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その二 『無邪気な男の子』と『傷』と『学習』



 その日はあいにくのくもり空で、今にも雨が降り出しそうな天気だった。

 天気予報では、夜から雨が降り出すらしい。

 と、僕の真下で井戸端会議をしていた主婦の人たちは言っていた。

 灰色の空に、その子の黄緑色の翼はとてもよく映える。

 小鳥さんをすぐに見つけることができて、僕は思わずくもり空に感謝した。




「……こんにちは、電柱さん」

「こんにちは、小鳥さん」


 僕から伸びる電線に止まったその子は、しずんだ鳴き声を上げる。

 いつもどおりに僕は挨拶を返すけれど、内心気になって仕方がない。

 小鳥さんは、チュウ……と小さく鳴いたっきり、黙り込んでしまった。

 いったい何があったのだろうか。


「今日は元気がないね。どうしたの?」


 いつもの明るくかわいらしいさえずりを聞かせてほしい。

 そう思いながら、僕は問いかけた。


「今日はとても悲しいことがあったのです。聞いてくれますか?」

「僕でよければ、なんでも話して」


 僕は彼女の話ならばどんな話でも聞きたいと思う。

 小鳥さんのかわいらしい声で語られる、僕の知らない世界の話を聞くことが、僕にとって唯一の楽しみなのだから。

 僕の言葉に、小鳥さんは少しだけ元気を取り戻したようで、続いたさえずりはいつもの調子に近くなっていた。


「今日は公園で、おじさんがまいてくれたパンくずを食べていたのです。たぶん、元はフランスパンだったものだと思います。とてもおいしかったです」


 おいしいものの話をしているのにも関わらず、やっぱり小鳥さんはいつもよりも声が暗い。

 くりっとした瞳も、なんだか少しくもっているように見えた。


「みんなで仲良く食べていたら、遠くから男の子が走ってきました。驚いて、みんな飛び立ったんですけど。その男の子が、空に飛んだわたしたちにお米を投げてきたのです。お米は小さいし、投げる力はそんなに強くなかったんですけど、痛かったです……」


 どうしてこんなに元気がないのか、納得したと同時に僕は悲しくなった。

 男の子には、たぶん悪気はなかったのだろう。

 けれど、小鳥さんは傷ついた。

 できることなら、小鳥さんにはいつでも笑っていてほしいのに。

 こんなとき、小鳥さんに何もしてあげられない自分が、ひどく歯がゆい。


「わたしは、高めに飛んでいたこともあって、そんなに当たらなかったんです。でも、それでも痛かったし、何よりも……とても恐ろしかったんです」


 その鳴き声はかすかに震えている。

 痛みが、恐怖が、悲しみが、直に伝わってくるようで、あるかないかわからない心が痛んだ。

 僕に手があれば、小鳥さんを包み込んであげられたのに。

 そうして、怖いものすべてから守ってあげられたのに。

 ここから動くことすらできない僕には、叶わないことだとわかっているけれど。


「……それは怖かったね」

「はい。怖くて、怖くて、思いきり泣きたいくらい怖くて。そうしたら、すごく電柱さんに会いたくなったんです。慰めてほしいとか、そういうのではなくて、ただ、話を聞いてもらいたくなったんです」


 小鳥さんのつぶらな瞳が僕に向けられる。

 僕が話を聞くだけで、小鳥さんの慰めになるのだろうか。

 そうだとすれば、どんなにうれしいか。

 小鳥さんの悲しみに、寄り添いたいと思った。


「こんなつまらない話をしてしまってすみません。ご迷惑じゃなかったですか?」


 小鳥さんは僕の反応をうかがうように、クッと小首をかしげた。

 僕はそんな小鳥さんを安心させてあげたくて、かける言葉を必死で考えた。

 でも、考えつくした言葉よりも、思ったことをそのまま伝えたほうが一番いいのかもしれない。

 そのほうがきっと、彼女の心にも響くはずだ。


「全然、迷惑なんかじゃないよ。むしろ、そんなときに僕のことを思い出してくれて、うれしい」


 僕が人間だったら、きっと笑顔を浮かべていただろう。

 言葉でしか伝えることができないのは、こういうとき少しもどかしい。

 それでも、僕にできることがあるのなら。

 僕の気持ちを、彼女に示したかった。


「会いに来てくれてありがとう、小鳥さん」


 大変だったね。もう大丈夫だよ。

 かける言葉は、他にもたくさんあったように思う。

 でも僕は、ただただうれしかったのだ。

 小鳥さんが、怖くて怖くて、泣きたくなったとき、一番に僕のところに来てくれたことが。

 僕を頼ってくれたことが、うれしくて仕方がない。

 だから、その気持ちを隠さずに言葉にした。

 慰めよりも、感謝を。


「……なんだか、心が軽くなってきました」


 少しの間をあけて、小鳥さんはそう小さな声で鳴いた。

 チュチュッと、明るくさえずる。

 もう、心配はなさそうだった。


「それならよかった」

「電柱さんのおかげです!」


 元気を取り戻した小鳥さんは、僕をもっと喜ばせるようなことを言う。

 僕の言葉が小鳥さんにとって元気の素になってくれたのなら、それほどうれしいことはない。

 いつもいつも、小鳥さんから元気をもらっているのは僕だから。

 たまには返したいと、ずっとそう思っていた。

 これで、ほんのわずかでも、お返しができただろうか。


「その男の子は、もしかしたら小鳥さんたちに食べてほしかったのかもしれないね。お米なんて普通は持ち歩くようなものじゃないから。でも、子どもだから、どうやって食べてもらえばいいのか、わからなかったんじゃないかな」


 憶測でしかないけれど、僕の考えを話してみる。

 少しでも好意的に受け止めることができれば、彼女の傷が浅くなるかもしれないから。


「そうだったらいいなって思います」

「うん、子どもはたまに突拍子もないことをするからね」

「はい、学習しました」


 僕の言葉に、小鳥さんは真面目な顔をして鳴く。


「その男の子も、今回のことで学習してくれるといいね。またいつか、今度はちゃんとした方法で、食べ物をくれる日が来るかもしれないよ」

「そうなったら、いいですね」


 思っていたよりもやわらかい声で小鳥さんは言った。

 それは、雛鳥を見守る母鳥のような、慈愛に満ちたさえずり。

 男の子のことを恨んではいないのだとわかった。

 今回のことで、小鳥さんが人間嫌いにならなくてよかった。

 誰かを嫌いになることは、とても悲しいことだから。




 お米を投げつけてきた子どもも、いつかは大人になる。

 いつか、男の子が大人になったとき、その手のひらに乗せられたお米を小鳥さんが食べる日が、訪れるかもしれない。

 そうなったらうれしいと、僕は思った。







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