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悪、滅びる

 工場地帯に程近い火野札市の南側、南浅木にある泉谷と銘打たれた一軒家の前に、星奈は立ち尽くしていた。

 鉄の門も玄関扉も開け放たれており、屋内から不自然に流れ出る風に背筋に悪寒が走る。

 もはや星奈がチェンジャーではないただの人間だったとしてもこの場に来ればその異常を感じ取ることができただろう。ビシビシと張り詰めた空気と肌を刺す雰囲気、そしてそれを直に感じ取るスターの恐怖が心に伝わる。

『……星奈、用心するんだ』

 それは目の前の巨大な敵だけではない。移動を始めたホイールオブフォーチュンとデビルがこちらに接近していることも含めての言葉だった。

(うん……お話、できるかな?)

 体を乗っ取りかけた傲慢に手をかけることすら厭う星奈は、この期に及んでもそう思った。スターはそれを諌めようかと思ったが、言うだけ聞かないと思い言葉を変えた。

『絶対に死ぬな。君はこんなところで死んではいけない』

(うん、千佳ちゃんとも約束したもん。頑張る)

 ステッキを固く握りしめ、星奈は開け放たれた家に一歩踏み出した。

 その空間は幼い星奈が一目見て異質だと感じるほどに奇妙であった。

 階段どころか玄関の段差すらない空間は地面から一切の段差がなく、平屋にひたすら本棚が所せましと並んでいる。

 その本棚すら、上から下まで本が乱暴に積み込まれ、しかも床と本棚の上にまで雑多に本が積まれていた。大きさ、厚さ、文字も様々だが共通することはただ全て星奈の理解が及ぶところにないということだ。

 星奈はそれらを化け物を見るように進んだ。けれど、外で感じた何者をも迫害するような雰囲気と打って変わって、中はむしろ快適と言えるほど涼しく、澄み切っていた。それがまたスターは恐ろしく感じたのだが。

 やがて進むうちに、星奈の視線はとある一点を指すようになった。

 薄暗い一つだけの大部屋の家の中、唯一光が灯されている場所に光史郎はいた。

 いやそれはもはや光史郎ではない。人間でも、この世界の生き物でもない。

 紅く染まった腕の集合体は先ほどの千佳の姿によく似ていた。ならば中身があるはずだが、それは先ほどよりもスマートで腕が絡まることがなく、肉塊を中心にしてそこから無数の腕が生えて、腕を足にして動く蜘蛛のようであった。

 だがその至るところに口があり、時折不気味な赤い歯と毒々しい舌が姿を見せる。腕と口の赤い化け物、それ以上に説明する言葉が星奈には見当たらない。

 それは微動だにせず体中、いや腕中から赤い血を滴らせて魔法陣を赤くしていくが、やがて一本の腕が星奈を指さした。

「オ、オ前ハ、何者ダ?」

 それが意味を成す言葉であるということに最初星奈は気付けなかった。

 深海から呼ぶ声のような、地獄から響くような、低くくぐもった重低音が鼓膜に嫌悪感を張り付ける。星奈は胸元までぐっと何かがこみ上げるのをこらえて、真顔で尋ねた。

「あ、の……あなたは、誰ですか?」

 直視することすら躊躇われるこの世界の異物を目にしても、星奈は目が離せなかった。それがその異物の魔力なのか、はたまた星奈が本能のうちに敵と認識し警戒しているのかは分からない。

「ワ、私ハ、神、だ」

 光史郎はそう答えた。

「神様?」

「ソウ、ダ」

 信じられない物を見るような星奈の目は変わらず驚愕に震えている。ただ星奈にもそれが神ではないことだけは分かっている。

「最強、ノ、私コソガ、神、ナノダッ!」

 そして光史郎だったものは聞かれもせずに語り始める。

「コノ世界ヲ! 私ヲ認メナカッタ全テヲ! 破壊スル! 破壊神ダ! 愚カナ少女ヨ! 死ヌガ良イ!!」

 千佳の時と同様に腕が一斉に星奈の方へと伸びる。上、下、左、右、星奈を囲い込むように全方向に向けられてだ。

 星奈は腕の数倍以上の大きさの分厚い星の板を作り出すが、拳になった腕の一撃はあっさりとそれを突き破り、無数の乱打で星奈を吹き飛ばした。

 十ほどもの本棚がドミノのように倒されていくが、それら全てを倒しても星奈の勢いは止まらず、鉄筋の壁に貼り付けられるようにぶつかって、ようやく星奈は止まった。

『星奈! 無事か!?』

 スターの言葉に、星奈はかろうじて答えた。

(……無事じゃない、かも。体が動かない……)

