紅茶令嬢
紅茶に関する描写がありますが、あくまで作者の主観によるものです。また、設定が甘くなっています。
わたくしは一口紅茶を口に含んだ。
「駄目ね」
眉を寄せ、判定を下す。
「次はどうしたらいいかしら?」
ティーカップをソーサーの上に戻し、しばらく考える。頭を使う作業は苦手だけれど、紅茶に関することなら話は別だ。
「レティ様、休憩しませんか?」
「ええ、そうするわ」
そしてわたくしは、簡単に片付けながら考える。
今日は何がいいかしら。
「ルエラは何か飲みたいのはあるかしら?」
「特にはありませんわ」
「どうして?」
「レティ様のお茶は、美味しいですから」
「……好みは大切よ」
ルエラは常にコレだ。
勿論、自分のお茶を褒めてもらえるのは嬉しい。でもその人に合った、その人が好きなお茶を淹れたい。
「では、お茶菓子の準備をします」
「お願いね」
ルエラは立ち去って行く。
彼女が任せてくれたのだから、しっかりしないと。
「そうだわ」
わたくしは思いつく。満面の笑みを浮かべているのが、自分でも分かる。
そうと決まれば、早く行動してルエラのところに行こう。
ここは茶館。
新鮮なお水は十分にある。そのお水をケトルに移し、火に掛ける。
半端な温度では駄目だ。発酵が浅い茶葉、高温では渋みがきつく出る場合はやや低温がベストである。
しかし基本的には、沸騰したお湯を使う。そのお湯だと茶葉がジャンピングして、茶葉の成分がよく出るのだ。
またティーポットを使う場合は、茶葉を入れる前に湯通ししておかないと、熱湯を注いだ時に温度がかなり下がってしまう。……注意しなくてはいけないわね。
ポットは陶磁器か銀製の物。カップは紅茶の色を楽しめる内側が白く、香りが広がる浅い形の物。
それらの物をトレイの上に乗せ、綺麗に歩く。
向かう先はわたくし専用の部屋である。
さて、この“トレイ”はわたくしが考案して、お父様が職人を呼んで作った物なの。
わたくしも所謂“転生者”なの。
わたくしの身近にはそういった方が多いのよ。わたくしのように好きな分野でのみ使う人もいれば、全ての分野で活用する人もいるし、何もしない人だっているわ。
これからの話は医師を呼ばれそうだから誰にも話してないわ。
この世界は“乙女ゲーム”でわたくしの役は“悪役令嬢の取り巻き”なんてことも。その“悪役令嬢”が仕事をしなかったので、わたくしも役から外れたことも。
ところで、わたくしに前世の記憶は殆どないわ。あるのはこの世界が“乙女ゲーム”であることと“紅茶”についての知識だけだったの。
この世界で自我を持ち始めて愕然としたわ。紅茶の歴史が浅いのよ。わたくしは美味しい紅茶を作るのに、専念したの。……暫くして、ここが“乙女ゲーム”の世界だと気付いたくらいよ。
取り敢えず、前世の知識のおかげで美味しい紅茶を飲めるのは幸せだわ。
「――レティ様」
「有難う、ルエラ」
ルエラが扉を開けてくれたので、ササッと入室する。
「そのお茶はダージリンですか?」
「ええ、そうよ。今年のダージリンは素晴らしいの」
「楽しみです」
ルエラの笑った顔は可愛いわ。いつもそうだといいと思うの、と言うと照れてしまうところも可愛い。
テーブルにお茶のポットとカップを並べながら、見えないように笑う。
ポットを傾け、お茶を注ぐ。やや濃いオレンジ色の液体と共に、ふわりとした香りが立ち上る。
「美味しいですわ」
ルエラが柔らかく微笑む。
ダージリンのセカンドフラッシュは、味、コク、香りが最も充実した最良品となる。尤もファーストフラッシュの方が希少価値が高いことで有名で、“紅茶のシャンパン”と呼ばれている。
しかしセカンドフラッシュのマスカットフレーバーと呼ばれる爽やかな香味は格別だ。
「レティ様のお茶は好きですわ」
「有難う」
にっこり笑って返す。わたくしは自分のお茶が褒められることを、何よりの喜びとする。
「どうしましたの?」
ルエラは賢いわね。
わたくしは問いに答えず、カップに口を付ける。
美味しいわね。上手に淹れられたようで満足だわ。
「実は……」
言いたいのに、言いたくない。異なる2つの気持ちのせいで、結局言えずに口を閉ざす。
ルエラは呆れた顔をしてわたくしを見た。
「縁談話だと思いますが」
「ッ‼ どうして……?」
「レティ様はそのお話の時だけ、口が重くなりますもの」
