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クリフォードと話していたのは数分ほど。
父上の執務室に戻り、私はさっそく自分用に取り分けたサンドイッチにパクついた。
腹が減っては戦はできぬ!
もちろん、好きな具材のやつ。
たまごサラダと、ゆで卵を薄く切ったものが挟んである。マヨネーズ……ではないんだけど、バルジャンの発明品の調味料も効いている! バルジャンがなかったらエスフィアの食卓も貧しくなっていた、と私は断言できる。
食べながら、二人――エドガー様と父上の様子を観察する。
向かい側に座るエドガー様は、お肉とフォーサを挟んだパンを食べている。
フォーサ……それは、私が、苦いきゅうりと内心で命名している野菜。見た目もきゅうりに似ている。きゅうりだと思って食べたらきゅうりじゃなくて苦かった……! その思い出により、私はフォーサが駄目になった。
実は父上もフォーサが駄目だって私は知っている。エスフィアの一般的な野菜だけど、好き嫌いが分かれるのがフォーサ。苦味が独特なんで、それを美味しいと感じるかどうか。
それにしても……手で食べるスタイルは、作法が問われる高等技術。あら捜しに使われやすい。ところが、貴族として生まれたって言われてもおかしくないぐらい、エドガー様は違和感がない。すごいな。感心しちゃう。
……むしろ、私が不安になってきた。
王女としての、威厳、威厳……。パクつくんじゃなくて、上品さを心掛けないと……!
エドガー様から、父上へと視線の矛先を変えてみる。
父上は右手に書類を持ち、左手でパンを口に運んでいた。
もうすぐ食べ終わりそう。さっき、配膳に来た使用人が父上の前にわざわざ置いていったジャムを塗ったパンなんだけど、たぶん、これって父上の定番?
ただ、ジャムのチョイスが意外だった。
エスフィアにも当然ジャムはある。苺、リンゴ、ブルーベリーなどなど。名称も元の果物も前世の日本と同じ。ただし、父上が食べているのは、フォーサ同様、この世界特有のやつ。
チーロっていうサツマイモと栗の中間みたいな甘さの野菜を使ったジャム。なお、チーロは、見た目が良くない。トゲの塊みたいな不格好な形。なので王侯貴族受けが良くない。調理しちゃえば元々の形なんて関係ないのになあ……。
そんなわけでエスフィアでは庶民の食べ物と言われ、加工食品としても王族の食卓には中々、いや滅多に出てこない……! でも、エスフィアのB級グルメに関する情報にはアンテナを張ってるもんね! まあ、レヴ鳥の一般的な扱いとか、興味がない方面には一切反応しないポンコツアンテナだけど……。
「……チーロがお好きなのですか?」
父上の手が止まった。手元のチーロを塗ったパンを見下ろすと、ふっと口元が綻んだ。大切な思い出があるんだなって、私が感じ取れるぐらいに。
「ああ。……エドガーと食べたのがきっかけだ」
「……そうだったね」
エドガー様が微笑んで頷く。……でも、ほんの少しだけど、不自然な間があったのが、僅かに引っかかった。たぶん、聞いてしまったさっきの口論のせい、かな。
父上がチーロを塗ったパンを皿に置いた。次に書類を脇に。
「――それで?」
両手を組むと、私へと視線を投げる。
「わざわざ自ら謁見の申し込みまでしてやって来た理由はなんだ? これではわたしも追い返せまい」
! 向こうから来た!
これに食いつかない手はない。私もサンドイッチを置いて、父上を見返した。
「ヒュー・ロバーツに関して、お訊きしたいことがあるのです」
昨日、視察で起こったことは、既に父上も把握しているはず。だから前置きはなし。
「――ロバーツか」
予想通りの質問だったのか、そうじゃないのか、反応からはどちらとも取れた。
「彼はどこへ移送されたのですか?」
「…………」
「兄上とお会いして、決定されたのでしょう?」
深く息を吐いた父上が、首を横に振った。
「移送先は教えられない。それはオクタヴィア、お前だけにではない。王城でロバーツの移送先を知るのは私とセリウスだけだ」
「……では、これだけはお教えください。そこは準舞踏会の襲撃犯たちがいるのと同じ場所ですか?」
普通、地下牢の囚人が移送されるっていったら、行き先は同様の場所のはず。たとえば、いま私の言ったような、襲撃犯が送られたっていう別の監獄塔とか。……このことは、以前ヒューに聞いたんだっけ。
「違う」
「あるいは、それに準ずる場所なのですか」
結局、監獄や牢に移送されたのかどうか。
再び、父上が溜め息をついた。
「お前が何を訊きたいかはわかった。……違う、と答えて欲しいのか?」
「父上!」
「……あのセリウスは、お前に何か言っていなかったのか?」
「――それは」
手紙を……って。
あの、セリウス?
まるで、父上も、兄の記憶について把握してるみたいな。父上に移送命令を下してもらうにあたって、兄(記憶あり)が説明したの? どこまで? でも、一国の王たる父上がすんなりそれを信じる? ある程度、兄の状態をわかっていたならまだしも――。
「何かは、あったようだな。では、その内容がすべてだ。セリウスを信じよ。セリウスはお前がロバーツに関与することを望んでいない。わたしはその意を汲む」
俯いて、ぐっと唇を引き結ぶ。兄(記憶あり)の手紙の内容を、信じる……。
大回廊での、クリフォードとの会話を思い出す。
――でも、信じるって、言い切ることはできなかった。
八割ぐらいはきっと大丈夫だと思っているのに、……信じて、良くない結果だったら、受け入れられないから。後悔はしたくない。
「それでもなお、知りたいというなら――」
私はバっと顔をあげた。
「お前の恋人が紹介される日がもうすぐだな」
唐突に話題が変わる。それと何の関係が――。
「披露目の後だ」
…………披露目?
「お前の恋人が紹介された後に、望むならロバーツの移送先を教えよう」
両手を組んでいた父上が、脇に置いた書類を再び手に取った。
私の反応がなかったせいか、
「問題があるのか?」
と、問いを放つ。
「まさか」
私としては、こう返答するしかない。
「父上の譲歩に感謝しますわ」
王女スマイルで武装する。
動揺を悟られないように、たまごサンドにパクつく……のではなく、エドガー様を真似て食べる。……あっという間に食べ終わってしまった。
――頭を整理しよう。
とにかく、ヒューの移送先を知る確実なアテはできた。かつ、襲撃犯たちのいる監獄塔に送られたわけでもない。
一歩前進。これはよし。
ただ……披露目の日まで、後残り何日? タイムリミットが!
いまだに影も形も見えない、我が恋人……! 偽のだけど!
最初にアテにしていたルストはあの顔なので私のほうが駄目。次にターゲットにしたガイには振られ……。
口直しならぬ、気分なおしに、何の風味もついていない炭酸水を一口。美味しい。
……いい加減、あれを考えるときが来たのかもしれない。
私は戦略的撤退について、父上に尋ねてみることにした。
「――父上。もし、わたくしが恋人を秘密のままにしておきたいと言ったらどうされますか?」
つまり、お披露目をパスしたら?
書類に顔を向けたまま、父上が目線だけを投げてよこした。
「いないと同義と見なす」
続いて、トントン、と左手の人差し指で机をたたいた。
「――しかし、そうなるとお前に来ている婚約の打診をどうするかだな」
婚、約、とな?