 かろうじて左手にステッキを持つ力を込めるが、両足は立ち上がれないほどのダメージを受け、右手も動かすことができなかった。

『いけないッ! 星奈! 次の攻撃がくる!!』

 まだ伸びてくる腕に、星奈は先ほど同様に星の板を生み出すが、それに効果がないことは既に分かっていた。

『せい……なんだこの反応はっ!?』

 スターが慌てて叫ぶのと同時に、腕の動きが全て止まった。

「間に合いましたね、スター」

(玲子さん? どうしてここに?)

 星奈の傍に立っていたのは、研究室でリナといるはずの玲子であった。

「ナ、何者ダ?」

 異物の言葉に玲子は全く平然とした風に自己紹介を始めた。

「私タロットカードを持つ者達と人間の協和を目的とする者です。それであなたにも誘いの声をかけようと思いまして」

(ちょ、っと玲子さん……本当に、それ、できるの?)

(さぁ? ですがこれほど強力な力を持った存在を看過するわけにはいかないでしょう?)

 玲子は平然と星奈に告げる。

「……気ニ食ワン、我ヲ止メルナド……死ネ!!」

 止まっていた腕がピクピクと震え始めた。

「おっと、やっぱり私の力でも抑えきれませんね。スター、あれを止めている間にどうにかできませんか?」

(え、なんで? 玲子さんは倒せないの?)

「私は止めるとか封じるとかしかできないんですよ。空間移動とかできるので逃げ出すこともできますが、あなたを死なせるのは惜しいので」

 そう平静を装う玲子だが、腕の震えが増すにつれその焦りの感情がスターにも伝わった。

 俯せに倒れている星奈はなんとか顔をあげ、フールを貫いた時の極小星隕石を腕に一つずつ当てていく。

 だがそこから血が噴き出るのみで腕の震えはますます増えていく。

(ど、どうしよう、スター!)

『ワールドの力で共に逃げ出すより、私は待つことを勧める』

 ようやくたどり着いたデビルは、その全身に炎を纏っていた。

 愛海が腕を伸ばすと、真っ赤な炎が腕を飲み込み、焦がし炭へと変えていく。

 そして愛海は、玲子と星奈を見つめた。

「どういう状況かはよくわかりませんが、あの化け物をどうにかする、でいいんですよね?」

「はいそうです! 初対面ですがデビルは話が分かる人で良かったです」

 玲子の画面に光がピコピコと音を鳴らす。愛海は翼を羽ばたかせて髪を梳いた。

「ナンダ? 貴様ラ、ハ、一体……ナンダ!?」

 それは異物が恐れるほどの存在ではない。

 自分達ではどうにもできないほどの脅威が訪れたため、それを倒すために重い腰を上げただけだ。

 巨大な電磁砲が壁を突き破り異物の上部の腕を根こそぎ薙ぎ払う。

 ホイールオブフォーチュンはまだ遠くにいるが、既に変身し彼の言葉を聞き、力を知り、先んじて手を打っていたのだ。

 体を削られた異物からも体の一部のように自由に操れる血が流れ出る。だがそれもそれまでだ。

 愛海が星奈の体を抱き起す、燃え盛る炎は不思議と熱くない。

「何故ダ!? 貴様ラニハ分カランノカ!? コノ体ニ集ウ圧倒的ナ力! 何故歯向カウ!?」

 全ての腕についた口は堅く口を噛みしめ、そこから血が漏れ出ている。

「私は今からでも共存するというのならそれでいいんですよ? だけど他と扱いが違うのは、あなたが危険すぎるからです」

 もはやカードもなしに変身状態であるそれは、玲子にとっても誰にとっても人間ではない化け物でしかない。それでも共存は可能だろうが、それが人に仇なす化け物である以上は共存は不可能だ。

 異物はそんな玲子に対して殺気を放つ。だから玲子も容赦はしない。

「私は……私が死ななければそれでいいですね。だからあなたのことは見逃せないのです」

 愛海がこれまで取った行動はハイプリエステスの早紀子を倒したことと今のこれである。それは彼女自身の日常と平穏を守るという意味に等しいが、晃道と比べると少し活動し、星奈に比べるとあまりに傍観しすぎているが。