ルエラは賢いわね。
分かっているならと、あっさり認めた。
「ええ、そうよ」
わたくしは溜め息をついてから、説明した。
「要約しますと、財産目当てでしょうか」
「だと思うわ。でもお断りするにしても理由が必用なのよ」
「同じ爵位ですからね」
お父様を通してわたくしに来た婚約話。
相手の方の爵位が低かったなら、お断りしたの。今までと同じようにできたから。
でも今回は違うわ。お父様も相手の方も同じ伯爵位。
断るなら余程の醜聞、或いは恋仲の人がいなくてはならない。そしてわたくしにはそのどちらもない。
「いつかなるとは思っていたけれど、早すぎるわ」
わたくしの家、コーウェル家は他の伯爵家と何も変わらない。少し貿易を嗜んでいるだけだ。
わたくしは幼い頃に、紅茶の魅力から目が離せなくなった。そこでお父様に誕生日プレゼントの全てを、お茶に関する物にしてもらった。
茶器、茶葉、最終的には茶館。
お父様の趣味だったお茶が、わたくしの生き甲斐となった。ぼんやりと日々を過ごしていたわたくしにとって――少し大袈裟だけれども――、あの出会いは人生を変えた。
お父様が貿易を行い、その土地特有の茶葉や水を手に入れる。わたくしはそれを用いてお茶の研究をする。お母様がそのお茶を振る舞い、社交界に広める。今ではお兄様が伯爵家としての責務に取り組んでいるため、お父様は安心して貿易に取り組める。
家族――いえ、伯爵家に関わる全ての人たちが協力している。10年を経て、莫大な財産を築いた。
――それは努力の賜物。絆の証。
だからわたくしは、茶館を訪れる人たちを歓迎する。わたくしたちは繋がりがあると信じているから。
このような経緯で、我がコーウェル家は伯爵家の中でも上位の財産とそれなりの人脈を持つ。
結婚をして、その財産を自由に使おうと考える人が出てきても不思議ではない。
「情報操作はしていたのに」
「今は内政が荒れてますから、どこも財産を欲してます」
「どうして……あぁ、あの王子のせいだわ」
「はい、あの王子のせいです」
わたくしたちが“あの王子”と言っている方は、我がグレンフィルの第二王子、アルフォンス殿下のことよ。
先日、根も葉もない話があったの。
何でもアッシュホード家のアナ様が、ミーリック家のエリカ様を虐めたらしい。
後日、日を改めて聞くと“アナ様が虐めた”と確定していたわ。
はっきり言ってあり得ない、と思ったの。わたくしだけではなく、アナ様とご友人だった方はみんなそう思っているわ。
アナ様は身近におられた、エド様を気になっているのがわたくしたちには分かったもの。殿下が“婚約破棄”とおっしゃっれば、アナ様は特に反対をなさらなかった筈よ。
理由の前に、アナ様との出会いね。
アナ様――アナスタシア様とは、友人なの。わたくしの紅茶がお気に召されたらしく、アナ様とお呼びできるようになれたのよ。伯爵家の娘が公爵家の娘と関わるには、紅茶の存在が必要だったわ。
他の令嬢とも紅茶繋がりで様々な方がいらっしゃるけれど、例えば紅茶好きなのに無理をして……。まぁ、わたくしは苦い飲み物は苦手だからいいわ。
そうそう、今はアナ様だったわね。
結果、学院は荒れ放題。わたくしたち生徒は一時的に実家に返されたわ。そうでなくとも、殿下方のやり方に不満があった上位貴族の方々は、早々に引き上げてしまったもの。
アナ様は国外……隣国、アルビストを訪れたらしいわ。相変わらず、アッシュホード家は迷わないわね。
何故か王宮にいらっしゃるようだけれど、アナ様が幸せならいいわ。
わたくしがアナ様に動向を知っているのは、アッシュホード家の方々もこの茶館をご利用なさっているからなの。公爵家にまで広がっていると鼻が高いわ。
でも残念なことに、殿下の情報はわたくしのところにはないの。わたくしの友人なら知っている人もいると思うけれど、今のわたくしには情報が流れて来ない。どこもかしこも自分のことだけで精一杯だもの。
経緯を思い出し、納得する。
「だから、コーウェル家の財産なのね」
「はい、できることはそれくらいですから」
「本当に何を間違えて公爵家に喧嘩を売ったの」
溜め息をついて、カップに残った紅茶を飲み干した。
今日は朝から憂鬱だわ。
「レティ様、お美しいですわ」
「いつもなら嬉しいわね」
「それか、あの方とお会いした時でしょう?」
わたくしは横を向いて無言を貫く。
