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中編・彼・祐司・高き塔、愚者のように登れ

 自分にしかできないこと。

 世界中には七十億人もの人間がいるという。老若男女、人種や宗教、様々な違いがあるし、今死ぬ人も今生まれた人もその中にカウントされているが、七十億という数は想像することができないほど非日常的で膨大だ。

 祐司と同じ年代の人間がどれくらいいるだろうか。幼い祐司の頭でも一億人以上はいるだろうと予想できた。だってゼロ歳から七十歳までで一億人ずつくらいいれるし、あんまり年をとった人は死んでいるだろうからだ。

 じゃあ、一億個くらい人間にすることがあれば、一人一つずつ専門にしていけば祐司のすべきこともおのずと見つかる。けれど祐司は一億個もすることを見つけることができなかった。

「……三島さん、ほむさん、僕がやるべきことってなんでしょう?」

 ほむさん、というのが彼の愛称であるホームレスだからほむさん、という呼び名を彼は異常なほど嫌ったが、彼には祐司に暴力を振るう術がなかった。

「すべきこと? んなもん知るかってーの」

 卓が素っ気なく答え、また彼も素っ気なく言う。

「変身だろ。巨大な腕になって何もかも押し潰すんじゃねえのか?」

 確かにチェンジャーの三人だ、チェンジャーの変身こそが最大の個性で、人には真似できない能力といえる。

 が、祐司は納得していなかった。

「僕の能力なんて、ブルドーザーとかクレーンとかでできると思うんです。だって力でどうにかすることしかできませんから」

 祐司が一生懸命考えた結果がそれだった。力仕事なんて今更変身する必要もなくできることだ。石油や電気を使わずにできるのだから凄いけれど、それだってたくさんの男の人が努力すればできる。それを一人で楽にできるから凄いのだが。

「んなこと言ったら、俺の吸収能力だって同じだろうが? 燃やせばなんとかなるし、時間をかけりゃなんでも元通りになる。そんなもんだよ、テメェにしかできねえことなんてな」

