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胃袋幽霊

「俺さ、胃袋の中に幽霊いるんだよねぇ」


 一杯奢るのでと言うと、連絡先も教えてくれたらという事で愉快そうにHさんは話してくれた。ふらっと訪れた場所で怪談を蒐集するのが私の趣味だった。物珍しい顔はされるものの意外と皆快く対応してくれるものだ。


「やたらめったらさ、腹が減るんだよねぇ」


 どういう事かと尋ねると、笑いながら腹をぽんぽんと叩いて説明してくれた。

 Hさんは現在三十五歳で、定職には就かずいわゆるヒモとして生活を続けてきたそうだ。ヒモと聞いて一瞬私は声を掛けた事を後悔したが、現在も女性に支援してもらって何もせずに衣食住を手にしていると聞き、安心半分軽蔑半分の複雑な感情に駆られた。

 確かにHさんの顔は俳優のように整っていた。ただ歩んできた人生というものはやはり顔に出るのか、何も自分で成していない人間特有のだらしなさが顔と雰囲気に現れていた。


 そんな彼は数年前からある事に気付いた。

 空腹感。とにかく食べても食べても腹が減るのだ。常に空腹が付き纏う。自分でも不思議で仕方なかった。食べ終えた瞬間は一時満腹感はあるものの、ものの五分も経てばすっからかんになったように腹が減る。

 何杯も白飯をおかわりする自分を見て、どうして働いてもいないあんたが働いている私の倍以上食べるんだと彼女には呆れられたそうだ。終いには何かの病気じゃないのかとも言われ、お金は出すから一度診てきてもらってと病院にも行ったが、結局何の異常も見つからなかった。


『お腹の中に幽霊でもいるんじゃない? それかなんか変な呪いでもかけられたんじゃない?』


 そう言われてなんとなくHさんは納得したという。


「別に幽霊なんて信じちゃいないよ。君には申し訳ないけど心霊スポットとか怪談とか興味ないし。たださ、生きた人間の恨みって言われると少しは納得いくわけよ。何も与えず奪うだけの存在なんてそりゃたまらなくウザイだろうなって」


 言いながら酒と食事を追加オーダーするHさんに反省や後悔の色は一切見えない。当たり前のように一人でこんな所で飲み食いしているが、そのお金ももちろん全て女性に出してもらったお金だろう。


「お姉さん、どう思う?」


 聞いた事がないタイプの話ではあった。Hさんが嘘をついているとも思えないし、作り話でもないだろう。だが怪談かと言われたら、ただ腹が満たされないだけの男の話だ。

 ひっかかる点としてはあるタイミングから症状が出始めている所だ。このあたりにHさんの言う生きた人間の恨みという所が怪談的に関係しているかもしれない。その点について何か思い当たる事はないかと聞くと、


「俺基本的に生でしかしないんだけど」 


 急に言われて一瞬何のことか頭が追い付かなかった。生ビールの事を言っているのかと思ったがすぐに女性との行為の事と気付き思わず顔をしかめてしまった。


「あ、なんだポーカーフェイスかと思ったけどちゃんとそんな顔するんだ」


 無邪気なHさんの言葉で更に眉間に皺が寄る所を何とか堪えた。こんな男に感情を読み取られるのは癪だった。


「一回ね、失敗しちゃった事があって。俺絶対子供嫌だったからさ、頼むから堕ろしてくれって。普段そんな事しないけど、その時ばかりは全力で土下座してお願いしたよね」


 怪談よりもこの男の存在そのものが恐怖になり一刻も早く店を出たい気持ちではあったが、我慢して自分が納得いく所まで話は聞こうと思った。


「嫌だってごねられてさぁ。あ、これはもう駄目だなって思ってすぐに飛んだよ。無茶苦茶連絡来たけど無視して最終的にはブロック。産んだのかなぁ? あの感じだったら産んでるかもね。でも知らないし分かんない。呪いとか生霊、だっけ? そういうのがあるとしたら多分その子じゃないかなぁ。でも腹がすく呪いって何? もっとやり方あるでしょ」


 ケタケタ笑うHさんに生理的嫌悪の限界が訪れ、私は断ち切るようにありがとうございましたという一言と一杯のビール代だけ渡しその場を後にした。

 去り際背中越しに「また飲みましょうねぇ」と言われた声は無視した。


 胃の中が気持ち悪くて仕方なかった。こんな男に食い物にされている女性が何人もいる事もそうだし、分かったうえで男をヒモとして飼っているのだとしたら一体何の為にか理解不能でその全てが気持ち悪かった。

 怪談を蒐集していると時に語り手の人間性にあてられる事はしばしばある。そういった経験は一度や二度ではないものの、ここまで不快に感じた経験は初めてだった。


 家に帰り少し気分が落ち着いてからHさんの話を思い返した。

 腹の中の幽霊。憑依といった形で心身のコントロールを奪われたり、特定の部位に怪我が集中したりと言った話は聞いた事はあるが、体内の臓器に取り憑くというタイプはかなり珍しい。


 中絶を望んだがその後の分からない命。もし彼女が結局堕胎していたとしたら。所謂水子の霊が彼に取り憑いたという事になるのか。もしくは彼女自身が亡くなった、彼女が何らかの呪いをかけた。可能性としては全てあり得そうだが、何故それがHさんの胃袋に繋がるのかがまるで分からなかった。





『産まれたかも』


 半年程が経ち、そんな出来事などすっかり忘れた頃にHさんから連絡がきた。

 思い出した瞬間、何故この男をブロックしていなかったのかという自分の迂闊さに辟易しつつ、あの時の話を思い出し一瞬にしてまた気分が悪くなった。


『腹が空いた理由って中でずっと成長してたんだろうなぁ』


 私からの返事を待たずにHさんは淡々と一文一文送信してくる。


『あいつ多分堕ろしたんだわ。でも絶対産みたいって言ってたもんなぁ。だから産まされたのかなぁ』


 そんな事があり得るだろうか。霊や呪いの力で、男性に霊を妊娠させるだなんて事が。


『会ってみる? 俺の子供。結構かわいいよ笑』


 それ以降彼の連絡先はブロックし連絡は取っていない。


 彼は何を産んだのか。

 彼はそれを今後育てていくのか。


 気にはなったが、私は今後一切彼に関わるつもりはない。

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