愚者、愚行を始める
両手でカードを包み込みあわただしく星奈は階段を駆け上がり自分の部屋に入った。
「あら、星奈? おかえ……どうしたのかしら?」
母の心配をよそに、そのまま星奈はリュックも外さずにベッドに飛び込んだ。
そして手を開いて小さな声で言う。
「なになになに? 本当に何なの!?」
『何度も言っているだろう。我が名はスター、星奈、君の力が必要だ』
「必要ってなに!? っていうかなんで喋れるの!?」
『それは……一から説明しよう』
星奈の脳にリンクしているスターはこの世界の常識も熟知し、また異世界でれっきとした科学者でもあったため子供にも分かるように説明ができた。
説明の内容は、スターが異世界にいる二十二の王の一人であったこと、他の二十一もこの世界に来ていること、避けられぬ戦いがあることと、スターが星奈に力を与えられるということだ。
スターにとって幸運だったことは、星奈が夢見がちな性質であったので、話が終わった後に瞳をきらきらさせていたことだ。
「それってそれって、私が変身して魔法少女に慣れるってことぉー!?」
『……まあ、間違ってはいない。我々の世界の技術はおよそ魔法と呼ぶに相応しい。その上、君は少女で君の持つ変身という映像に似たようなことも起きる』
「うんうん、そんなのはなんでもいいよ! 変身でしょ!? 私結構少女漫画とか好きでさ! そういうの一度なってみたかったんだよー! くぅー、凄い凄い凄いっ!!」
感情の表現にまで星奈が腕をぶんぶん振るため、スターは激しい運動に気を悪くしつつも、変身に乗り気なことに少し安堵した。
『だが星奈、君は二十一もの強大な敵と戦うことになるのだ。それでも構わないのか?』
スターの懸念はそれであった。自分と最も波長の合うこの少女はまだ年が十ほどの未発達な子供。それをかつて自分達がしていたような争いに巻き込んでしまってよいのか、それはスターの倫理に反した。
けれど敵は、ストレングスやハーミットは倒さなければならない怨敵、その葛藤がスターを苦しめる。
少しだけ星奈は難しそうな顔をしたが、すぐにふっと微笑んだ。
「でも、そのカードさんは敵でも人がいないと何にもできないんでしょ? だったらその人達と話し合えば大丈夫だよ」
人を信じる無垢な心にスターは感銘を受けたが、それではいけないのだ。邪悪な敵が世の中には多い、この少女は戦うには無垢すぎる。
『……残念だが星奈、やっぱり私は君に力を貸す気にはならない』
「えー! なんでなんで!? 変身したい! きらきらしたい!!」
『……君はそんなことを考えていたのか』
スターは呆れ、溜息を吐いた。きらきら、とはまた抽象的だ。
けれどスターは星奈の脳と繋がっている。彼女が確かに人の正しさを信じる優しい心の持ち主だということは確かに分かったのだ。
『だが星奈、片時も私から離れるんじゃない。私が奴らの位置を大体察知できるように奴らも私の位置が分かる。つまり、君はいつ襲われるか分からないのだ。その時だけは変身を許可する』
「え、そうなの!? ……それって、近かったりする?」
『うむ。君の知識と照らし合わせたところ、この火野札市に十九の敵が……』
「十九ぅー!? それって、それって殆どじゃない!!」
『ああ、教育長と死刑囚がいないだけだが……教育長は自分の力を隠すことができる。恐らくこの火野札市にいると考えていいだろう』
その脅威が近くにいることも星奈にとっては恐怖であったが、その前に星奈は違和感に気付く。
「ねえ、その死刑囚と教育長ってなんだかスターと全然違くない?」
『どうにも君の頭の中の言葉では表現できない。もっと君が知識を蓄えているならばうってつけの言葉を用意できるのだが』
「それって! 私が馬鹿だから簡単にしているってこと!?」
教皇も吊るされた男も日本語表記にしたところで星奈には理解しがたい言葉である、故にスターが持てる限りの表現で表したのだが、それが星奈の気に食わなかった。
『仕方ないだろう、知らないものは』
「仕方ないって……むー、だったら今から調べる」
そう星奈はようやくリュックをしまい、すぐに部屋から出た。
『なるほど、啓吾のところに行くのだな? 彼は頭が良く知識も豊富そうだ。そしてこれをきっかけに更に仲良くなろうと……』
「わーわーっ!! なになに、何言ってんの!?」
『君の思っていることはなんでも分かるんだ、星奈。そしていちいち声を出すと変な目で見られる、気を付けろ』
(気を付けろったって、さすがに声が出ちゃうよ!)
