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ep 3

姫は、世一の鋭い視線に射竦められたように、しばらく言葉を発せずにいた。その白い頬は微かに紅潮し、大きな瞳は不安げに揺れている。傍らでは、主である姫の身を案じる和勇牛が固唾を飲んで成り行きを見守っていた。

「あ、あの、あ、あの……」

か細い声が、ようやく姫の唇から漏れた。何かを尋ねようとしているのか、あるいはただ圧倒されているのか。

「……おい」

沈黙に耐えかねたように、世一が低く声をかけた。その声には、有無を言わせぬ響きがある。

「は、はいっ!」

姫はびくりと肩を震わせ、まるで叱られた子供のように背筋を伸ばした。

世一はそんな姫の様子を意にも介さず、当然のように要求を口にした。

「ヤニ持ってねーか?」

「ヤ、ヤニ……? ヤニとは、なんなのでしょう……」

姫は小首を傾げ、困惑した表情を浮かべた。その言葉は純粋な疑問から発せられたものであり、世俗の、それも裏社会の隠語など知る由もない彼女の育ちの良さを物語っている。

「は? ヤニも知らねーのかよ」

世一は心底呆れたように姫を見やり、舌打ち一つ。

「チッ、使えねーな」

その言葉は、鋭い刃のように姫の心を刺したのだろう。彼女の大きな瞳にはみるみる涙がたまり、ぽろり、ぽろりと白い頬を伝い始めた。

「うっ……うっ……」

「はーっ……」

世一はわざとらしく深いため息をつくと、顎をしゃくって傍らの和勇牛を示した。

「そこの門番に言って、ヤニを持ってこさせろ。それくらいできんだろ」

「は、はいっ!」

姫は涙を袖で拭うのも忘れ、弾かれたように和勇牛へと向き直った。そして、先ほどまでの気弱さが嘘のように、威厳を込めて命じる。

「これ、門番! 今すぐヤニ? をここに持って来なさい!!」

語尾に「?」がついているあたり、まだ「ヤニ」が何なのか理解しきれていないのがご愛嬌だ。

「は? ヤニ、でございますか……」

和勇牛は一瞬戸惑いの色を見せたが、すぐに何かを察したように頷いた。

「ははあ、それはもしや、『忘れわすれぐさ』のことですな。外界の者からの貢物みつぎものの中に、確かに蔵に有ったはず……」

さすがに冥府の門番だけあって、そういった方面の知識もあるらしい。

「今すぐに、持って参りまする!」

そう言うと、和勇牛は一礼し、足早にその場を後にした。

程なくして、和勇牛が小さな桐の箱を手に戻ってきた。

「世一様、お待たせいたしました。こちらが『忘れ草』にございます」

そう言って桐の箱を差し出す。

世一はそれを受け取ると、中から一本、細く巻かれたそれを取り出した。

「おう、ヤニが来たか」

姫が、期待と不安が入り混じった顔で、恐る恐る尋ねる。

「こ、これで、よろしかったですか……?」

世一はそれを鼻先に持っていき、くんと匂いを嗅ぐと、片眉を上げた。

「あー、ま、これでも良いか。贅沢は言えねぇ状況だしな」

そして、それを無造作に唇に咥える。

「ん……」

姫は、世一がそれを咥えたのを見て、次の行動が分からず、ただ戸惑ったように彼を見つめるばかり。

「???」

世一は、咥えたそれの先を指で軽く叩きながら、訝しげに姫を見た。

「何やってんだ。はやく火を付けろよ」

「ひ、火でございますか!? わ、私どもは火等は持っていなくて……あの、あの……!」

姫は再び狼狽し、どうすればよいか分からず右往左往する。そして、何かを思いついたように叫んだ。

「門番! 罪人を焼く地獄の釜から、火を持ってきなさい!」

「は、ハハッーー!」

和勇牛は、姫の突拍子もない命令に一瞬目を剥いたが、すぐに「承知いたしました」とばかりに駆け出していった。その背中には、どこか悲壮感すら漂っている。

やがて和勇牛が、小さな燭台に揺らめく禍々しい紫色の炎を運んできた。地獄の釜の火とは、これのことらしい。世一は顔色一つ変えず、咥えた忘れ草の先端をその炎にかざし、深く吸い込んだ。

「ん……フーッ……」

紫煙が、ゆっくりと吐き出される。

「……ちょっとシケってるが、まあまあ旨いな」

世一はそう言って、どこか満足げな表情を見せた。

姫は、その様子を固唾を飲んで見守っていたが、おずおずと尋ねた。

「ご、ご満足、してくれましたか……?」

「まーな」

世一は短く答え、再び紫煙を深く吸い込んだ。その横顔は、相変わらず何を考えているのか読めなかったが、少なくとも先ほどまでの刺々しさは少し和らいでいるように見えた。

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