 彼はそう言って、やがてやってきた玲子に連れて行かれそうになった。

 そこで、祐司は玲子に尋ねる。

「あ、あの玲子さん! その、僕にしかできないことってなんだと思います!?」

 見張り兼移動係の玲子だが、その知恵も知識もこの三人を足した分以上にある。そんな玲子だが、あっさりと言ってしまった。

「変身でしょう? タワーの変身はタワーにしかできませんよ、祐司くん」

 それを聞いて、祐司はがっくりと肩を落とす。

 玲子が彼に何があったか尋ねるも、彼は首を振った。


 彼は全然出かけない時もあれば、全く帰ってこない日もある。時には三日間ずっと帰ってこない時があったくらいだ。

 それで彼が帰ってこない夜遅く、真っ暗な中で祐司は呟いた。

「……僕にできること……?」

「お前、まだそれ考えてんのか?」

 まさか卓が起きているとは思っておらず、祐司は驚いて眠りかけの目が開けた。

「起きてたの?」

「まだ十二時にもなってねえぞ。ガキじゃねえんだから……」

 連日、うわごとのように呟き続ける祐司に、いい加減卓も相談に乗ろうと思った。これ以上呟かれては卓が精神異常を起こしてしまう。

「お前にしかできねえことだよな? だったらあれだろ、図工とか美術」

「何それ?」

 適当に言った卓の言葉を祐司は聞き返す。祐司にとって図工とは、小学校で作った自由研究の貯金箱と、リアルな絵くらいしかない。

「絵とか、彫刻とかそんなんだ。なんか、感性とか一人一人違うから、お前にしか作れねえんじゃねんお、そういうの」

「んー、僕、そういうのあんまり得意じゃないけど」

「じゃあ音楽とかどうだ? あと指紋とか、DNAとか」

 もう見当違いの方向になってしまった卓を無視して、祐司は考えた。

 芸術、美術や音楽、裁縫やデザイン建築なども含むことができるだろう。

 ますます祐司は不安になった。別に得意な科目など彼にはなかったのだ。

 うーんうーんと唸る祐司、卓の安眠はまだ先になる。


 そして彼が戻ってきた時、卓が玲子に文句を言った。

「おいセンセー、祐司に才能なんかどうだっていいって言ってくれよ」

 うんざりした様子の卓に、祐司は少し悲しそうな顔をした。

 玲子は事情が分からない様子で、看守と話を通しこの場で話してみることにした。

「一体、どうかしたんですか?」

「あのな、祐司はなんかホイールオブフォーチュンに言われたっぽくて、なんか最近自分にしかできないこととか、やるべきことってのに集中してんだ。でも、なにしたらいいか分かんねーんだと」

 言い終わると、卓は俺の役目は終わったと言わんばかりに寝転がった。

 玲子は祐司をじっと見ると、その真剣な目を見て察した。

「やるべきこと、ですか?」

「……はい。みえるさんに言われたんです。このままじゃ駄目だって。でも、僕は何をどうしたらいいのか分からなくて……」

 ちょっと考えた後、玲子は迷うように言った。

「普通、人ってやりたいことをやるものじゃないですか? やるべきことがあるからそれに従事するのでは、獣と同じですよ?」

「えっ! それってどういうことですか?」

 驚き尋ねる祐司に、玲子は答える。

「人はしたいことがあるからします。それは苦手なことでも、無意味なことでも、です。それが獣と違うところですよ。だから祐司くんも、しなきゃならないことではなくて、したいことを考えてみてください。」

 それはみえるの言うことと対立していた。けれど、玲子の言うことが正しいと祐司は感じた。

「僕の、やりたいこと?」

「ええ、考えてみて」

 考える間もなく、祐司は立ち上がって格子に掴みかかった。

「星奈さんに会いたーい!!」

 それは欲求の中でも、人が制御すべき性的欲求だ。玲子は苦笑して、それを止めた。

「その次は?」

 そこで祐司は考え始めた。

 別に祐司は絵を書きたいわけでも音楽を作りたいわけでもないし、タワーの能力を利用したいわけでもない。

 だが星奈に会いたい以外にしたいことを問われても、祐司は答えられない。

 家族はもういない。帰る家は半壊。むしろ現実逃避するために星奈のこととやるべきことを考えていたと言ってもいいほど、今の祐司は追い詰められていた。

(……僕が、したいこと……? 星奈さんがいなくてもしたいこと?)

『あるだろ、祐司ぃ? いじめっ子の野郎どもを全員ぶっ殺すんだよぉ!!』

 玲子の視線が強くなり、きっと睨むような形になった。

(あなたが、彼をかどわかしたのですね? ……次に何かあったら、命はないと思いなさい)

