愚者、愚を認める
ただ一人北へと逃げていた祐司にとっての不幸は、同様に啓吾達から逃げ出した彼がそこに追いついてしまい、その彼が新たな力に襲われてしまったことである。
サツマイモ畑にはイモのつるが張っている畝が十ほど並んでおり、丁度その真ん中に彼の黒い体が蠢いているところだった。
その奥、ワールドのバリアにぶつかった祐司と道路側に立った啓吾が彼を見つめるが、その大きな力と奇妙な状況に足を止めていた。
「い、いったいなんなの!?」
祐司は怯えて叫ぶも、一度変身してから星奈に刺されたことを思うと変身ができなかった。一度の経験からトラウマになってしまっているのだ。
『何かは俺も知らねえよ! ただ、フールだけじゃねえぞ、いるのは……』
粗暴だが知恵者でもある戦争派きっての実力者のタワーですら、その存在に覚える恐怖を祐司に伝えまいとすることしかできなかった。
一方啓吾は変身してフールに迫っていたが、やはりその力を前に足を止めざるを得なかった。
(ハイエロファント、あれはいったい……?)
『我輩にも分からん。だがタワーが言うように、フールではない』
どろりと黒い体が溶け落ちる。
(おいテメェ! 一体何が……どうなってやがる!?)
彼とてその存在と体の変調に八つ当たりをしていた。そのフールとて困惑しているのだ。
『分かりません! でもありえません!! 私に、この私に直接攻撃が来るなんてっ!』
新たな同伴者は、小気味よいリズムを刻みながら、若い男の声で言う。
『オレは暴食オマエは凶悪、コイツ貧弱だから掌握、HOO!』
『ぎゃー! 助けてくださいっ!!』
フールの無様な叫びを聞いてますます彼は怒り狂う。だがその精神に対して力を向けることはできない。
後ろと前に敵がいて、しかも自分は体が思うように動かすこともできない。
(なんでもいいから早く何とかしろ!!)
『あなたが私よりこいつと波長合わせてるんじゃないですか!? なんか力の流れがおかしいんですけど!?』
波長などと言われても彼にも誰にも分からない。だが彼にも暴食という言葉くらいは分かる。
『俺が大食いだってのか!?』
彼にとって全く意味が分からないことだ。食うものに困る彼が大食いなど、と。
だが暴食のベスタスはその理由を知っている。
『なんでもかんでもオマエは食べる、いつでもいつもオレは喋る、時間選ばず所構わず、だから俺は口を選ぶ、YO』
ラップのリズムを刻むベスタスの喋り方はますます彼の神経を逆なでする。それと同時に、彼の頬に口が増えた。
『オマエを操りコイツは屠り、オレは手にする大きな勝利!』
「うおおおおおおおおお!!」
彼は叫び、どろどろと崩れ落ちるフールの力を掬い取ろうとするも、その腕さえ溶け落ちる。
「な、それはいったい!?」
啓吾が口だらけの彼を見て思わず言う、そして祐司もその醜い肉体に恐怖の叫びをあげた。
(ふざけるな!! なんでも食うから暴食だと!? 生きるために食う俺がこいつらより暴食するわけがあるか!?)
『オマエ怒るやたらめったら、だけど本当は知っているはずだから、その理由、オレは言う、オマエは食えないもの食ったから、YO!』
要領を得ないベスタスの言葉だが、彼と彼の記憶を知るフールはすぐに思い当たる。
生きるためにした罪とも呼べる行為のことを。
『……ああ、本当にあなたは雑食でしたよね……』
フールの弱弱しい声に、彼は怒り以上に罪の意識のようなものを感じた。
ベスタスの言う食べられないものとは、物理的にではなく倫理的に、という意味である。
人間がまず食べないというもの、食べた瞬間に畜生と同等になるもの、たとえどれだけ貧困の飢餓の元にあってもそれを食うくらいなら餓死を選ぶ、そんなものがある。
それは、人。
(……生きるためだろうがよ)
『生きるために人を食うオマエ、それは生きる人としても駄目、死んでも駄目! それでも食うオマエはスターベーション!』
(うるせえ!! 食って何が悪い!? 生きるためなら何したっていいだろうが!?)
そう思い叫ぶ、それは祐司にも啓吾にも伝わる。
(……お前は、フールは人間を……?)
(ああ!? 文句あんのか? テメェがのうのうと生きている横で何を食おうが勝手だろうが!?)
(あ、ありえないよ……)
(テメェらに何が分かる!?)
