『忘却の都市』はじまりの一歩
「おい、何をしている。さっさと行くぞ。」
「は、はい。よろしくお願いします!」
私は慌てて立ち上がり、小林副隊長の背中を小走りで追いかける。
部屋を出る瞬間、ちらりと城戸隊長の方を振り返った。
隊長はいつもの笑顔でこちらを見てくれていたけど—— それ以上は、何も言わない。
少しだけ、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
……彼らが去って少しした後、林が城戸に質問した。
「本当に……良かったんですか?」
城戸はその言葉に頷く。
「彼女には、入隊する一ヶ月ほど前から私とは今後、別行動になることは伝えていた。 しばらくは大変かもしれないが——大丈夫だろう。」
「でも、あの無愛想な小林副隊長ですよ? あんな少女がついていけるんですか……」
そんな声に、城戸は少し笑いながら反論した。
「君は彼女を見くびっているな。たしかにここにしばらくいたが、あの歳で親も身寄りもないまま、ひとりで都市に過ごしてきたんだ。精神力はすでに大人並みだよ。」
「それに——小林君は無愛想なわけじゃない。 ただ、不器用なだけだ。」
その一言に、隊長室にいた全員から小さな笑いがこぼれた。
私は、ようやく小林副隊長に追いつき、勇気を出して声をかける。
「ほ、本日は何をされるのでしょうか……?」
少しだけ寂しい。
だけど、今日から私は都市警備隊の一員。
そう気持ちを切り替えて、仕事に集中しようと思った。
すると小林副隊長は、わずかに眉を動かしてひとことだけ答えた。
「都市警備隊条項を読み上げてみろ。」
——都市警備隊条項。
隊長室の壁にも掲示されていた、あの3つの言葉。
何度も見たはずなのに、緊張からか、なぜか言葉が出てこない。
頭の中が真っ白になる。
「……えっと……」
沈黙が続いたその瞬間、副隊長は静かにため息をついた。
「それが言えるようになるまでは、俺はお前に教えることはない。」
その言葉を残し、また一人で歩き出してしまう。
結局——初日は、何も教えてもらえなかった。
翌朝。
私は、端末に表示された住所に向かった。
時間にはかなり余裕を持っていた。
それでも、そこにはもう副隊長が立っていた。
息を整えて、私は思い切って声を張った。
「おはようございます!昨日は申し訳ございませんでした!」
その瞬間、副隊長の眉が少しだけ動き、驚いたような表情をする。
私はかまわず、すぐに続けた。
「第一項。都市警備隊は都市の秩序と平和の維持を最優先にすべし。」
「第二項。都市の運営に関し、不平不満、疑問を持つ住民の行動、言動を確認し報告すべし。」
「第三項。尚、都市警備隊間において上記を確認した場合は、即座に捕縛、連行すべし。」
緊張で手のひらが汗ばんでいる。でも、全部暗記してきた。
絶対に間違ってない……はず。
副隊長は、しばらく黙ったまま何かを考えていた。
そして、私に向かってこう言った。
「その通りだ。今の条項を決して忘れるな。世間では、この都市が“世界一安全”などと噂されているが——実態は違う。小規模ではあるが、いわゆる軽犯罪はゼロではない。 我々警備隊が、それを未然に察知し、防いでいる。 だからこそ、この都市の平和は保たれている。」
私は、力いっぱい頷いた。
隊長室で聞いていた、あのたくさんの報告。その意味が、少しだけ分かってきた気がした。
「お前は、その隊員の一員になるのだ。 俺は、城戸のように甘くはない。やるからには、徹底的に指導してやる。覚悟しておけ。」
その声は冷たくて、厳しくて。城戸隊長の優しさとは違う。
でも、不思議と、心がざわつかなかった。
——私には、この姿がとても誇らしく見えた。
小林副隊長はその日から—— 私の、正式な“指導員”になった。
……そして、それから約一年後、あの事件が起きる。