「臆病者ガ……」

 刺々しい異物の殺気にも応えず、ただ愛海は体に灯る炎の勢いと、星奈を助ける力が強まった。

「私は……私は、みんなが安心して暮らせる世界であって欲しい。だからこの世界を壊すっていうあなたを許さない!!」

 ステッキを固く握り、愛海にもたれながら星奈は強く言い放った。

 そう、星奈はいつもそうだった。時に傲慢に自分のしたいようにして、時にみんなのことを考えて自分を犠牲にして、それは常に自分の理想とする世界のためであった。

 自分を信じ、他人を信じ、この世界の善と正義を信じた少女は、ボロボロの体に気高い精神でその異物に強い決意のこもった瞳で向き直った。

「小娘ェ……貴様ダケハ殺ス!!」

 低く脳を揺さぶるような声にも星奈はめげず睨んだ。

 誰からの同意も得られない異物は既に戦うことを半ばあきらめていた。自分の劣勢を知っていた。それでもそれは自分の不利を認めないように叫ぶ。

「コノ私ヲ誰ダト思ッテイル!? 貴様ラノカードトテ、私ガ呼ビ出シタ物ダゾ!?」

 それには三人とも別々の反応を示した。だがどれも僅かな、ともすれば見逃してしまうほどの小さな反応。

 ここまでくれば三人とも今更それを言及することも、非難することもないのだ。

 ただ星奈だけは、まるで人が違ったような表情を浮かべていた。

 だから何だと言うことはない、ただ星奈は呟いた。

「……私の世界を滅茶苦茶にしたこと、絶対に許さない。でも、スターに会わせてくれてありがとう」

 笑顔も怒りもない星奈の表情は読み取れない、ただステッキを強く強く握りしめた。

「糞ッタレドモガァァァァァアアアアアアアア!!」

 大量の熱湯のような血液を噴射させながら、無数の腕が三人に向かって放たれる。

 愛海が炎を放ち、みえるが電磁砲をうちその血液を相殺する。

 そして腕の動きは玲子が全神経を集中させて封じ切った。

 よろめく星奈は、しかし一心に異物を見つめた。

 皆が異物の行動を封じている、本体に攻撃できるのは星奈だけ。

 そして星奈は堂々と決めた。

 ステッキが輝くと同時に、異物を包み込むように足元から星形の光が放たれる。

 タワーとの戦いなどで使っていた星の柱と同じようだが、そこから出る物が輝く光線であった。

 まるで巨大な爆発に巻き込まれるように、星の輝きを浴びた異物の体が崩れていく。

「馬鹿ナァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 光史郎の野望が、怨念が、憎悪が光となり散っていく。

 そして強欲が、憤怒が、暴食が、光史郎の体から離れ、消えていく。

 カエルの聞くに堪えない叫びが、犬の暴れるような怒声が、狸の弱弱しい苦悶が、その場で響いた。

 だが、光史郎は以前の姿で平然とその場に残っていた。

 その表情は穏やかながら驚きに満ちている。

「な、なんだ、これは?」

 恐る恐る光史郎が、玲子と愛海が、遠くからみえるが千里眼をもって星奈を見る。

 その星奈は優しい笑顔で光史郎に語りかけた。

「……最初は倒そうって、そう思った。でも、それじゃ駄目だと思ったから……」

 光史郎を見つめた後、信じがたいものを見るように玲子が怯えた声を出した。

「……駄目だと思ったから、どうしたの?」

「良い人になればいいなって思って、それで……」

 今度は愛海が、お姉さん然として尋ねる。

「それで、心を壊したの?」

 それに慌てて星奈が否定した。

「ちっ、違いますよ! いい人になれーって思ったんです。どうなったかは知りません!」

 玲子の電光がピカピカと輝く、生物学者として物凄く興味をそそられる内容であったためだ。

 性格すら変える恐るべき能力は、この場合においてのみ平和をもたらしたのだ。

 そして、光史郎の後悔と反省の言葉をもって一連のチェンジャー事件に終止符が打たれた。

 だが、チェンジャーにまつわる全てが終わったわけではないのだ。

 これからも星奈達は人外の力を持って生き続ける、その暮らしは単に穏やかなものでは決してない。

 それでも彼女達がようやく安息を得たことに違いはない。

 もうちょっとだけ続くんじゃ……。

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