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日本語で記されていたのは宛名。私の名前だ。
この世界では、私だけの秘密の言語のはず。そのはずだった、けど……つい昨日、読める人物がいると発覚したばかり。スペックを考えると、読めるだけじゃなくて、書けても不思議じゃない。
――該当するのは一人だけ。
「……兄上が、わたくしに?」
念のため、警備兵に確認する。
警備兵が勢いこんで頷いた。
「は!」
……道理で。躊躇なく預かって、私に渡すわけだよね。
「この手紙をお渡しすれば、誰からだと伝えずともオクタヴィア殿下なら必ず理解されるだろうとおっしゃっていました」
う。警備兵の目が何かキラキラ輝いている気がする……!
「やっぱりおわかりになられたんですね」って顔に書いてある。
手紙を読まずに兄からのだってわかっただけで、私、いま過大評価されてない? いたたまれない……!
「いいえ」
訂正訂正!
「?」
「兄上がわたくしにしかわからない印を手紙に残しておいてくれてこそのことよ」
日本語という印を……!
わかった? という意味を込めて見据えると、警備兵はこくこくと頷いた。
よし!
「兄上は、他に何かおっしゃっていなかったかしら?」
昨夜のことを思い返しているのか、警備兵が少し沈黙した。ややあってから口を開く。
「オクタヴィア殿下がこちらを訪れた場合にのみ、手紙をお渡しするようにと」
というと。
「もし、わたくしが来なかった場合は?」
「その場合は、自分のほうで処分するようにと言付かっておりました」
ふーむ……。
「……どのような状況で兄上はこれをあなたに渡したの?」
手紙を警備兵の前にかざす。
「――囚人の移送が終わった後のことです。セリウス殿下は頭を押さえられ――ご気分が悪そうにされていました。その直後に、書くものが欲しいと。失礼かとは思いましたが、自分たちが普段使用している紙をお渡ししました」
頭を押さえて、か。
私も何度か見た、兄の頭痛症状?
「それを使って、兄上はわたくしへの手紙を書いたのね」
なるほど。兄が手紙を書いた状況は把握した。
では――中身!
宛名が日本語で書いてあるってことは、たぶん中身もだよね?
日本語だから、不要になった場合の処分を第三者……この警備兵に丸投げできた、と。私も、自室で一人でじっくり……なんてやる必要もない。
四つ折りの紙を広げてみる。
書き出しは……。
『愛する妹へ』が、目に飛び込んできた。
あ、兄……?
本人が目の前にいたら、がくがく胸倉を掴んで揺さぶりたい衝動に駆られた。
や、それより、『愛する妹へ』は、予想通り、日本語で書かれている。
中の文章も、全部日本語だ……!
『愛する妹へ
端的に言う。オクタヴィア、お前も俺が部分的に記憶を失っていることは承知しているな?
だが、今夜、一時的に記憶を取り戻した。
その要因は二つ考えられるが、いや、確証がないため、ここでは書くことを控える。
重要なのは、記憶を取り戻した、という事実だ。
ヒューにあの命令を下したのは俺だ。
だからこそ、ヒューが処罰を望んだとしても与えることはできない。ヒューは俺が下した命令を遂行しようとしただけだからだ。
しかし、残念ながら俺のこの状態は長くは続かないだろう。
明日どころか少し後にはまたすべてを忘れている可能性が高い。
そうなった俺は、ヒューの言葉を信じつつも、ヒューの擁護には踏み切れないはずだ。
確証となる肝心の記憶が自分から消えているからだ。
そこで俺が俺であるうちに動くことにした。
ヒューの処遇に関して、父上に働きかけを行った。
結果として、ヒューは今夜中に別の場所へ移送される。ヒューに悪いようにはならない。これは保証しよう。
この手紙を書いているのは、お前がヒューを助けようと行動した場合を想定してのことだ。
オクタヴィア。たぶん、肩透かしをくらっているだろう?
そうなった場合に備えて、地下牢の警備兵にこの手紙を託す。
これをお前が読んでいるということは、そうなんだろうな。
ひとまずヒューに関しては安心してくれて構わない。またお前が矢面に立つ必要もない。
一つ懸念点があるとすれば、記憶のない俺がどうするかだ。
記憶があろうとなかろうと自分自身ではある。馬鹿なことはしないと願いたいが、しないとも言い切れない。これまでの自分を思うとそれだけが心配だ。
すまない。
もし迷惑を被るようなことがあれば思う存分やり返せ。俺に遠慮するな。
今夜中に出来うることはすべて行ったつもりだ。しかし、お前に会いに行くのは叶いそうにない。残念だ。
大回廊でお前の護衛の騎士に会ったとき、それでもまだ時間的な余裕があると思っていたのは楽観的過ぎたようだ。
いや、夜中に会いに行ったとしてもお前は眠っていたろうな。
お前は昼寝をしているとき、よくうなされていた。
もう悪夢は見ていないだろうか?
そうであれば嬉しい。
次は手紙ではなく、俺が俺としてお前に会えることを祈っている。
お前の兄 セリウスより』
「…………」
え、え、え?
兄!
ていうか昔の兄、こんなだったなって今更ながら!
最初に『愛する妹へ』を見たときは、ぎょっとしたけど、思い出した。
『愛する妹』で始まり、『お前の兄』で締めるとか、子どもの頃によくもらった、お茶の誘いの手紙と書き出しがまったく一緒なんだ。あれはエスフィア語でだったけど。
――何より、情報が盛りだくさんなんですけど……!
