ep 5
世一に促され、結はしゃくり上げながらも、ぽつり、ぽつりと自らの過去を語り始めた。その瞳には、遠い日を懐かしむような、それでいて深い疲労と諦念の色が浮かんでいた。
「わたくしは……神としてのお勤めがございまして……。毎日、毎日、下々(しもじも)の者たちの様々な頼みごとや、大神様の絶対なるご命令に、ただひたすら耳を傾け、応え続ける日々を送っておりました……」
そこまで言って、結は袖に落ちた灰の熱に再び顔をしかめる。
「……熱っ」
しかし、彼女は袖を引かず、むしろその熱さを何かの証のように受け止めているかのようだ。
「『アレをお願い致します』、『これをお願い致します』と、後から後から途切れることのない願い、願い、願い……。それらをただ叶え続ける毎日で、わたくしは……もう、疲れ果ててしまっておりましたのです……」
その声は、神としての威厳など微塵も感じさせない、ただただ弱々しく、か細いものだった。まるで、見えぬ重圧に押し潰されそうになっているかのようだった。
「ふと、その時でございました。ほんの僅かな息抜きの時間に、外界を見渡せるという『天の池』の水面を覗き込んでおりましたら……偶然、貴方様を……世一様を、お見かけしたのです」
結の言葉が、そこで一瞬途切れた。袖の灰が再びじりりと肌を焼いたのだろう。
「熱っい!……あ、ありがとうございます……!!」
苦痛の声を上げながらも、なぜか感謝の言葉を口にする結。その常軌を逸した行動に、世一は眉間の皺を深めたが、何も言わずに続きを待った。
結は、まるで夢見るような表情で続ける。
「たったお一人で、何十人もの猛々(たけだけ)しい男共を、まるで赤子の手を捻るように打ち倒しておいででした……。そのお姿が、わたくしの目には……ああ、何て、何て自由で、何て凄まじい御方なのだろうと……そう、おも、おも……思ってしまったのでございます」
その時の光景を思い返しているのか、結の頬は再び上気し、瞳は潤んで輝いている。彼女にとって、それはがんじがらめの神としての生活の中で初めて見た、鮮烈な「自由」の象徴だったのかもしれない。
「そ、それからというもの、わたくしは、お勤めの合間の暇を見つけては、天の池から世一様のお姿を、ずっと、ずっと見つめておりました……。それが、わたくしの唯一の慰めであり、喜びでございましたから……」
そこまで一気に言うと、結ははっと我に返ったように顔を伏せ、小さな声で付け加えた。「……許されることではないと、分かってはおりましたが……」
世一は、腕を組んで黙って聞いていたが、結の告白が終わると、心底不思議そうな、そして若干の不快感を隠さない表情で言った。
「……気持ち悪い奴だな、お前」
「も、申し訳ありませんっ!! やはり、そのように思われますよね……!?」
結は、世一の率直すぎる言葉に激しく動揺し、顔を真っ赤にして狼狽した。せっかく止まりかけていた涙が、またしても溢れ出しそうになる。
「あっ熱っい!……あ、ありがとうございます……!!」
再び袖の熱さに声を上げ、しかし反射的に感謝の言葉を口にしてしまう。その混乱ぶりは痛々しいほどだった。
世一は、そんな結の支離滅裂な言動を、眉一つ動かさずに見つめていたが、やがて、ぽつりと呟いた。
「……どっちなんだよ」