彼が周りに棘を向け、怒り狂うと更にベスタスの侵食が進み、彼の体は口へと変わっていく。
『……もう、やめましょう。認めましょうよ、あなたが間違っていたんです、過ちですよ』
フールの消え入りそうな声にも彼は強く当たった。
(っざけんな!! 俺が間違ってただと!? だったら俺に食われたあいつはどうなる!? 俺が生きてきた意味はなんだ!? そこで死ねってのか!? 意味なんざねえってえのか!?)
『そ、そんなことは……』
(俺は何にも間違っちゃいねえ!! 何を食おうが何をしようが、生きてさえいれば問題ねえんだよ!!)
それは怒りというより、もはや悲痛な叫びであった。
今までの彼の傲慢を怒る啓吾と祐司さえ、彼に同情してしまうほどの逃げ場のない憤りと、それでも現実から逃げ惑う姿。
だがフールは頑なに彼の考えを諌める。それが彼を救うためと知っているから。
『……過ちを認めてください。私はどうなったっていいんです。このままじゃあなたが……』
(うるせぇぇぇえええええええええええええええ!!)
体中に口の侵食が訪れた時、祐司がふと語り掛けるように思う。
(だ、だよねぇ? 僕だって変身して人を襲っちゃったけど、虐められてたし、反撃のためだから、仕方ないんですよね?)
『あ? お前は何言ってんだ?』
タワーに意図は分からないが、それでも祐司は啓吾にどう思われようと気にせずにつづけた。
(生きている方が正しいんですよね? 僕が虐められて、ゴミとか投げられたり、みんなに蹴られたりして、それで攻撃して殺したって、僕が正しいんですよね?)
タワーには発言する祐司の苦痛が伝わる。思ってもないことを思う祐司の苦痛を、タワーはまるで理解できない。
彼は最初祐司の言葉に答えない、それをフールは追及した。
『あの少年の考え……あなたにそっっっくりっすね、生きている方が正しい、勝った方が正しい、強い方が正しい、だから勝てれば何をしても正しい、なんてね……』
(ああそうだ! 今更何を言う!? お前だって俺と散々人を殺しただろうが!)
『……そうですね。すみませんでした、変なことを誘発して』
(変なことだと!? テメェが、テメェが……)
フールにはもう充分に伝わっていた。彼が今、どれだけ悩み苦しんでいるか。
思い出してしまった過去の過ちに揺さぶられ、その道徳観が変わりそうかを。
彼はフールに向ける言葉を失くした。テメェが、ではないのだ。彼が彼自身の意志でやったはずのことをフールのせいにするということは、罪をフールにかぶせるということ、それが罪であると認めてしまうことだから。
(ねえ、僕は正しいんですよね? 机の上に牛乳零されて、それで怒ってもいいんですよね? こ、殺しても……いいんですよね?)
ようやくタワーにも祐司の考えが理解できた。自己を正当化するのではなく、フールの言葉を信じ間違いを認めさせることで事態を解決しようとしているのだ。
そのために祐司は彼にとって笹井な事柄で他人を傷つけた自らの罪をあえて曝け出し、彼の怒りを誘っているのだ。
(……ああ、正しいよ、テメェは正しいさ!)
だが彼は曲がらなかった。既に彼は自分の意志で動くこともできない。
啓吾は待った。ただ純粋に正しく生きてきたつもりの彼が今かける言葉はない。
今は祐司と彼の問答の中で答えを見つけ出すしかないのだ。
『オマエは何も間違ってない。人を食っても問題ない。食べたければ食べるしかない! だから俺はお前しかいない! YEAR!!』
(そうだ! 俺は、俺は……)
『いい加減にしなさい!』
フールが叫ぶ。
『私が戦争派なんて物騒なことをしたのは、私の国の民と家族を思ってのことです!! 自分が生きるために大切な人を食べたことがあり、それを認めるにせよ、過ち、罪として認めるべきです!! それでも生きることは大切ですが、それを開き直ることは許しません!!』
(……な、なんだと? テメェが今更何を言おうと……)
フールの言葉に対しての彼の反論、それに乗じて祐司も言う。
(ですよね、今更あなたの相方がそんなことを言ったって。僕もあなたと同じです。とても辛くて悲しいからみんなを襲うんです。だから僕だって悪くないし、僕は良い人です)
祐司の考えは彼の癇に障った、さっきからずっとその逆鱗に触れているといってもいい。それでも彼が耐えているのはその人生のためであった。
『だよなぁ祐司? 俺だって王様してた時は金持ってる敬虔な教徒を皆殺しにしたもんだ。罪をでっち上げてなぁ。だがそれだって姪っ子が冠欲しいっていうから作ってやるための金だぜ? 悪いのは金持ってて使わねえあいつら、なんだよなぁ?』
タワーの発言にハイエロファントは一瞬反応した。だがそれも耐えた。
それを耐えきれなかったのは彼だった。
(違う!! お前らに何が分かる!?)
