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――私の聞き間違いじゃないのかな。
「もう一度、言ってもらえるかしら?」
念のため、私は聞き返した。
「は! ヒュー・ロバーツは移送され、地下牢にはおりません」
背中で手を組んだ警備兵が、はっきりとした口調で答えた。
は……?
いない……?
私は『黒扇』を開いたまま硬直した。
――ヒューが一連の事件の首謀者として捕まった翌朝、私は彼に面会するため地下牢を訪れていた。
思い立ったら即行動の精神で! 「明日は朝一でヒューのところに行く!」って念じながら眠ったおかげで今朝はカッと目を覚ましました!
――私自身の心の整理はついても、ヒューの処遇に関しては依然として不透明なまま。どころか、明るい未来が全然見えない状況。
……一番痛いのは、ヒューが犯人なのは事実ってことなんだよね。
そこだけを見ると、無実にするのはまず無理。ただ、ヒューの犯行動機を考えれば、これは実は『第一王子セリウスによる敵を欺くにはまず味方から作戦』だったんだよ! でいけそうな気もした。
準舞踏会前――シル様の乗った馬車が暴走したこと。昨日の城下視察のとき、私と兄が襲われたこと――だけど、本当の標的はシル様だったこと。
全部が繋がっていて、もともとは、昔の兄がヒューに下していた命令が発端だった。
『もし、自分が歴代の王のように、同性を伴侶としようとしたら止めろ』って。
ヒューの行動のすべては、その命令を遂行しようとしたがため。
――なんだけど、兄がその命令を覚えていないのがネックなんだよね。
これが、兄はヒューを無実にできないだろうなって私が考える一番の理由。
命令した覚えが本人に確実にあれば、また違ってくるんだろうけど……。
……いや、まだわからないよ?
地下牢で、偽りのない動機を知った兄がどういう風にヒューを扱うのかは。
あくまでも私の予想でしかない。
でも、まがりなりにも王女として十六年生きてきた身としては、ヒューの動機を伏せたままでは……正攻法では、おとがめなしってわけにはいかないよなあっていうのは、感じてしまう。
どうしようもない……仕方ないのかなあって、地下牢から自室に戻った直後は、諦めの気持ちのほうが強かった。
けど!
もしただ首謀者として裁かれたとして、そのことをヒューが納得していたとしても、どころか望んでいたとしても、やっぱりヒューが処罰されるのは何か違うじゃないですか!
本人が良くても、私が不満!
もう、ヒューがやったこと、過去は変えられない。
じゃあ、これからなら?
――私にも何かできるんじゃない?
で、そんなことを昨夜、寝る前に色々考えた結果!
一連の出来事は、『第一王子セリウスによる敵を欺くにはまず味方から作戦』みたいなものだったわけで。
『第一王子セリウス』のところを『第一王女オクタヴィア』にしてみたらどうだろ? 的な結論にたどり着きました!
ヒューは、彼より上の地位の人間に従っただけ。かつ、すべては城内の反王家の輩をあぶり出すためだったのです……!
ヒューの動機に関しては、こっちのほうに重点を置いてみる。
合っている点もあるし、嘘八百ってわけでもない。
あと、考えてみれば、シル様が標的になっていた以上、兄の命令っていうよりは、私の命令っていうほうが第三者から見れば自然っぽそう。
兄はシル様と恋人同士。私は二人の仲を認めていない妹王女。『第一王女オクタヴィアによる敵を欺くにはまず味方から作戦』にあたり、シル様への被害を度外視しても変じゃない構図になる。
――うまくハマってる。
この捏造ストーリーに自信あり!
でも、ここで一呼吸。
私はよーく知っている。
深夜のテンションって大変、大変危険なんだよね……。
朝起きたら何これ? このゴミみたいな案! もっと良い案があるじゃない! てなる可能性もあるから、朝にもう一回再考してから!
そんな風に決意して、私は寝台で眠りについた。
――朝早くにカッと目を覚まし、再考したのが数十分前。
幸いにも、考えは変わらなかった。
ので、いざゆかん地下牢!
身支度を超特急で調え、クリフォードが朝の挨拶のために部屋に来たので即、出発した。朝ご飯はヒューと面会してから!
私の指針は決定したけど、私の作戦にヒューが応じるかっていう重要な課題が残ってるもんね! たぶん説得が必要!
で、意気込んでこれで三度目となる地下牢への来訪となったわけなんだけど……。
うーむ。
「…………」
もう一度、地下牢の入り口を守る警備兵たちの姿を眺める。顔ぶれはちょっと違うものの、人数は昨日と同じく三名。一人は昨日、私が兄への伝言を頼んだ警備兵だ。明るい茶髪で、年齢は二十代後半ぐらい。昨日の今日なので顔も覚えている。
そして、さきほど私の問いに答えた人物でもある。
私は広げていた『黒扇』を閉じた。
念には念を。確認してみる。
「ヒュー・ロバーツが、昨夜の内に移送されたというのね?」
私は地下牢の入り口に意気込んで到着した。ここまでは良かった。
着いてすぐ、伝えられたのがこれ。
肝心のヒューが、いない……!
