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一年前?に書いた小説の続編、というか番外編です。
久しぶりの投稿で緊張。
もはや部活公認となった美紅と僕の関係だが、それと部活は全く関係なく、いつも通りに部活。
冬の西風は冷たいが、チューバを持って何となく屋上へ。するとそこには最愛の人、織部美紅。
向こうもこっちの存在に気づいたらしく、
「先輩じゃないですか」
振り向きざまに美紅は言う。
「美紅も居たのか。探しても居ないと思った」
「先輩もここで練習していきます?」
「ああ、そうさせてもらうよ」
そう言うと、僕は美紅の隣に移動した。
「先輩も、そろそろ引退ですね」
「うん。考えたくないけどね」
「居心地がいいからですか?」
「まあ、もちろんそれもあるけど」
「……じゃあ、一番大きな理由って何ですか?」
「それは、部活に来れば美紅が居るから、かな」
顔が一気に暑くなるのを感じる。自分で言っておいて恥ずかしい。
「先輩……恥ずかしいんですけど」
「僕だって言ってては恥ずかしいよ。でも、本当の事だし」
正直のところ、この部活を引退する気にはなれない。本当に居心地がいい。いくら気の沈んでいる時でも、楽器を吹けば気分も変わる。そうして、またやる気になる。
毎日が補講の連続だから、部活で練習できる時間なんて本当に限られたものだ。でも、練習をするかしないかで、僕の勉強に対する意欲は大分変わる。オンとオフをしっかり使い分けて、計画的に勉強をする。
こんなことを言っていると、自分がすっかり受験生なんだということを実感できる。夏の合宿で美紅と話して以来、僕は目標を定め、教師を目指し始めた。
夏休み明けの模試は酷いものだったけど、それから頑張ったお陰で前回の模試では偏差値を8上げた。
「……先輩」
何か思いついたように美紅は言う。
「ん?」
「今日、何の日か知ってますか?」
「うん。イエス・キリストの誕生日の前の日だね」
「……間違ってないですね」
美紅がちょっと不満そうな顔をする。
「ごめんごめん。クリスマスイブ、だね」
「そうです。分かってるなら最初から言ってください」
「ごめん」
そういう美紅のいじけた顔もまた可愛いから、と思ったけど、それを言ったら本気で怒られるような気がしたから止めた。
「まあ、いいですけど」
美紅は、まだ怒っているようだ。
「……先輩は、何か用事があるんですか?」
「部活が終わった後?」
「はい」
「あると思う?」
「知らないです」
「えー……」
きっぱりと言われて、ちょっと悲しい。まだ美紅は怒っている。
だから僕は美紅の手を取って、言う。
「今日は大切な用事があるかな」
僕はここで言葉を止める。
「……」
「……」
「……」
「……はぁ。いつも負けますね、先輩には」
そしていつものように美紅は笑う。
「先輩は卑怯です」
「卑怯だなんて心外だなぁ。僕はただ手を握って黙ってただけなのに」
「それが卑怯なんです。私がああいうのが苦手だっていうのを知ってますよね?」
「うん、知ってる」
「だったら何でそれをするんですか」
「それは決まってるよ」
「じゃあ、何でですか」
「……美紅には、いつも笑っていてほしいから」
「な……」
また朱に染まる美紅の顔。
「よくまた、平然とそういうこと言えますね、先輩は」
「相手が美紅だからな」
「……」
「……」
「……」
「終わらないな、このままだと」
「ですね」
「練習、するか」
「はい」
これを言うには勇気が居るのだけれど。
「とりあえず今日は」
「はい」
「本町にでも出かけようか」
「……はい」
付き合い始めて5ヶ月目に入るのに、こういうことに誘うのは慣れない。僕はいつでも美紅と一緒に居たいけど、美紅はどう考えているのか分からない。それが僕にはとても怖いわけで。
「とりあえず、練習しよう」
「そうですね。その後のことは、部活が終わった後でもいいですし」
「うん」
夕方にもなれば、いくらコートを着ていても寒いものは寒い。唇もどんどん乾いていく。でも、心だけは暖かい。隣に美紅が居るから。
寒くなって、前よりも人の温もりというものを感じ始めた。誰かが隣にいるだけで、人はここまで幸せな気持ちになれるものだと知った。
「……ありがとな」
「どうしたんですか」
「いや、唐突にそう言いたくなった」
「……そうですか」
本当に僅かな間の静寂だったけど、きっと美紅は僕に言ったことの意味を理解してくれただろう。僕が思っているよりも、美紅は僕のことを知ってくれている。それがとても嬉しい。
「しかし、本当に寒いなぁ」
「そうですね。なんでも今日は格段に冷え込むらしいですよ」
「そうなんだ。どうりでいつもより寒いと思った」
「寒いのは嫌いですか?」
「低血圧だからなぁ。でも夏より過ごしやすいと思うから、好きか嫌いかって聞かれたら、好きって答えるだろうね」
「そうですか」
「そういう美紅は?寒いのは好き?」
「私は寒いのは嫌いです。だって、布団から出られないじゃないですか」
「なんか予想できるな。美紅が布団から出たいのに出れないってもがいてる姿が」
「先輩の方こそ、簡単に予想出来ますよ」
「まあ、実際そうだからなぁ」
「ですよね。寒いですもんね」
「うん」
「ちょっと話しすぎたか」
「ですね」
「アンコンの曲やろう」
「はい。先輩の苦手な展開部からでいいですか?」
「うん。……お願いします」
美紅は夏休み以降、ものすごい成長率を見せている。自分に対しての迷いが無くなったからなのかもしれない。
中学からずっとチューバを吹いている僕だけど、美紅の演奏を聴いていてたまに負けたと思うことがある。
美紅がどんどん成長していくのは嬉しいことだけど、悲しくもある。
美紅が上達して、僕の助けが要らなくなってしまったらなんか悲しい。
といっても、美紅はもともとピアノを習っているから、音楽的なセンスは僕よりもずっとある。だから、抜かれるのは時間の問題だってことも分かってる。
「どうしたんですか、始めますよ?あんまり時間も無いですが」
「あ、うん……」
「……大丈夫ですよ。たとえ先輩の助けが要らなくなったとしても、私は先輩についていきますから」
「なんで僕の考えてることが分かるのかな、いつも」
「それは、先輩が私の大切な人だからです」
そんなことを言われて、平気な顔をしていられる筈がない。
「美紅、恥ずかしいんだけど?」
「はい。さっきのお返しですから。恥ずかしくなってもらわないと困ります」
「そうか……」
こんなことばかりしているから、練習が進まない。でも、これはこれで有用な時間だからいいかなと思ってしまうあたり、僕は馬鹿だ。
日も暮れかかった寒空の下、僕は大きな金属塊を構え、そして暖かな息を流し込む。金属塊は低周波で振動を始める。
唇に伝わる振動が心地よい。この振動で初めて、僕は楽器を吹いているんだという実感が湧く。
つられて彼女も彼女の楽器に息を流し込む。
トランペットは、僕のチューバよりも遥かに高い周波数を発生させる。
絡み合う、音と音。
空気を通して、僕たちは繋がる。
無機物を有機物に変えるように、生命を与えるかのように、奏でる。
学校の屋上から広がる音楽は、どこまでも、果ての果てまで。
時間は、過ぎていった。