『うむ。想い人程度でそんなに慌てることも……』
(慌てるよ! じゃあ私の好きな人も……きゃー! 読まないで! 心読まないで!!)
『私は心を読むのではなく、考えていることが分かるのだが……』
(同じだよ! う、うう……)
辛そうに立ち尽くす星奈に、スターは全く理解できない、といった風に嘆息した。
ローマ数字の一、占い師風の男が書かれたイラストの上にはマジシャンと書かれている。
黒森日出三はそのカードからの話を聞いて、疑うように思った。
(それは俺が未経験のまま三十歳を迎えたことと、本当に関係ないのか?)
『だからそういっているのである。我と日出三の波長があっただけである。お主が三十歳であろうと五歳であろうと未経験であろうと経験済みであろうと関係ないのである』
(……なんでオッサンなんだ)
マジシャンの響く声ははっきり聞き取れるが低く渋い声だ。日出三はこういう時は美少女が何かしらやってくれるものだと信じていた。
『仕方ないのである。我とて戦闘に適さぬお主の体を見て不安に思うのである』
肥満体で眼鏡をかけた姿は、視力が悪く運動能力も著しく一般より劣っているということだ。それはかつてのマジシャンの風貌と比べるとあまりに怠惰な結果にしか思えない。
そしてその精神もマジシャンにはありありと伝わっている。無職ではなくニートだと開き直る日出三は、自力で多少は稼いでいるものの、その待遇をよしとする状況もまた喜ばしくは思えない。
(しかしタロットで魔術師が来るって、うってつけ過ぎだろ……。三十歳記念にしか思えねえ。んで一番目ってのがまた運命っぽい。これは主人公だな)
『ただの偶然である。それより憧れの英雄のようになりたければ、もう少し運動するのである』
日出三にとって、現実から離れることはパソコンで充分であった。
しかしこの未知の存在、奇妙な力との遭遇はそれすら超える胸の昂揚と楽しみを与える。誰だって夢見るだろう不思議な力、オタクの日出三がそれを最も喜んだといっても過言ではない。
「ぶふっ、ふははははは!! マジシャン! 拙者はやってやるでござる! いざ二十一の敵と戦おうではないか!!」
『それにはまず運動である。いくら我がお主を強化できるといっても、その効率を上げることが重要であるよ。……しかし、その喋り方は?』
日出三にとって、相方が女性ではなく口うるさいオッサンでなければ、もっとやる気も出るのだが。
かの異世界からの来訪者を日出三のように純粋に認め、求める人ばかりではない。生島法律事務所所長の生島正義はその存在をかなり胡散臭く思っていた。
(お前はただの幻聴だ。ありえない、ありえない、疲れているんだ、俺は……)
『強情ね。ま、そういうところも好みだけど……うふっ、働き過ぎはダメよ?』
一仕事を終えて、というのも彼は昨日から働きづめで昼間の今にようやく家に帰るところなのだ。眼鏡をつけてスーツのネクタイを少し緩め、少し楽になってから深い溜息を吐いた。
『法を守るお仕事なのに、それってこの国の法律に反してるのね? 矛盾しているわ。そういうのお姉さん大嫌い。あなたに犯罪者だって言われる人はどんな気持ちなのかしら?』
検事として数多くの人間を犯罪者としてきた彼は、決して理に適わない仕事はしてこなかった。本当に悪いと思う存在を、決して許さない、悪は裁かれるべき、そういう考えをしてきた。
そんな自分の下にジャスティスのカードが舞い降りたことは偶然とは思えないが、何の気なしに拾ってみれば口うるさい女の幻聴が聞こえるではないか。
(……確かに俺の行為が正しいとは言えない。それでも世の中にもっと他人に迷惑をかけて平気で暮らす人間がいればまずそれを止めるのが筋だ。俺は、自分が間違っていないとは思わないが、正しくないとも思わない)
『否定形ばっかりで話すのね。ま許してあげる。でもね、いざという時にものをいう正義は、力なのよ』
(それには同意だ。……って俺は一人で何を)
『一人じゃないから気にしない! もう……』
そんな二人の微妙な関係でありながら、正義は決してジャスティスを手放さずにいたし、共通の認識もあった。
力こそが正義である、それは法を守る正義にとっても、厳格さを持ちながら同時にある寛容さを持つジャスティスにとっても力による横暴の看過を強制させられていた事実にある。
だからこそ正義は自分の考えを変えるきっかけとしてジャスティスを残したのかもしれない。彼の力で、世界に本当の正義を示すために。
またカードと通話してもその力のみに溺れる存在もいる。マンガのような素敵な力、正義や守るための力と受け取らない人間だって世の中にはいる。
