日出三、スレを立てる
すぐ隣の家が野矢家になっているため、星奈は家を出てすぐに、チャイムも鳴らさずにそこに入った。
スター達二十二の王について聞くためである。啓吾がそれを知っているかどうかというのは星奈にとって二の次、彼を話す口実ができたことが重要なのだ。
「こんにちわー、啓吾さんいますかー?」
玄関から声を出すため間延びしたちょっと間抜けな声になるが、すぐそこの扉から冷たい声が返ってきた。
「兄貴ならいない。どうしたの?」
「わっ、ああ、晶乃、そっか、まだ帰ってないんだ、なあんだ」
諦めたような、安心したような語調に晶乃は目を細める。
「で、何の用? 兄貴に用事、うーん」
果たしてどんな用事かと推し量るような目を見て、星奈は慌てて手を振った。
「べっ、別にもうお泊りとかそんなんじゃないよ!? ただあの、ちょっと聞きたいことがあって」
「ああ、勉強とか? それなら兄貴だ。輝樹さんはそういうの駄目そう」
星奈は思わず苦笑いした、好きな人でもそういうことはバッサリ言うのだと少し驚いたからでもあるし、輝樹が勉強できないのも全くの事実だから返す言葉がなかったのだ。
「で、何聞きたいの? もしかしたら私教えられるかも」
「え? でも悪いよ」
星奈は晶乃の姿を見てそう言った。なんと言ったってピンクのエプロンを着用し、平皿をスポンジでふきふきしている姿なのだ。この上勉強を聞こうなどおこがましい。
だが晶乃は一切表情を変化させずに言う。
「へーきへーき。どれ、お姉さんに見せてみなさい」
「あっ! 晶乃が義妹になるんだからね!」
「ふふん、どうだか。それで、内容はなに?」
『いけないぞ星奈、晶乃をこの戦いに巻き込むわけにはいかない。黙っておくんだ』
「そんな急に!」
突然のスターの声に星奈が驚いて声をあげると、晶乃が胡散臭げな目をした。
「別に急じゃない。どうしたの?」
「いっ、いや何でもない、何でもないよ!」
(急に喋らないでよ! それより戦いに巻き込むわけにはいかないって?)
『我々の素性を詳しく喋り、晶乃がそれを喋って他の敵に聞かれてしまったら、晶乃が敵に狙われてしまう。私は星奈に力を貸せるが、晶乃にはそれができない』
(ええー!? じゃ、ど、どうしよう! それじゃ啓吾さんにも話せないよ)
『む? 啓吾には話したい気持ちがあるようだが……』
(それは違うの! 女の子なら好きな人に助けてもらいたいって気持ちがあるんだから……でもやっぱりダメ!)
もしも啓吾が同じ力を持つヒーローでピンチの時に自分を救ってくれるなら、なんて甘いケーキのような空想を星奈はする。だが現実がそうでないことを星奈は知っていたのだ。
と、そこで玄関の戸が開いた。
「ただいま! ……星奈ちゃんと、晶乃。一体どうしたんだい?」
珍しく息を切らした様子の啓吾は、星奈の眼から見ても晶乃の眼から見ても不自然に感じた。
何と言ったって高校生になって自転車で帰ってこれるのだ。学校でのんびりと輝樹と話したりしていただろうに、急いで帰る道理がない。
「兄貴こそどうした? 急いでた?」
妹に指摘され啓吾は一瞬驚いた表情をしたが、すぐに普段見せるような穏やかな笑顔を見せた。
「あ、っと、今日はほら、初登校日でしょ? 全速力で漕いだら何分で着くかを調べてたんだ」
「何分?」
晶乃の二度目の言葉に啓吾は一瞬腕時計に目をやるが、すぐに向き直った。
「それよりも二人ともどうしたんだい? 遊びに?」
晶乃は腑に落ちない表情を浮かべながらも星奈の方に目をやる。その星奈も突然話を振られた雰囲気を出しているためどうにも話が進まない。
「星奈、聞きたいことがあるって。兄貴、教えよう」
「へ、へえ、一体なんだい、星奈ちゃん」
「え、えっと、あはは、別になんでもないです」
話すわけにはいかない、と星奈が誤魔化したためにますます晶乃は胡散臭く星奈を睨んだ。
「なんで隠すの? じゃあ何しに来たの?」
「え、えっと……」
『どうする星奈、このままでは二人から疑われてしまう』
(そんなのスターのせいでしょー! うう、こ、こうなったら……)
星奈は笑顔を浮かべ、自らの頭をこつんと叩いた。
「わ、忘れちゃった! てへ」
晶乃の冷めた瞳と、啓吾のぽかんと驚く顔がますます星奈の心を痛めさせた。二人には吐きたくない嘘を吐き、しかも恥ずかしい。
『星奈! いくらなんでも「てへ」はやりすぎだっ!!』
「じゃあそういうことだからー!!」
スターの一言が追い打ちになり、星奈にとっては野矢兄弟と会うたびに心を痛めることになる。
残された二人のうち、先に声を出したのは晶乃だった。
