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ep 6

世一の「どっちなんだよ」という呟きは、結の耳には届かなかったのかもしれない。彼女はただ、世一に「気持ち悪い奴」と言われたことに対する申し訳なさと、それでも彼への憧憬を止められない自身の感情との間で揺れ動いているようだった。

そんな結の混乱した様子を、世一はしばらく無言で見つめていたが、やがて不意に、まるで何でもないことのように口を開いた。

「……あー、あれか。お前が見てたっていう、俺が何十人も斬り捨てたって話だが」

結がはっと顔を上げる。

「気に入らねぇから殺しただけだ。それ以上でも以下でもねぇよ」

世一は、まるで道端の石ころを蹴飛ばすかのように、あっさりとそう言い放った。そこには一片の悪びれもなく、ただ事実を述べただけ、というような乾いた響きがあった。

しかし、結はふるふると首を横に振った。その潤んだ瞳には、強い確信の色が浮かんでいる。

「……いいえ。わたくし、知っております……。世一様は、あの時、悪党たちが無慈悲にも、そこに咲いていた健気な白い花々を踏みつけようとしていたのにお怒りになって……それで……!」

彼女の言葉は、世一の自己評価とは全く異なる、彼の一面を照らし出すものだった。

「現に、わたくしの元には、あの日貴方様がお守りになった花々や、他の小さきもの達から……世一様の地獄行きをお止めください、という嘆願書が、今も続々と届いているのでございます……!」

「…………」

世一は何も言わなかった。その横顔からは、何の感情も読み取れない。だが、彼の纏う空気が、ほんの僅かに揺らいだように結には感じられた。

結は、確信を込めて続ける。

「……世一様は、確かに荒々しい御方でいらっしゃいます。けれど、誰よりも自由で、そして、小さき者たちを、声なき者たちを守ろうとする、本当の優しさを持っていらっしゃる……わたくしには、そう見えました」

その言葉が、世一の心のどこかに触れたのか、あるいは単に照れ隠しなのか。彼はふいと顔を背け、ぶっきらぼうに言った。

「……おい、ヤニのお変わりだ」

「は、ハイッ!」

結は、世一のその言葉に、まるで天啓でも受けたかのように顔を輝かせると、すぐさま傍らに控えていた和勇牛へと向き直った。

「これ、門番! ヤニを持ってまいれ! はやく!」

その声は、先ほどまでとは打って変わって、張り詰めたような、それでいてどこか嬉々とした響きを帯びていた。

「ハハッー」

和勇牛は心得たとばかりに、再び恭しく一礼し、同じように忘れ草を運んできた。結がそれを受け取り、震える手で世一に差し出す。

「さ、ど、どうぞ、世一様……」

世一はそれを受け取り、再び口に咥える。

「火」

「ハイッ!」

結は、今度は自ら進んで、和勇牛が用意していた地獄の釜の火を世一の忘れ草へと近づけた。彼女の白い指先が、禍々しい紫の炎に照らされて揺れる。

「フーッ……」

紫煙をゆっくりと吐き出し、世一は改めて結へと向き直った。

「で? なんだ? 俺に何の用があって、こんなところまで引っ張り出したんだ。お前が蜘蛛だってことは分かった。だが、それだけじゃねぇんだろ?」

「はっ、ハイッ!」

結は、世一の言葉に背筋を伸ばし、意を決したように口を開いた。しかし、その言葉は途中で嗚咽に変わる。

「こ、此度の件も……わたくしを、まも、守ろろろ、うう……」

袖に落ちた灰の熱さが、再び彼女の肌を焼く。

「熱っい!……あ、ありがとうございますぅ!!」

苦痛と感謝が入り混じった奇妙な叫びが、彼女の口から漏れた。

「わたくしを、お守りしようとしてくださった、そのお行動で……あ、貴方様を……世一様を、死なせてしまったのでございます……!」

ついに結は、そう言い切った。その瞳からは、止めどなく涙が溢れ落ち、彼女の小さな身体は罪悪感に打ち震えていた。

世一は、その言葉を黙って聞いていたが、やがて静かに言った。

「……俺は、『貴方様』じゃねぇ。俺には、世一よいちって名がある」

その瞬間、結の時間が止まったかのように見えた。彼女は目を見開き、世一の言葉を反芻するかのように、その名を小さく呟く。

「……よ、いち……さま……」

そして、次の瞬間、堰を切ったように感情が爆発した。

「ハイッ!! よよよ、世一様!!」

それは歓喜の叫びであり、長年の渇望が満たされたかのような、魂からの雄叫びだった。

袖の灰が再びじゅっと音を立て、彼女の肌を焦がす。

「熱っい!! もっ、もっと! わたしに、ご褒美を!!」

苦痛であるはずの熱さを「ご褒美」と叫ぶ結の姿は、常軌を逸していた。しかし、その表情は恍惚としており、彼女にとって世一から与えられる全てのものが、たとえそれが痛みであっても、至上の喜びであるかのように見えた。

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