのは、彼に打ち解けているからなのかな? ステインと話すときのほうがリリーシャナの表情が自然。そして、密かに二人を見守る私は、リリーシャナが選んだ品を見て満足した。
……うんうん。やっぱり一発目はイーバだよね? 仲間!
ルシンダ様とデレクは、お菓子には手をつけず、紅茶を味わっている。カップを置いたルシンダ様がデレクに釘を刺した。
「――それから、デレク。お茶会の間は難しい話はなしにしなさいね。お茶会は、楽しむものよ」
「女同士の熾烈な闘いの場ではなく?」
一理ある。ルシンダ様のいるお茶会は基本的に荒れない。皆安心して出席できる。でも、そういうお茶会ばかりではない。ていうか、過半数以上は闘いの場? ……派閥とか。
「デレク。もう少し言葉を――まったく、誰がそんなことを」
「母上がこよなく愛しておられる父上ですね」
……こういう会話も、変わってないなあ。
ナイトフェロー公爵家に来ると、家族を感じられた。エスフィア王家が特殊過ぎるせいもある。普通の家族関係っていうのかな、仲間には入れなくても――空気を味わいたい、みたいな。
おじ様は愛妻家で、男の愛人なんて作っていなくて、息子のデレクは両親の愛情を受けて育っている。……そういえば。おじ様の姿を見掛けていない。
「公爵は本日不在なのですか?」
「生憎、父は不在です」
「この時間帯、夫が屋敷にいることは滅多にありませんわ」
親子の答えが被る。
「昨日城でお会いしたので、本日も会えるかもしれないと思っていたのですが……」
「まあ。王城でですか?」
「ええ。視察の内容に関して少し――ルシンダ様が服飾店にドレスを注文する話や、あの珈琲の美味しいお店にも公爵を誘われたとか」
「そのような話をわざわざ殿下に?」
まったく、という顔をしながらも、ルシンダ様は微笑んだ。
「……わたしにとってはいい機会だったのです。今回殿下が視察された場所は、普段赴かないところでしたから。……もっとも」
チラリとルシンダ様がデレク、たぶんチーロジャムを挟んだクッキーを取り分けているステインの順に視線を投げた。あのチーロクッキー、私も食べよう!
「当日に、既に赴いた人間が我が公爵家にはいるようですけれども」
つい、という風にステインが口を開いた。
「奥方様……何故ご存じなのですか?」
「わたしに嘘ばかりつく男たちには教えないわ。わたしにはわたしの情報網があるの。レイフったら秘密主義に拍車がかかって……」
「母上……言えないこともあるんですよ」
デレクがおじ様の擁護に入った。
「――不満があるのはわかりますが、父上と口をきかないのだけは止めてくださいね。母上ではなく、父上が落ち込むので。一度あったでしょう」
息子目線のデレクの言葉だからこそ、信憑性がある。
「私はそんな閣下を一度は見てみたいです」
おじ様には悪いけど、このステインの発言に一票!
「あのナイトフェロー公爵が、ルシンダ様と話せないと落ち込むのですか?」
リリーシャナが不思議そうに言う。この発言にも同意。おじ様が落ち込んでいるのって想像できない。
「……あれはものすごく面倒臭いんだ」
腕を組んだデレクが、体験者は語る、の体で答えた。ルシンダ様も過去を思い出したのか、ちょっと微妙な顔をした。
「そうね」
母子で通じ合っている。
――その後も、話は弾み、お菓子類も大分減り、お茶会が終わる時間になった。
「ルシンダ様。楽しい時間をありがとうございました。リリーシャナ。会えて嬉しかったわ」
「こちらこそ、殿下」
「わたしも楽しかったです!」
ステインに杖を渡され、それを握ったリリーシャナが弾んだ声で大きく頷いた。まるで妖精のような微笑みを浮かべる。
私もつられて笑顔になった。可愛いなあ。……妹がいたらこんな感じ? 容姿のせいかな。銀髪は私や兄と同じだし。瞳の色はアレクや父上を思わせる。エスフィア王家の血を引いているって言われたら信じちゃいそう。
「ステイン。リリーシャナを部屋まで送ってあげなさい」
「はい、奥方様」
危なげなく歩き出したリリーシャナの後をステインが追う。
さて、と私もデレクに向き直った。
楽しい時間が終われば――今日、ナイトフェロー公爵家別邸を訪問した目的を達成しなければ。
……なんだけど。
机に残るお茶会の跡に、ふと思いついて、私はクリフォードを一度振り返った。
ついで、ルシンダ様に近寄り、小声で頼み事をする。
「……を、お願いしても良いですか?」
まだ、クリフォードから昨日のサンドイッチの感想を私は聞いていない。お願いだったから、感想なしなのもあり。でも、クリフォードの好き嫌いを探っていこうっていう思いつきは私の中では有効! なので、その一環としての頼み事! ついでに、私の欲も満たされる。
デレクそっくりの茶色い瞳がパッと輝いた。
「――承りましたわ、殿下」