「は! 移送には自分も立ち会いました」
敬礼をして茶髪の警備兵がビシッと答える。
当然だけど、何度訊いたところで結果は変わらなかった。
朝を待たずに思い立ったら即行動すべきだったんだ……! 深夜テンションのまま動くのが正解のパターンとは……! そんなのあり?
いやいや、気を取り直して――。
「移送先は?」
敬礼のポーズを取ったまま、警備兵は首を振った。
「行き先は自分たちには知らされておりません」
「では、突然の移送の理由は?」
「理由も自分たちには……他に昨日捕まった者は、収監されたままですので」
またしても首が横に振られる。うーん……。あ!
「父上の命令、と言ったわね?」
聞き直す前、最初に説明してくれたとき、確かにそう言っていた。
「は!」
今度は警備兵が頷いた。
――おさらい。
この警備兵によると、夜中に父上――エスフィア国国王が直々に命令を下した。
城の地下牢から出して移送することを決めたそう。それも、ヒューだけを。
でも、父上が? 何で? しかも夜中にっていうのが普通じゃない。
臭う。怪しい臭いがプンプンする!
何よりこの移送、どういう目的? 移送先も不明。
せめて手がかり。手がかりを! ……ヒューが収監されていた牢に何か残ってないかな。ヒューからのメッセージとか?
自分で考えておいて、即私は打ち消した。
昨日のヒューの様子だと、そういうのを残すあがきみたいなのを、そもそもしなさそう……!
ヒューの行方をまず掴まないと――。
「――動くな」
再び広げた『黒扇』に隠れて私が心の中でうんうん唸っていると、クリフォードの低い声がした。
目線をあげる。
視界に飛び込んできたのは――私が話していた警備兵に抜き身の長剣を突きつけているクリフォードおおおおおっ?
一方、剣を突き付けられた茶髪の警備兵はというと、制服の胸元に手を置いた体勢で硬直している。
クリフォードが無意味に牽制するわけがないから……。でも攻撃までにはいたっていない寸止めの状況から推察すると――警備兵の体勢からして、何かを取り出そうとしたのを不審な行動だとみなしたってことだよね?
なら、解決策はいたってシンプル。
「あなた、懐に隠しているものをすべてそこに出しなさい」
ちょうど、この地下牢の入り口には、面会者の身体検査用の台が置いてある。
危険物を持ち込んでいないか調べられて、引っかかった物はここに一時的に置いておくよう言われる……らしい。ただ、王族や護衛の騎士は基本的に調べられたりしないのでそこはザル。
たとえば、私。ちょっと前、地下牢に入れられていたクリフォードに面会しに来たとき、兄に『黒扇』を注意されたことはあったけど、それも兄から、だもん。警備兵が王族の身体検査をするっていうのは基本、ない。
茶髪の警備兵の行動は早かった。
「これですべてです……!」
懐に手を入れ――胸ポケットが改造されているのかな? 意外とたくさん入れられるっぽい――続々と物が台に並べられた。
私はそれらに視線を向けた。
まずは、小ぶりの短剣……予備の武器かな。
そして、短剣が置かれた時点で、クリフォードが剣を下げた。その動きで、レヴ鳥の羽根の飾り房が揺れる。
……何となく、飾り房に目がいってしまって、私は視線を台の上に戻した。
警備兵が懐に所持していた小ぶりの短剣を改めて見る。
木製の柄の簡素な武器だ。実用一点張り。
うん、明らかにこれのせい。
たぶん、兵士が予備の武器を持っているのは良いとして――だって残りの二人の警備兵だってきっと持っているんだろうし――その必要がないのに、王女の前で短剣を取り出すかのように見えた。
で、クリフォードの警戒センサーに引っ掛かったってことだ。
次に並べられたのは――携帯食らしき飴が数個と布に包まれたお菓子類。
エスフィアのお菓子の定番、みんな大好きイーバも入っていた。……この茶髪の警備兵、甘い物好きと見た!
まさか、これを取り出そうとした? 私にお裾分けっていう線が? 正直もらえたら嬉しい。受け取りたい! でも、万が一この線だったとしても、中に何か仕込まれていたら云々で気軽にもらえない世知辛さよ……!
そして最後に並べられたのは、四つ折りにされた紙。
城で兵士たちが連絡を取り合うとき、業務用に使っているもののはず。色味が黄色寄りのやつ。
「自分はこの手紙を殿下にお渡ししようとしておりました!」
続々出てきた物品のうち、警備兵が四つ折りの紙を恭しく両手で持った。私へと差し出してくる。
「なくさぬよう、短剣と同じ場所に手紙を入れておりましたが、決して短剣を取り出そうとしたわけではありません……!」
潔白! 取り出そうとしたのは手紙! 手紙なんです! と訴える茶髪の警備兵の目が血走っている……!
「……わかったから落ち着きなさい」
「は!」
手紙を持ったまま警備兵がビシッと姿勢を正した。
それにしても……。
私への手紙……? ――移送されたヒューから、とか?
でも移送される囚人の手紙を警備兵が預かる? 収監される前のヒューから、だったならともかく。
一体、誰から……。
まずは差し出された手紙をまじまじと見つめてみる。
「!」
――すぐにわかった。
私は手を差し出して、手紙を受け取った。
近くで見ると、よりはっきりした。
四つ折りにされた黄色がかった紙の表面に、文字が記されている。
日本語が。
『オクタヴィアへ』って。




