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Fの遍歴  作者: 春泥
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Fの告白(2)

 わたしはどうやら、思考停止に陥っていたようです。

 窓にはカーテンが引かれ、パジャマに着替えたひろ子が、ベッドにうつ伏せになって本を読んでいました。図書館から借りてきた本でしょう。読書好きな、普通の女の子にしか見えない少女を、わたしは恐る恐る眺めました。

 この子は、わたし自身が長らく忘れていたことを、まるで見ていたかのように言い当てた。いや、首を右に大きく傾けていたではないか。つまり、縦のものを横向きに見ていた。見えるのだ。彼女の目は、まるでエックス線のように表面の銀灰色の絵具を透過して、下に隠されたモノを見ている。

 わたしの狼狽になど、ひろ子はまるで気が付かないようでした。無理もありません。ひとは、わたしの表面に形成された絵を見るときに、その下にあるカンヴァスのことなど考えないのが普通だからです。画家からしてそうでした。木枠を組み立て、麻布を張り、釘で固定するまでは、彼らの心はわたしとともにありますが、木炭を画布に押し当てたその瞬間に、わたしは「絵画」となってしまう。絵筆を握るころには、布をぴんと張るためにわたしの表面を慎重に、やさしく撫でさすったことなど、吹き飛んでしまっているのです。


 この子は一体、いつ絵筆を握るのだろう。


 ひろ子は、暇さえあれば本を読んでいる子でした。わたしの前に立つと、非常にお喋りで、学校のことや家族のこと、今読んでいる本のことなど、何でも話してくれますが、それ以外では、この部屋にいる間中、本の頁に鼻をうずめています。セーラー服を着て中学校に通うようになっても、相変わらず本の虫でした。

 一度だけ、学校の美術の時間に描いた絵をわたしの前に掲げて見せてくれたことがありました。正直、画家のアトリエで様々な作品を見ていたわたしには、いたずら書きにしか見えませんでしたが、彼女はまだ子供なのですから、現段階でがっかりするのは早すぎるでしょう。


 しかし……


 そうはいっても、わたしには、ひろ子と同い年ぐらいの若い女学生の記憶がありました。

その女学生は、画家のお弟子さんでした。近所に立派な屋敷を構えた裕福な商家の一人娘で、美術学校への進学を目指して、週末に画家のアトリエへ通ってきていました。偏屈な画家は弟子などとりたくなかったのですが、その女学生には、見所があると思っていたようです。初めはいかにも邪険な態度だったのに、段々指導に熱が入っていくのが見ていてわかりました。その時彼女は十六歳。ひろ子は十四歳。発育がよいので、高校生といっても通るぐらいです。すらりと伸びた長い手足、いつのまにかふくらんだ胸、そういえば、久し振りに思い出した女学生の顔はおぼろげで、気が付けば、ひろ子の顔で彼女を思い描いていました。ひろ子の顔をした女学生は、白くふくよかな指を真っ黒にしながら、静物のデッサンを何枚も書いては、画家に叱られて、下唇をきつくかみしめ、都度やり直し、そしてついに、画家から「ふん」という言葉を引き出したのです。それまで親の敵であるかのように罵倒されていたのですから、この「ふん」は肯定的な「ふん」でした。それなら試験にも合格できるだろうさ。画家にしては珍しく、そんな褒め言葉まで口にするほど、女学生の画力は上がっていました。

 

 翻って、ひろ子十四歳が嬉しそうにわたしの前に差し出したのは、カラフルな水彩画でした。へたっぴ。一言でいうなら、そう。四つ切り画用紙を横長に使い、右上に大きな窓のある家があり、その家の前には、色とりどりの花が咲き誇る庭があります。左側手前から大きな木が空や家の屋根に覆い被さるように枝を伸ばし、構図としては悪くないと感じました。しかし、家、花、木、それぞれを描き出す筆がなんとも未熟で、七歳ぐらいの子どもが精一杯頑張ったような痛々しさを感じさせます。

 わたしは、この娘に多大な期待をかけすぎたのかもしれません。

 しかし、悪い子ではないのです。歯を剥き出しにして笑う姿には邪気がなく、知性の面にかけては、日頃から本をたくさん読んでいることもあり、成績優秀で、将来は医医者か弁護士かと期待されるほど頭の良い子なのです。性格は内気かつ穏やかで、物語中の善良な登場人物が不幸な最期を遂げると、涙ぐみながら、こんなエンディングは耐えられない、だから書き換えようと思う、と鼻をすすりながら宣言する優しい子なのです。

 そうです、はじめにこの子には画家の目があるなどと思い込み、勝手な期待をかけたわたしが間違っていたのでしょう。


「ねえこれ、よく描けてると思わない?」


 ひろ子は得意顔で画用紙をわたしの前に突き出してきます。繊細な目を持つ賢い子なのに、なぜ自作の絵の凡庸さには疎いのであろうかと不思議な気持ちで眺めていたわたしは、唐突に言葉を失いました。


「ほら、ここに人がいるでしょう?」とひろ子が指さすのは、家の窓の部分。無造作に水色に塗られた硝子の向う側に立つ人影が、真っ黒に塗られています。

「どれだけ目をこらしても、誰だかわからないからさ、わたしはやっぱり、この家の小さい女の子っていうことにして描いたんだよ。どう?」


 かろうじてヒトであることがわかる程度の輪郭を保った影から少女を連想することは多大な想像力が要求される作業でしたが、わたしを驚愕させたのは、その絵が、わたしの表面を覆う銀灰色の抽象画の下に隠された、花の咲き誇る家の絵の、かなり正確な再現であることに気付いたからでした。


 この子には見えていた。それはわたしの思い込みや勘違いではなく、本当に見えるのだ。


 その気付きが、わたしを打ちのめしたのです。

 その絵は画家が、生涯に一度、病床の妻を喜ばせるためという、その一心で描いた絵でした。だから、妻が亡くなると、封印するかのように、その上にまったく別の絵を重ねて、誰からも見えないようにしたのです。身勝手な男で、絵は全て自分のためだけに描いていた画家が、唯一他の誰かのために、いえ、己の放蕩のせいで薬代すら稼げず、むざむざと妻を死なせる罪滅ぼしのためでもあったでしょうか、妻が好んだ花という花を庭に咲かせた、ささやかだが幸福な家という幻を、十六センチ×二十二センチという小さなカンヴァス上に構築して見せたのです。「窓に見える人影は、わたしですか」と苦しい息の下で尋ねる妻に、画家は「お前にそう見えるのなら、そうだ」と顔を背けて答えました。それでも、この意固地な男は、妻のひび割れた唇に笑みが浮かぶのを、横目で確かに見たのです。


 長く思い出さなかった記憶に呑まれて、わたしは呆然とするしかありませんでした。ひろ子は楽しそうに、画家が妻のためだけに描いた絵の模写を、ひとつひとつ指さしては、ここに黄色い花が咲いている、この家の壁には蔦が生えているなど、もはや見えていることは疑いようのない正確さで説明をしていきます。彩色も、画家のテクニックには到底及ばないものの、原画に近づけようとした涙ぐましい努力の跡が見て取れます。これだけのものを、学校で記憶を頼りに描いたとは驚きです。やはりこの子は賢いのです。画力は小学校の低学年並みだとしても。

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