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毎日のスケジュールがガラガラと思っていたのは、間違いでした……。思えば、準舞踏会の日以降、視察日までの三日間は夏休み状態だったんだよね。一日でも学校を休むと授業で困った現象! あれが王女の立場でも起こっていた!
なので、一日が全部潰れましたとも……。三日分を取捨選択して、可能なものはできる限り詰め込み。視察の後で気になっていたことも、確認した。
まず、兄の動向。マチルダに聞いたところ、視察後の対応に追われていたものの、通常通り過ごしていたらしい。話す機会を持ったほうが良いのか保留中。兄からは私へのアクションはない。
シル様は、ヒューに狙われていた被害者、という扱い。同時に、『空の間』での出来事に関しては別って扱い――本人の要望が強いみたい――で、監視が続いている。ただ、客人待遇だそうだから、そこは安心。あと食欲がないとか、塞ぎ込んでいるとか、そういう様子もないそう。……会いたいけど、兄の許可が必要なのがちょっと。現状で私が会いに行くとややこしくなりそうだよね……。それを押して行くべきか……。悩みどころ。
ネイサンは治療継続中。命に別状はないけど、護衛の騎士として復帰するにはしばらくかかる――ものの、歩き回って医師を困らせているらしい。ヒューのことに関しては自分からは一切口にしないって聞いた。
それから、ガイとエレイル。表向き、視察自体は滞りなく終わったことになっているものの、エレイルが女装して馬車に乗り、ガイがその警護として城に戻ったことは一部では周知の事実。今日は休みにしてあげても良いぐらいだと思うんだけど――表向きの話は違うから、休ませると不自然になる――二人とも通常の職務にあたっていた。
これは自分の目で確認済! 昨日の今日で会いにいくと逆に迷惑になりそうだから、こっそりと近くを通ってガイとエレイルをチェックした。目撃したのはガイと三白眼の兵士が話しているところに、エレイルが加わった、という場面。……ただ、私とクリフォードのいる方向を見たガイがビクッとして顔の向きを変えたから、気づかれたかも?
二人には、一応感謝の手紙を書いてこっそり届けるように手配はした。とはいえ、ほとぼりが冷めた頃に会って話したいところ。呼びつけるのもアレだし……偶然を装って会ったとしても、堂々と人目があるところで話すのは、完全に事件の決着がついてからのほうが良さそう。
鉛筆を片手に寝台に転がって、広げた日記帳の頁を、トントンと鉛筆で叩く。
正直、問題や気になることは山積みだけど――。
「切羽詰まった問題は、たった一つ」
鉛筆を一点で止めた。
日本語ではそこにこう書き込んである。
『偽の恋人役を再検討』
――寝る前の、作戦会議の時間です!
まず猶予はどれ位残っているか?
答え。披露目の日まで、自由に動けるのは、残すところ、あと六日。
そして、今日、私の見栄以外でこの日を乗り越える必要性が出てきた。じゃないとヒューの居場所が入手できない。
……でも、無理に知る必要はあるのかな。
ふとそんな考えがよぎった。
最初に予想していた最悪の事態は回避されたって見ていい。
だから、私が首を突っ込まなくても、父上と兄(記憶あり)に任せていればいいんじゃないか。
なのにそうしたくないと思ってしまうのは――たぶん、ヒューのことで私が後悔したから。事件が起こる前に、できることがあったんじゃないかって。それが一番の理由。
だから、同じ後悔はしたくない。一体、どんな形で落ち着くのか。自分で、ヒューは大丈夫だって確信できるまで。
――行動を起こすためにも、まず決めなければならないことがある。
私はため息をついたり、時には寝台をごろごろしたりしながら、ずっと脳内で選考に選考を重ねていた。
当然、誰に偽の恋人役を頼むか? について。
見栄を張ったあの日から、私の人間関係もちょっと変化した。それを踏まえて考えてみる。
その結果、ルスト、ガイに続き、私が目星をつけた人物、それは――。
「デレクしかいない」
私は一つ大きく頷いた。日記帳にデレクの名前を書き込む。
――デレク・ナイトフェロー。ナイトフェロー公爵家の長男で、おじ様の息子。
恥を忍んでそんなデレクに頼む!
正直、恋人をお披露目することが決まった初日の私だったら、考えられない人選ではある。おじ様の息子ってところは重要ポイントだったけど、兄の親友で、シル様とも仲が良いし、かつ幼少期のこともあり、私の中では兄側の人間、という認識だった。
ただし、準舞踏会、視察と来て――デレクは兄側の人間であっても、それだけじゃないといまは思う。助けを求めれば、協力してくれそうかなって。
少なくとも、私の突拍子もない申し出にも、けんもほろろに拒絶せず、話を聞いてくれそう。
もし偽の恋人役を引き受けてくれた場合、デレクと兄の関係性が気になるところではある。でも、そこも視察時のことを考えると、うまく収まりそうな予感がするし。
あと、恋人でしたー! て紹介した場合、周囲がより納得してくれそうな人物なのがデレク。
まず、王家と家族ぐるみで付き合いがあり、公爵家の長男。
すんごく盛ると、私とデレクは幼馴染み! 密かなロマンスが生まれていても決しておかしくない。昔は何とも思っていなかったけれど、思春期になって意識しました系でもいける。
さらには、身分的にもケチのつけようがない。次期公爵で駄目なら他に誰を連れてくるのってレベル。
懸念点としては、父上のおじ様への態度だけど――これまでの公式の場でのことを振り返ると、デレクには普通に接していた。おじ様の息子だからって同一視している感じはしない。
……総合して、デレクが私の恋人として、父上から例外判定を受ける可能性は少ない。
この切羽詰まった状況、考えれば考えるほどデレクに頼むしかないよね! ていう気になってくる。
――いや、まあ、前提としてあり得ないんだけど、デレクと同率ぐらいの候補もいることにはいるんだよ?