『おーこわ。やらねーよ、こいつが望んだこと以外はな。どうせできねえし、けけけっ!』

 タワーは少しも悪びれずに笑う。玲子は異世界の彼らのことを知る術を自ら断ってしまったために少しの後悔があるが、すぐに笑顔を取り繕った。

「お金のことは心配しなくてもいいんですよ? 私、これでも儲けていますから、経済支援ならいくらでも惜しみません。お二人も、ですよ?」

 玲子は卓と彼にも視線を送る。卓はマジで!? という顔で寝返りを打つが、彼は射殺すほどの殺気を込めた視線を返した。

「そ、そういえばお金があっても使えませんよね……、嗜好品くらいなら使えるように取り計らいますよ? あなたを憎む以上に尊敬している人がこの世にいますから」

 実際に数多くの有害物質を何の手間もなくこの世から消し去れる彼の能力は、彼が働けば働くほどに犠牲になった人以上の人間を将来救うことになるのだ。

 けれど今生きている人達がそれを許すとは限らない。結局彼は退屈そうにそっぽを向いた。

 気まずい雰囲気に負けず、玲子は去り際に一言残す。

「では考えてみてください。あなた達が、誰かのためにしてあげたいことを。私はそれを応援しますよ」

 三人は残されて、ぽつりぽつりと言葉を交わす。

「したいことか。俺にはねえや。ほむさんと祐司は?」

「……知らねえな。俺は世界中のために役立つことが全然嬉しくねえんだよ」

 彼は素っ気なく言う。その真意は隠して。

 祐司は考えた。玲子の言う通りに、星奈がいなかったとしても自分でしたい何か、それを探そうとしたがやはり見つからない。

「おい、聞いてんのかよ祐司?」

「聞いてるよ! でも、分からないよ……」

 珍しく語調を強める祐司に二人は少し驚き、黙ってそのまま寝転がった。

 祐司も横になって考えるが、静寂と暗闇が思考する頭を染めていき、そのまま眠りに落ちてしまった。

 

「……主、坊主、坊主、起きているか?」

 祐司の右隣の部屋、なるべく小さな声を出している彼の声が祐司の耳に届いた。

「えっと、んー? ほむさん? どうしたんですか?」

「お前に、俺のしたいことを教えてやろうと思ってな」

「えっ!?」

「バカ、デカい声を出すな。卓の馬鹿に聞かれたくねえんだよ」

 祐司と彼は牢の端によって、互いに十センチも離れていないほどの距離にまで近づく。

「ほむさんがしたいことって何? もしかして、世界征服とか?」

「ガキじゃねえんだぞ、馬鹿にしてんのか?」

 ちょっと強めの語調で彼が言い、そして祐司が黙ったのを機に、勇気を持ってそれを言った。

「……火野札市の北の方にでけぇ公園があるのは知ってるな?」

「うん」

「そこに、たくさんホームレスがいるのは知ってるか?」

「うん、遊んでるとたまに睨んでくるの」

「あれはな、睨んでるんじゃなくて羨ましがってんだ。そうか、お前じゃなくてお前の奥を見ている」

「奥?」

 祐司が純粋な疑問符を浮かべると、彼は普段と違うしめやかな雰囲気で語る。

「ああ、楽しそうな奴の姿を見て、俺はどうしてこうなったのか、とか俺はこうしているのが正しかったのか、とかそういうことを考えるんだ。お前を見ているようでも、もうお前を見ていない」

 祐司には彼が何を言っているか少ししか理解できなかった。けれど彼が大切な何かを語ろうとしていることが分かったから、じっと話を聞こうとした。

「……それでだな、祐司。俺のしたいことは、そういう奴らをみんな助けてやることだ」

「……助けるって?」

「ああ。家を用意してやるだろ。温かくて綺麗な布団、カビがなくて、(にお)い嗅いでもうえぇっとならないような奴だ。次に飯、ゴミが浮いていない水、いい匂いの食べ物、それだけで充分だ。そんで勉強もしてほしいな」

「勉強?」

 その壮絶な、祐司には想像もできない話の中だが、急に出てきた言葉に祐司はつい疑問を呈した。

「ああ、勉強だ。俺は文字が書けないし読めない。今世界中でいろんなゴミみてえなもんを失くしているが、なんでそれが役立っているのかも、その必要があるかどうかも分からねえ。せめて自分のことが分かる程度に勉強がしたかったが、あいつらはそれができねえんだ」

 祐司も一回くらいは学校で聞いた話だった。世の中には食べたくても食べられない人がいるからご飯を残すな、だとか勉強したくてもできない人がいるから、ちゃんとやれ、のように命令文が必ず後に続いたが。

 だが今それを話しているのは、そんなに口うるさくないホームレスの彼で、その言葉が彼から出ることが祐司にはとても奇妙で、そして真に迫るものがあった。

「……そう、なんだ……」

「ああそうだ。テメェも何か他人のことにしたいことの一つや二つ、すぐ見つかるさ。俺だってあるんだからな」

「……うん」

 祐司はこれ以上重い空気に耐えられず、言葉を続けることができなかった。

 そして牢の中、そっぽを向いて寝転がっている卓は、静かにその言葉を聞いていた。


 祐司と卓と離れ、玲子の監視下でゴミを処理する彼に、フールが尋ねた。

『今日の朝はどうしたんですか? なんか本音でマジでしたよ?』

(うるせぇ。なんだっていいだろ?)