「兄貴、星奈は隠し事はできるけど、嘘は吐けない。怪しいけど、信じてあげて」
「分かってる。分かってるさ」
自分も隠し事をされているのに、それでも親友の体面と想いを大切にする妹に優しい笑顔を見せながら、啓吾は平静を装って自分の部屋に入った。
そしてポケットからローマ数字で五、王冠と十字架を持った男のイラストのハイエロファントと書かれたカードを取り出した。
『だから言ったであろう、隣家に敵がいると』
(うん、輝樹ならどうしようかって思ってたけど……星奈ちゃんとはね)
今までずっと黙っていたこのカードは、カードと人の通話が他の持主にもバレてしまうことを察知して、先ほどは何も言わなかった。
教皇と呼ばれる存在にして権謀術数に長け、敵を倒すことのみを考える存在に啓吾は多少の嫌気が差していたが、それでもこれを捨てられずにいた。
『さて、あれは貴様に恋慕の情を抱いておったな。これを利用する手はない』
(やめろよ、頼むから僕の生活を壊さないでくれ)
自分のカードを嫌悪しながらも、捨てられない理由が啓吾にはあった。
『はっ、我輩達の居場所もいつまでも隠しておけるとは限らん。我輩が黙っておっても、いずれこの生活は壊れるのだ』
家には父と母が、そして妹がいる。そしてもしここが戦場になれば親友の輝樹も自分を慕ってくれる星奈も、家族ぐるみの付き合いがある天海家のおじさんおばさんも危険な目に遭うかもしれない。この少年は自分ひとりのためにそこまでの心配をしていた。
そのためにカードを捨てられなかった。捨てても敵が自分を見逃すという確証がなかったし、何よりこの市に二十一の能力者がいると知ってしまうと、いつ巻き込まれるか分からないからだ。せめてこの二つの家族だけ守ろうという矢先に、星奈のことを知ってしまった。
(……心配だ、星奈ちゃんが)
そう悲嘆に暮れる啓吾に、おずおずとハイエロファントは言う。
『……そう悔やむでもない。スターはあれで義理に厚き騎士、少女を積極的にたきつけて戦わせることもしなければ、逃げるように指導するであろう』
(そうか、ありがとう)
『我輩に感謝することではない。もし隠蔽能力が破れた時に自らスターに感謝するのだな』
なんだかんだ言ってハイエロファントは啓吾を戦いに焚きつけつつ、彼を安心させたり、彼のことを想ってのことを言うのだ。
それもあって捨てられない、ハイエロファントは決して悪ではないのだ。
相も変わらず黒森日出三はパソコンの前に座っていた。
その手元には一・五リットルの炭酸飲料とチョコレート菓子も備えられている。
パソコンの前に長居する時の標準装備である。
『日出三、一体何を始めるであるか?』
(マジシャンも知識にはあるだろう、スレ立てだ)
思いながら平然と日出三は画面だけを見て文字を入力していく。
【魔法使いと】変なカード拾ったら幻聴が聞こえるようになったんだが【呼ばないで】と銘打ち、内容にはタロットカードを拾ったら幻聴が聞こえるようになったこと、力を授けると言われたこと、異世界から来たと言っていることを記した。
『何故情報を記すであるか? それもここはあまり信憑性のないサイトであろう』
(だからだよ。俺みたいにカード拾った奴もタロットカードと異世界とか変身で検索するだろ。だったらどうせこのページが出る。サイトはどこでもいいんだ、大事なのはここが匿名性の高い、身バレしないだろうサイトだってことだ)
身バレとは身元がバレること、日出三は自分がカード持ちであることがバレては駄目だと思い、あえてそこを選んだのである。
『ふむ、よくわからんのである。だが、それで相手のカードを聞き当てることができるであるか?』
そう、この二人の目的は相手のカードの種類を見破ることにあった。
というのも、スターやハーミットは場所を変え彼らにとっての異世界、つまりここで勝負を決めることにした。だがマジシャンはそうではなく、自分達の世界に戻ることを最初の目的とした。
日出三にとっては未知なる能力を手放すのは惜しいが、やはり親からいびられたり世間の目から胡散臭く思われても今の平穏な生活を気に入っていたのだ。
となるとマジシャン達を異世界に戻すために、異世界移動の魔術を行ったタロットを探す必要がある。
異世界に移動するような強力な魔法を使えるタロット自体がまず少数、そのうえ元の世界で戦況が芳しくなく、異世界なら遠慮なく戦えると思う邪念のあるものがどれか。
『いいか日出三、敵はハーミット、死神、フールの三人だと思うである。一応悪魔、世界、力にも警戒するのである』
(はいはい。聞き出すことができりゃ越したことはないんだろ?)