「もう、行くわ」
わたくしはトレイを持って、婚約者候補の待つ部屋へ急ぐ。
「いえ、今回はお控えください」
「……そうだったわね」
わたくしはお茶を飲んでいる人を見るのが好きなの。だからお茶の支度はわたくしがすることになっているわ。正式な場や初対面の方は違うけれど。
喜んでくださるといいわね。
ルエラが素早く丁寧にトレイをテーブルに置く。
標準装備の笑顔を向けて、礼儀正しく挨拶をする。
客人である付き人であろう人が紹介する。
「こちらが、レヴェリッチ家のランバート様でございます」
「お初にお目にかかります。わたくしはランバート・レヴェリッチと申します。本日はこのような席を用意してくださり、感謝申し上げます」
爽やかな笑みを浮かべているが、目は笑っていない。
わたくしも同じだからかしら。そもそもわたくしは反対しているし、席を用意したのは仕方なくだわ。
“目指せ、婚約破棄”よ。あら、まだ婚約していなかったわね。
こちらは執事に紹介してもらう。
「こちらが、コーウェル家のレティーシャ様でございます」
「ご紹介に預かりました、レティーシャと申します。本日はよろしくお願い致します」
わたくしたちが席に着くと、お茶が目に入る。
ランバート様がカップを持ったので、さりげなく見る。どんな反応かしら。
今回は、ニルギリ。明るい鮮紅色の水色、味が強く特有の芳香を持っている。ストレートでもミルクを加えても楽しめる。
「……美味しいですね」
「有難うございます」
この方の飲み方はあまり好きではないわ。
そう思ってカップを持つ。
紅茶は飲む前に、味と香りを楽しむもの。そのお茶に合わせてカップを使い分けている。
しかしランバート様はそのどちらもせずに飲んでしまった。それでも美味しいと思ってもらえるなら、構わないわ。
ランバート様は社交辞令のようにおっしゃったの。それが悲しい。
まだ不味いと言ったり、顔に出したりする方がいいわ。わたくしも次は美味しく淹れようと思えるから。
たまにいるのよ。ランバート様みたいに紅茶の価値に目が眩んで、紅茶を楽しまない人。
わたくしはそれが何よりも嫌い。
相手は気付かないと思っているのかしら。紅茶はわたくしのテリトリーなのに。
そうでなくとも、わたくしは貴族令嬢。対面相手の心理なら少しは読めるのよ。
そんなことを考えていたからか、あっという間に時は過ぎた。
これで終わりだろう。わたくしはそう思っていたのだけれど……。
「また、このようなお時間があればよろしいですね」
「ええ、そうですね」
わたくしにはこの返答以外にできないわ。
「婚約の話はご存じですか?」
ズバリと切り込んできた。
互いに付き添いの者は離れているため、この声では届かないと知った上でやっている。
それが不快で堪らない。
「何のお話ですか?」
知っていたら、更に話は深くなりそうね。お父様に直接お聞きした訳ではない。だから嘘は言ってないわよ。
「お父君はまだ話されてないようですね。実は――」
「――ランバート様、そろそろお時間ですわ。お忙しい中、来ていただいたのです。わたくしの事情でランバート様のご予定を変えたくありませんわ」
「……そのようですね。――いい話になることを願います」
わたくしはひたすら、笑顔だった。
ランバート様が退出なさるまで。
「あれはどういうことなのっ‼」
わたくし、腹が立って仕方ないわ。
「どうして同じ爵位なのに、主導権を握っているのよっ‼」
「レティ様、これからはああいった方々が……」
「知っているわよ。でも、それでもねぇ」
わたくしは息を吐き出して気を静める。
「――ルエラ」
ルエラにカップを渡す。彼女はわたくしに1番関わってきたためか、彼女の淹れる紅茶も美味しい。
それを無駄にすることは、暴挙だと思っている。
紅茶の香りは優しい気持ちにさせてくれるわ。落ち着いて考え事が出来そうね。
「――わたくし、結婚したくないわ」
「……ですが」
「分かっているわよ、いつかはするわ。でもそれはもう少し先の話にしたいの。断れなかったら、大人しく嫁ぐわ」
「言い換えれば、断れなくなるまでは嫁がない、ということになりますが」
「ええ、そうよ。――わたくしはあの方以外に考えられないの。身分は弁えているわ、あの方は侯爵家の方だから」
わたくしは自嘲気味に笑う。