比較的些細なところから行くと、視察中の馬車では「すべてではないが、読めるようだ」みたいに言っていたくせに、日本語をほぼ完璧にマスターしてることとか!
それとも、一時的にせよ、記憶を取り戻したってあるから、そのせい? 欠落していた記憶内でマスターしていた知識が完全復活してる?
ひらがな、漢字、カタカナの使い分けもできてるし! 難癖をつけるなら、一部の文字の形が微妙ってとこぐらい? だからほぼ。 でも、これはお手本が私だったからなんじゃないかと……。
で、ですね。
一時的にでも記憶が戻った二つの要因って何!
そこ重要だよ兄!
確証がなくても書いて! 下書きとかなしにぶっつけ本番で書いた――要するに、本来書くつもりがなかったことを文字にしちゃったせいなんだろうけど。
「…………」
私は手紙を凝視しながら考えこんだ。
この内容から察するに、手紙を書いているときに、記憶がない兄に戻りかけてたってこと、なのかなあ……。
どっち方向にせよ、記憶関連で兄は頭痛が生じる……?
一旦、手紙から顔をあげて、警備兵に質問してみる。
「手紙をあなたに預けた後の兄上の様子は? やはり気分が悪そうだった?」
「いえ。自分に手紙を渡された後は、体調も戻られたようで……。ただ、最後の確認としてか、移送の一連の流れを再度お尋ねになられました」
やっぱり、手紙を渡した後で、元っていうのも変なんだけど、いつもの兄に戻ったっていう線が濃厚……? 何で自分がここにいるのか意味不明で、状況把握のために質問した……。それとも、この手紙を書いたことを、覚えてはいるのかな……? いや、覚えてないと見るべき……?
「最後の確認の中で、この手紙についても兄上は質問されたの?」
「特に言及はされませんでしたが……。再度セリウス殿下にお見せしたほうが良かったのでしょうか」
警備兵が不安げに問いかけてくる。
私は安心させるようににっこりと微笑んだ。
「そんなことはないわ。あなたは兄上の指示通りに動いたのだもの」
むしろ下手に言ったりしなかったのはファインプレーだと思う。
手紙に書かれていたことを鑑みると、もし兄がこの手紙の存在に気付いて、かつ読んでいた場合、自分が書いた手紙なのに混乱してたんじゃないかな……。
――しかし、どっちも兄だと私も混乱するなあ……。
心の中では呼び方で区別してみる?
片方は兄で良いとして、もう一方……兄っていう表現方法の違いで差別化するなら、兄上……、お兄様……、お兄ちゃん……、兄さん……、兄貴……?
兄上は、実際に話すときに既に使っているからこれが無難といえば無難か……。でも違いを出したい気もするなー。
うーん…………。
ふと、思い出した。
『兄上だと堅苦しくはないか? 聞くところによると、お兄ちゃんという呼称もあるそうだ』
『……兄上』
子どもの頃に、そう呼んでみて欲しいって催促されたんだろうなって分かったけど、気づかないフリをしたことを。
麻紀のときは、お姉ちゃんをお姉ちゃんって呼んでたし――。
『――お兄ちゃん』
ふと、日本語でそう口に出していた。
あの頃は、絶対に「お兄ちゃん」って呼びたくない変な意地みたいなものがあったんだよね。
……いま、口にしてみたら、変な感じ。
「…………」
ええと、とりあえず、別の方法で差別化しよう!
たとえば、手紙を書いたほうの兄を、『旧・兄』や『原・兄』、『兄1』とする……。ちょっと記号的過ぎる?
……記憶のある、なしで分けようかな。
兄(記憶あり)と、兄。
説明チックだけどわかりやすい!
決まり。
――改めて兄(記憶あり)からの手紙を読み直す。
一番重要なのは、ヒューを助けるために兄(記憶あり)が動いたってこと。ヒューに命令を下した本人が。
父上も巻き込んで?
私が予想する最悪のパターンは回避されたとして――詳細を知る人物は消えたも同然なんだよね。移送された本人であるヒューも、移送を画策した側である兄(記憶あり)も。
いっそ兄に会ってみる?
や。それよりも、移送の命令自体を出したのは国王である父上なわけだから……。
そうですよ、父上だ!
……父上に直接訊いてみる?
城内を歩いていてバッタリ会うならまだしも、そんなのはレアケース。私から父上に会いたいと思った場合は、娘といえど謁見の申し入れをしないといけない。
私の場合、女官長のマチルダを通して申し入れをするのが通常の流れ。
すぐに会える! とならないのは父親が国王である難しさ。父上が私に会うのは簡単なんだけど、その逆は非常に厳しい……!
いや、ここで怯んでどうする!
結果的には良かったとはいえ、思い立ったら即行動をしなかったせいで出遅れていまなわけなんだから! 深夜テンションでもないし、ここは慎重さより行動を重視する場面!
私は心の中で拳を握りしめた。
決意も新たに、手紙をドレスのスカート部分にあるポケットに仕舞う。
「手紙は確かに受け取ったわ。ありがとう」
「は!」
重荷が取れた様子で警備兵が敬礼する。
では――。
私はクリフォードを顧みた。
「クリフォード。次に行く場所が決まったわ」
「どちらへ参られますか?」
それはもちろん!
「陛下の執務室へ」