彼に名前はなかった。行きずりのホームレスがホームレスとの間に産んだ子で、名前もなければ正式には火野札市の市民にも扱われない、いわばこの世に存在するはずのない人間。
生まれた時からホームレス達に助けられ育てられ続けた彼も今や還暦を迎えようとしている、彼は火野札市の家無き存在達の王であった。
彼が普段通りにゴミをあさっているところに、ナンバーゼロ、おどけた道化のようなイラストが描かれたフールのカードは訪れた。
「なんだこれは?」
彼は文字が読めるし、喋ることだって皆に教えられた。知識だって多少はあったが生憎カードの意味が分からなかった。
『ハロハロ~、私フールっす! ふっふっふ、不思議な力をあげる代わりにちょいと協力してほしいんすけどぉ……』
ノリの軽そうな女の声が幻聴であろうが幻聴でなかろうが、彼にそれは関係なかった。
「力、力が手に入るのか?」
当然のようにカードに話しかける彼にフールは少し困惑するも、遠慮せずにつづけた。
『ええそりゃもう! 人間なんて木端微塵のパワーっす!! で、お願いがあるんすけどぉ……』
「面白い。寄越せ」
『はい? いやそれは困るっすよ。あなた無関係な人襲う気満々じゃないっすか。いや別に悪かないけど……』
フールとて無差別の虐殺は流石に憚られる、だが異世界なら構わないという気持ちも確かにあった。
だがそれとは関係なく、彼が念じただけでそれは発現した。
『え、あ、ちょ強引な……! ってなんで発現するっすかぁぁぁぁああああ!?』
カードの力の発動は、カード側にない。その所有者のみが発現権を有するのだ。
一瞬の激しい閃光に包まれた後、薄汚れた浮浪者の彼はいなくなり、新たな存在がそこに立っていた。
漆塗りのように黒光りする金属のようなそれは、しかしゼラチン質で固くはない。
人型に象られたそれは確かに中に彼が入っていた。その動きは今まで通り普通の人間のものである。普通こういった変化をした場合は特殊な能力と共に身体能力も強化されるはずなのだが、彼の場合は特別だった。目がなく、鼻もなく、ただ全身を粘液で包んだような彼は、その触れるもの全てを消化し吸収する選択が可能だった。
公園の遊具や雑木を吸収するたびに、僅かばかり体が膨らんでいく。
『ちょっと待ってくださいって! それ以上はマズいっすよ! 敵からバレるし目立つし問題になるし……いや、別に隠さなくてもいいか? それにバレるってんならどうせもうバレてるし……』
フールは無い知恵を絞った。この黒い人影としか形容できない姿なら正体がバレる心配もないし、知られたところで公権力に襲われる恐れもない。それに自分が敵十九人を察知しているのだから彼らから察知されている可能性も高く、目立ったところで問題はない。
選んだその結論は彼を応援することになった。
「俺は、俺は無敵だ!! 全部全部壊してやる! 幸せな家庭も! 家も! 家だ、家を壊す!!」
『えーいえーい、どんどんやっちゃえ! 誰にも負けないくらいおっきくなるっす!!』
火野札市を巡る動乱の火種はハーミットと光史郎ではなく、彼が引き起こしたといっても過言ではない。
そして単なる力を渇望していたのはフールの彼のみではなかった。
一人でとぼとぼ歩く帰り道、灰野祐司の下に落ちてきたカードは十六、崩れ落ちる塔が描かれ、タワーと銘打たれていた。
「これって……タロット、だっけ?」
意味は彼も憶えていた。まだ子供であるがたまたま読んでいたマンガで一度モチーフにされていたのだ。
(崩壊とか、そんなのだったよね。悪いカードだ)
『おいおいガキ、何辛気臭えこと考えてやがる?』
突然の声に祐司は周りを見渡す、だが誰もいない。
『俺だよ、俺。お前が持っているカード、俺はタワーってんだ』
(うそ……僕、おかしくなっちゃったのかな……)
『んなことねえぜ。それに狂ったっていいじゃねえか。なんてったって、お前が一番欲しいものをやれるんだからよ』
「ほ、欲しいもの?」
それはまさしく、悪魔の囁きと言うに相応しかった。低く心に忍び寄るような声に、気付けば祐司は聞き入っていた。
『そう、力だよ。欲しいんだろ、あのクソガキどもを倒して、欲しい女を自分のものにする力。けけっ、分かりやすくていいぜ、ガキ』
一瞬祐司の中に邪な感情が芽生える。だがそれは寸でのところで抑えられた。
「だ、駄目だよ! そんなの……復讐は。でも、もし次やられたら……」
それ以上、祐司は言わなかった。だがタワーには次やられたらの続きの言葉が分かる。だから邪悪にほくそ笑むだけにとどめておいた。