叶わないと分かってする行為は、無意味だわ。理性では割り切っているのに、感情が追いついてくれない。
「……レティ様」
「大丈夫よ、紅茶は幸せを運んでくれるもの」
ルエラの悲しそうな顔を見ながら、返せたのはわたくしの気持ちだった。今まで当たり前のように口にしていた言葉。
それなのに、どこか切ないの。
「仕方ありませんわね」
「? 何が?」
「いえ、お気に召さらず」
ルエラの様子がおかしいけれど、彼女は答えないと決めたら答えない。
カップを覗き込む。そこに映ったわたくしは不安そうな顔をしていた。
翌日、お父様が茶館へ駆け込んできた。
「どうしたの、お父様。……お茶でも飲めば落ち着くわ。ついさっき休憩に入ったのよ。運がいいわ」
カップを取り出し、お茶を注ぐ。
「ど、どうしたって‼ あぁ落ち着いてる場合じゃないんだよ。だってまさか……」
わたくしが差し出したカップを、勢い良く煽る。
……異常だわ。
お父様の紅茶の飲み方は好きなの。色を楽しみ、香りを堪能する。
そのお父様が。
ごくり、と唾を飲み込んで緊張しながら訊ねる。
「どうしたの、お父様」
最初に言った言葉だけれど、重みが違う。
「また、婚約の話がきた……」
それなら予想していた。今更慌てる必要はない。
余程相手が悪かったのだろう。
「今回は断れない。――顔合わせしてすぐに婚約の運びになる」
「――ッ‼」
自分でも驚いてしまった。覚悟していても、実際に持ち上がると戸惑う。
「家柄、は?」
お父様がこんなに言う相手は一体誰なの。どれだけの醜聞を抱えているのよ。
「……家」
モゴモゴとして聞き取れない。
「もう1度お願いします」
「――侯爵家‼」
緊張して損したわね。
「……あり得ないわ」
「本当なんだって。僕にも何がどうなってるんだか」
半分泣きそうになっている。
お父様は貿易で交渉もしているのに、貴族間のやり取りが苦手である。逆にお母様は学院――王立ラッテリンク学院――での人脈である程度の地位を築いている。
宥める術などわたくしは知らない。自分の婚約者の方が重要である。
「どなたなの?」
「ミ、ミルバーン家の、ウィルフレッド様……」
「は?」
「ウィルフレッド・ミルバーン様‼ 兎に角、見合いは3日後、覚悟しておいてね!」
「え、あの、ちょっと。……お父様‼」
わたくしが戸惑っている間に、お父様はさっさと退出した。
「え、これ。どうするの」
散乱した思考をまとめてほしい。
わたくしの口からはそんな願望が零れ落ちた。
ストンと椅子に座る。
「……ルエラ。意味、分かったら教えて」
「ミルバーン家のウィルフレッド様とのお見合いを3日後に控えてらっしゃいます」
「わたくしが“ウィル様”と呼んでいる……?」
「他にミルバーン家のウィルフレッド様とに聞き覚えがありますか?」
「…………ないわね」
ルエラを見ると紅茶を飲んでいる。
少し考え込む。結論として、余計なことを考えてこの時間を無駄にはしてはいけないわ。
わたくしもルエラとお茶を楽しもう。
立ち上る香りに微笑んだ。
月日が流れるのは早い。
2回目のお見合い当日である。
「ねぇ、本気なの?」
「少なくとも、お相手は本気のようですわね」
「……頭が痛いわ」
「良かったですね、意中の方がいらっしゃるなんて」
「………………………今まで来なかったくせに。前は沢山来てくれたのに」
「それは、いえ。そんなことよりレティ様、お急ぎくださいませ」
何か言い掛けて止めたなら、ルエラは知っているのだろう。……益々面白くないわ。
深呼吸をして気持ちを入れ替え、優雅に歩き出した。但し、手にはトレイを持って。
扉が開かれ、会釈する。
「お待たせしました、ウィル様」
テーブルに手早く、ポットとカップを並べる。
「お久しぶりですわね」
「あぁ、本当に」
ティーセットに目をやり、くすりと笑う。
「本日はどのようなご用件でしょう」
標準装備の笑顔で対応する。
ウィル様は苛立ったような、不機嫌そうな顔をした。わたくしが作り笑いを浮かべているのが、気に食わないのだろう。
分かったからといって、止める義理はないもの。わたくしも怒っている。ウィル様はそれを分かってない。
「婚約の話だ」
「お受け致します」
ティーコジーを外す。そろそろいい頃合いだ。
ほっと肩の力が抜けたような雰囲気が漂う。
―――甘いわ。
「と言う前に、お茶をどうぞ」