『まあ、そうである。スター、ハイエロファント、節制ならばこの世界では不戦同盟を交わせる可能性が高いのである、そちらも憶えるのである』
最初の敵である三人は条件に合い可能性が高い。次の三人は、デビルが魔力はあるが良識からして可能性が低く、ワールドは戦況からして可能性が低い、そしてストレングスはその性格からしてそうする可能性がないとマジシャンは判断した。
日出三の方もマジシャンの知識を得て考えると同じように判断した。しかしデビルのくせに良識があるというのも日出三は納得しづらかったが。
彼らはまず一時間待った。この時点での返事は主に馬鹿にするように囃したてるものと興味本位でより詳しく聞き出そうとするものの二通りであるが、日出三は異世界の事情と力の内容については決して言わず、他のことは大体を正直に誠意をもって話した。
『良いのであるか? あまり話し過ぎると……』
(大丈夫だよ。俺がどんだけ落語とか推理マンガ読んでると思ってんだ? 語るに落とすとか言質を取るのは得意なんだ)
そうは言っても返答はわずか三十にも満たない。
『全く屑返事ばかりではないか!! これでどうにかなるであるか!?』
(あのな、このスレタイで、一時間で、これだけ集まりゃ立派なもんだ。俺の知識があってなんでそんなことも分からないんだ?)
そうマジシャンと対話しながら、日出三はその重たい体をゆっくりと動かした。
『む、どこに行くであるか!?』
(チョコ買いに行くんだよ。切れちまったから)
溜息を吐きながら日出三は徒歩数分のコンビニへと足を運ぶ。その間もマジシャンとの口論は絶えなかった。
家で寝ていた生島正義は、その奇妙な同棲者の声で目を覚ました。
『ちょっとちょっと起きなさいってば!! ついに能力を発現した者がいるわ!! ……いえ、発現自体はしていたんだけど、こんなことをするとは思ってなくて……』
目を覚ました正義は簡素な部屋のカビの生えかけたベッドから体を起こすと、ブラインドを開きすぐ右側の窓から夕焼けを浴びた。
だが部屋の中を見渡しても誰もいない。普段通りの書類に埋もれた部屋の中、夢の声かとも思ったが、再びその女性の声を聴いてようやく思い出した。
『テレビ! テレビ見なさい!! たぶんそれで分かるわ! どんどん力が強くなっているもの!!』
(全く、お前は何を言っているんだ……)
寝るだけのは部屋である寝室からふすまを開けてすぐ隣の和室にテレビはある。事務所に近い2Kのアパートに彼は住んでいた。
欠伸しながらテレビに向かう小さなテーブルに肘をついてそれを見ると、どのチャンネルでも一様に、全国区のテレビですらそれがやっていた。
『皆さんご覧ください!! X県火野札市にまさしく巨大怪獣とも呼ぶべき何かが暴れています!! 当局の中田記者の家も近くにありますが連絡がつかず、まるで、ぽっかりとそこだけ抉られるようにあの黒い塊に破壊されているのです!! 当地では特別警報も出されておりますが、目撃者を積極的に襲っているようで発見が遅れたようで、奴に知恵があることが……』
そんな中継を正義はいまだ夢見心地で見ていた。マイクを持った記者の後ろで巨大な黒い人型が家々を踏み潰すなど、特撮の世界ではないか。だが殆ど全ての局でそれをやっているために、正義の目は一瞬で醒めた。
『南浅木……、いえ、あれだけ膨大な魔力になればここからでも分かるわ。あれはフールね、こんなに目立って、やられる前にもっと強くなろうって魂胆かしら? ホント馬鹿』
そう言いながらジャスティスから流れる不安と恐怖が正義にも伝わる。これを放置してはいけないと本能が訴える。
「……これは現実か?」
『まだ疑っているの? ご覧なさい、あなたが頼りにしていた法の番人が為す術なく逃げ惑う姿』
正義は無言でジャスティスの言葉を聞いている。しかしジャスティスに伝わった感情は無力感などではなく、自信と極度の興奮、そして決意。
自分の考えが即座にジャスティスに伝わることを知っていながら、あえて正義は畳をめくり、隠していた拳銃を自らの目に写した。
「……この国の権力が強いために、武器を市民から取り上げ警察と自衛隊のみのものにすることで、この国の秩序は守られていた。だがもしも権力を上回る暴力が出現した時、自らそれを倒そうと俺は思っていた」
事務所にも鍵が付いた彼のデスクには同じタイプの拳銃がある。
彼の正義はそうであった。警官になり逮捕する以上に、罪人必罰の精神をもって検事になっていた。
『そう。でもそれじゃフールは倒せないでしょ?』
「ああ、俺はそれ以上の力があるからな」
正義は拳銃を取らずに畳を戻すと、ジャスティスのカードを胸に歩き出した。
目指すは南浅木、すぐにバイクを走らせた。