原作小説『高潔の王』の主人公である、シル・バークスが! シル様です!
「シル様に頼めればなあ……」
デレク同様、準舞踏会がきっかけで、シル様への心の距離が近づいた現在。私が一番頼みやすい異性はシル様なんだよね。
あくまで、偽の恋人役。恋人期間は私が本命を見つけるまでのこと。予想では一年ぐらい? 交際から婚約、そして円満な破局まで演じなければならない。それをシル様となら、友達感覚で突っ切れそう。
少しばかり面倒臭い関係性でなければ。シル様が兄の恋人でさえなければ……!
私の脳内妄想では、「おれで良かったら」ってOKしてくれるのが目に見えるもん。
――まあ、いまから頼むとなると二人きりになるのが難しいかな? 監視中だし。だいたい、シル様の現状は、それどころじゃない。
そして、あくまでも、兄の恋人でなければ! の話。
「つまり、あり得ない……」
私はがっくりと項垂れた。
よって、やはり、私が狙うとしたらデレクしかいないのである……!
日記帳に書き込んだ『デレク』の名前を丸で囲む。
うむ。
でも、これはあくまで私側の都合ということも忘れてはならない。デレクがどういう反応をするのか、実際のところは不明。
ガイのときみたいに、拒否られる可能性も当然ある。
そうなったら――デレクを共犯にすることに失敗した場合――まだ、手は残っている。
私はぐっと鉛筆を握りしめた。
何故ならば、私には禁断の最終手段が残されている……!
アレクシスという最後の砦が!
我が天使な弟、アレクですよ!
心情的には弟でも、血縁上はアレクとは従姉弟だもんね。
原作が日本の小説だけあって、従姉弟同士の恋愛や結婚がエスフィアでは許されている。偽の恋人役を頼む条件は揃っている!
もともと、アレクには本当のことを言ってしまいたい気持ちがあった。
アレクなら、私の醜い見栄を! 打ち明けても広い心で受け入れてくれる……!
ほんとは恋人なんていないの! 兄にカッチーンってきてその場のノリで言って、後に引けなくなっただけ! 何とか誰か見つけようとしたけど見つからないの! でもお披露目の場を何とかやり過ごしたい! 兄をぎゃふんと言わせたかった! という真実を打ち明ければ……!
快くアレクは私の……駄目な姉のために偽装工作に付き合ってくれると思う。
ただね……。
はあ、と寝台の上で頬杖をついた。
私、アレクに対しては、守られるより守りたい気持ちのほうが強いんだよね。麻紀としての末っ子気質ではなく、オクタヴィアとして生まれ変わってはじめて知った年長者としての――前世でのお姉ちゃんもこうだったんだろうなあ――気持ちのほうがアレクを前にすると発動する。
本当のことを言ってしまいたいのと同時に、アレクにはまた別の見栄を張りたいんだよね……。姉としての! いまは後者の気持ちのほうが強い。
いままでアレクのお手本となるべく頑張ってきた姉として! 情けなさマックスの姿を見せたくない……!
アレクはいま王都にいないけど、お披露目の日まで……十日で戻ってくるって言っていたし。逆に言えば、そのときまで、ほんっとうの本当に誰も見つからなかったときまで、アレクを頼らないようにはしたい。変な心配かけたくないし。
――というわけで。
もう一度、その名前を丸で囲む。
標的はデレク!
そして――。
私は小机に置いた招待状に手を伸ばした。
差出人はルシンダ・ナイトフェロー。
姓でも一目瞭然。おじ様の妻である、ナイトフェロー公爵夫人から。
明日、王都のナイトフェロー公爵家別邸に招待したい、というもの。名目は個人的なお茶会。都合が悪ければ日時をご指定下さい、とも言葉が添えられていた。
午後に正規ルートで部屋に届けられたんだけど、ピンときた。
――実質の送り主は、デレクだって。
視察でカルラム並木を歩いたとき、「我が家へご招待しましょう。いついらしていただいても構いません」という訪問への了承は既に得ている。
ただ、一応の手順を踏む――私がナイトフェロー公爵家別邸を訪問してもおかしく思われないような状況を、デレクが作ったんだと思う。
公爵夫人からの私的な招待に私が応じた、という形になるように。
公爵であるおじ様からでも問題ないだろうけど、女同士のほうがより自然だもんね。
既に返事は書いて、公爵夫人宛に送ってもらっている。
「喜んで明日の招待に応じます」っていう内容。
明日のスケジュールも調整済! このために三日分を今日に詰め込んだ!
これぞ一石二鳥。
ナイトフェロー公爵家別邸を訪れると同時に、偽の恋人役ゲットも解決する方法!
――決まった。