先ほどからお茶を準備していた。早く飲まないと冷めてしまう。
「美味しい」
「有難うございます」
ウィル様の飲み方は好きだわ。本当に美味しそうに飲んでくださるもの。何よりわたくしがお茶を出しても、不機嫌にならないわ。
わたくしのこの振る舞いが貴族らしくなく、不名誉な噂が流されているの。だからわたくしの周りの人たちは限られているわ。
それでも、紅茶からは離れられないのよ。
ウィル様はそれを分かってくださる。だから好きになったの。
今回はアッサム。
甘味の強いコクのある味わいと、濃い赤褐色の水色、奥深く芳醇な香り。セカンドフラッシュはアッサム特有のコクのある最良品の紅茶となる。
「……わたくし、怒ってますの」
お茶を飲んでから、言葉を発する。
「? 何故だ」
この人は本気で言っているのだ。わたくしがどれだけ心配したか、分かっていない。
「どうして、来なくなりましたの?」
「……それは準備があったからだ」
わたくしが問おうとしたら、ウィル様は更に言葉を続けた。
「身分があると思っていたんだが、家族はその気で……。俺のしていたことは無意味だった、らしい」
……何やら自身の中で完結しているようだわ。
「どのようなお話でしょう?」
「婚約」
「どなたとの?」
「レティとの」
「お相手は?」
「俺」
そうなの。婚約をするのね。
「おめでとうございます」
「……何故レティが言う?」
「婚約をなさるのでしょう?」
頭を抱えてしまったわ。大丈夫かしらね。
……復活したようね。真面目な顔で何を言い出すのかしら。
「俺と君の婚約だ」
駄目だわ。
「自身のおっしゃった言葉はお分かりですか?」
ウィル様は苛立ったように言った。
「俺と、君の、婚約だ」
「ですが、レティ様とは」
「君もレティだろう。それとも、レティーシャ嬢と言った方が分かりやすいか」
思考が、停止した。
「わたくしは伯爵家ですわ。侯爵家のウィル様とは釣り合いが取れません。そ、それにわたくしの行いは……」
「その身分は全く問題にならない」
「どうしてです」
「君が言ったんだ。『婚約者との身分差はない方がいい』とな。だから伯爵家の現状を調べさせてもらった」
止めてほしい。期待してしまう。
既に捨てた筈の想いが受け入れられると、思ってしまう。
「よくこれだけの財産を築けるな、感心する。これからもっと婚約話が持ち上がるぞ。伯爵家でも上位だ」
何が言いたいの、ウィル様は。
「――だから、何の問題もない」
わたくしは目を見開いた。唇が震える。
「君の父君には話が通ってる。一応、君の返事を聞こう」
選択肢は、わたくしの前にあって。選ぶのは、わたくしで。
わたくしの想いに鎖も枷も入らないのなら。
わたくしの選ぶ道は唯1つ。わたくしの返答は唯1つ。
その前に1つだけ。
「わたくしはこれからもお茶を淹れ続けますわ。貴族の令嬢らしくない振る舞いとは承知しております。それでも構わないのでしょうか?」
ウィル様はキョトンと効果音が付きそうな顔をした。
それからまるで仕方ないなとでも言いそうな、苦笑に変わった。
「俺は君の淹れるお茶が好きだ。どうしてそれを奪わないといけないんだ?」
彼は目の前にあるカップに視線をやり、こちらを見た。
「構わないどころか、好きにしてくれていいよ」
「喜んでお受けします」
わたくしの幸せは紅茶だけでは成り立たない。
“Fragments of the happens”。それがこの“乙女ゲーム”の名前。意味は、幸せの欠片たち。
わたくしの幸せは紅茶に関わる全てが与えてくれる。
味と香り。努力と絆と友人。
中でも特別なのは、貴方なの。
わたくしはわたくしの意志を貫いた。後ろ指を指されてもわたくしは変われなかった。貴方はありのままのわたくしを愛してくれた。それが嬉しくて堪らない。
珈琲に魅了された彼女は愛する人のために自分の意志を曲げた。そんな真似はわたくしには出来ない。彼女は強い。どうか、彼女にも幸せが訪れますように。
紅茶は幸せを運んでくる。
ウィルフレッドとルエラの、その後のお話。
~紅茶を嗜んで~
「いやぁ君のおかげで助かったよ、有難う」
「わたくしから情報を流さなくてもお分かりでしょう」
「レティの傍にいるのは君だからね。1番確かじゃないか」
「……レティ様を泣かせたら、許しませんので」
「当たり前だよ」
「だといいのですが」