ベスタスとフールの動きは、この瞬間に完全に止まった。
(俺達が、お前らが何も食うものがないと思うような場所で、のうのうと飯食って楽しむ奴らの傍らでゴミみてえな飯をあさる日々をどんな風に生きてきたと思ってんだ!? テメェら俺達のことを背景みたいにみやがって、そこら辺の木みてえにまるで気にせず生きてやがる! 俺達はテメェらが捨てる飯食って生きてんだぞ!? どれだけ、どれだけ……)
言葉がなくともその苦しみは想いで伝わる。誰にだってそれだけ言われれば分かる。
けれど、分かっても許してはいけないことがある。
「それで、人を殺して、家を壊して満足しましたか?」
啓吾が直接尋ねた。
『知らない状況、溢れる感情、諦めるなよお前の根性』
状況の変化を敏感に感受したベスタスが訴えかけるも、その言葉の一切は彼に届かない。
「……まあまあだ」
「嬉しいですか? 人を殺して、自分と同じ立場になる人間が増えて」
「……まあな」
フールには彼の言葉の半分が嘘と言うことが分かる。スッキリしたし曇っていた気持ちが晴れたのは事実、しかし同時に新たな霧が出現したのも事実なのだ。
「ずず、ずるくないですか!? 僕は駄目なのに自分だけ正しいって!」
『だよなぁ祐司? そこまで自分勝手な野郎は俺でも嫌だぜ。自分勝手の自己中野郎だぜテメェは』
「黙れ! 俺は、俺は生きるんだよ! お前らみたいにしなくてもいいことじゃねえんだ! 食わなきゃ死ぬ! そんな状況なんだよ、そんな状況だから……」
『そんな状況だから仕方がない。けれど、正しいことじゃなかった、ですよね?』
フールの言葉に彼は沈黙した。
『YO! 今認めたって意味がない、嫌味言われてほっとかない? オレとオマエで捕えようぜ世界!』
「あなただって何が正しくて何が間違っているかは分かるはずです! 玲子さんが築く世界ならそんな間違いは起こりません、だから……」
啓吾の言葉の途中で、すぅっと彼の体からまるまる太った目つきの鋭い狸が出現した。
『マジあり得ない! 匙を投げたい! 呼ばれる声がする方に飛びたい!』
それは南の方へまっすぐ飛んでいく。
啓吾はその姿を注視するが、今は何故か力を衰えさせない彼を見た。
「……分かってんだよ。何もかも俺が間違っているなんてことはよ……」
復活したフールも言う。
『ですよねー。私も戦争派とか言い出した自分が間違っていることは重々承知っす。デビルなんかに取ったらいい考えだそうっすけど、私はそれで国を失っていますし』
二人はしみじみと語らう。啓吾がそこに近づくと、突然彼は黒い足を伸ばし遠く離れた。
「それでもなぁ! チェンジャーを集めるなんて言う奴が、俺達を助けるわきゃねえだろ!?」
玲子の考えは、やはり少数の犠牲を強いて多数の安全を確保するもの。
彼のかつての同胞達を救えなど、無理に決まっているし考えているわけもないのだ。
啓吾は追おうとするも、既に黒い足は彼の方に戻り、その彼は黒い腕をバリアに貼り付け遥か上方へと昇って行ってしまった。
あれでは吸収するものもない、と啓吾は強くならないことを確認し、フールを諦めた。
残された二人のうち、祐司が先に口を開いた。
「……僕はどうしたらいいんでしょう? 僕も間違いを犯してしまった……」
「玲子さんの言う通り、弁護士さんの力を信じるしかない。それよりも甘んじて罰を受ける方が、僕はいいと思う。悪いことをしてそれを怒られないままでいるのは、怒られないよりもずっと辛いと思うからね」
『おい祐司、んなことよりハイエロファント攻撃しようぜ、なぁ?』
祐司はタワーの言葉を全く気にせず、つちくれに埋もれるように、ぺたんと座った。
啓吾はひとまずタワーを放置し、星奈のところへ向かうことにした。
彼女の説得と安全確保、それこそが次の目的だ。
『……ごめんなさいね? きつく言っちゃって。私も必死だったんすよ』
(テメェの言葉なんざ何も響いてねえから気にしてんじゃねえ)
ペタペタと黒い体を使いどんどん昇る彼に、フールは尋ねる。
『ところで、どこまで昇るんですか? 目的が分からないんですが』
(俺も正しいと思うことをするだけだ。安心しろ、殺したりはしねえ)
それにフールは、安心するようにほくそ笑んだ。