『理由くらい教えてくれたっていいじゃないですか。私達は一心同体、いや二心一体ですよ!?』

 怒りだしたフールは、急に彼の弱気な感覚を受け取る。その日の朝、祐司に話しかけた時と同じ感覚だ。

(……もう、先が長くねえんだよ。この年になって、世界中びゅんびゅん振り回されて、ガタが来たって分かっちまう。どうせ死ぬなら、な)

 フールは一瞬頭が真っ白になった。それでも拙い言葉は出てきた。

『……そんなこと、言わないでくださいよ。あ、あなたが死んだら私も死んじゃうじゃないですか!?』

(そうだな。けけっ、道連れだ。悲しいか?)

 嘲る彼にフールは叫ぶ。

『そんなんじゃないですよ!! 私は! 私が死んでもあなたは……嫌、です、そんなの……』

 彼も言葉を失う。いつの間に愚者はこれほど献身的になったものか、と頭を捻らせた。

『そうだ。玲子さんに言いましょう! 体が弱ってきたから休ませてもらいましょうって!』

 フールの回復した精神と明るい感覚が彼に流れる。それが次言葉を送る彼の心を少し病ませた。

(そりゃ無理だ。今更休んでも大して変わんねえし、何より決まりだからな。……弱肉強食のな)

『い、嫌です! だったら今からどんどん食って、この星を食い尽くして、それで……』

(本っ当に馬鹿野郎だな、お前は!)

 彼の一喝にフールは黙り込む。

(俺はもう同じ過ちは犯さん。こんな人を助けられてるかどうかも分からん作業は不服だが、今更復讐なんざもっとだりぃ! んなことしたかねーんだよ!)

『でも……でも!』

(でももへちまもねぇ。人間死ぬのは絶対だ。その前に、俺はやるべきことはやったよ)

 彼は粛々とした雰囲気でフールにそう語った。

(人間ってのは、死ぬ前にしたいことをして死ぬ生き物だ。俺はだからもう満足さ)

 フールはそれでも、納得できなかった。

 ホームレス・ネームレス 69歳 身長185㎝ 誕生日不詳

家がなく、名前がない。公園に住む二人のホームレスから生まれたホームレスで、ホームレスの中ではオサと呼ばれて敬われていた。生活は野良犬の生活を想像してくれればそれと同じである。生きるためなら盗みだってしたし変な虫を食って腹を下すとか、人を食って罪悪感に苛まれることもあった。火野札市に炊き出しがないのが原因とも言えるだろう。

 二十歳頃にホームレスで街の襲撃計画を練るが、当時敏腕警部であった権座久十郎の対ホームレス計画によって互いに気付かず邪魔されていたため、結局この年まで公園で生き続けることになった。実は仇敵を殺せていたのだ。

 この話の一年後に彼は命を落とす。享年約七十歳、祐司の授業を卓とともに聞いている時に、静かに倒れた。彼の死は祐司と卓の人生を大きく変えることになる。最後彼は恨みつらみではなく、夢と理想を掲げて死ねた。


 フール

 黒髪黒肌ポニーテールの戦争派を最も最初に提唱した女王。理由は一回戦争に勝って調子に乗っただけ。隣接していたタワーとチャリオットに根こそぎ領地を持っていかれて国がなくなるという経験がある。

 踊り子でダンスマジックという術が使えるが、相手を幻惑するもので、彼女には宝の持ち腐れであった。

 ちなみに一度彼に対して『私は家族や民のために……』と偉そうに言ったが、家族のためは甥っ子が『あの玩具欲しい』とかいうのを叶えるために悪政を敷いたもので、タワーとどっこいどっこいの屑でもある。

 裏切られたことと自分の弱さから疑心暗鬼気味でこびへつらう姿勢を取っていたが、強い彼の姿に憧れ、尊敬し、信頼し、そして時に彼を叱責するほどに相性のよいパートナーとなる。彼の死に際して、自分が消えること以上に彼が死んだということを受け入れられず発狂しかかっていた。

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