ep 12
神殿の最奥、そこは先ほどまでの神々しい光とは対照的に、どこか陰鬱とした空気が漂う広大な空間だった。巨大な柱が天蓋を支え、その中央には豪奢ではあるが今は主の威光を失った玉座が鎮座している。しかし、その玉座に主の姿はない。
世一は、周囲に鋭い視線を一度巡らせると、やがて玉座の背後に揺れる、大きな影を見つけた。その影は、小刻みに震えている。
「さて、何処に隠れていやがる。とっとと出てこい、ジジイ」
世一の声は、どこまでも冷ややかに、しかし神殿の隅々まで響き渡った。
玉座の影から、みすぼらしいとさえ言える姿の老人が、這うようにして姿を現した。あれが、この世界の頂点に立つ大神だというのか。その顔は恐怖に引き攣り、威厳など微塵も感じられない。
「ひ、ヒィィ……!」
大神は、世一の姿を認めると、まるで救いを求めるかのように、世一の後方に控える結へと、かすれた声を張り上げた。
「あ、天照よ! 我が天の子よ! そ、その悍ましい化け物を、早く退治せぬか! 何をしておる!」
しかし、結はもはやかつての、ただ命令に従うだけの神の子ではなかった。彼女は一歩前に進み出て、大神の言葉を毅然として遮った。
「! わ、私の名前は結です! そして、世一様の侮辱は、この私が決して許しません!」
その声は震えていたが、そこには確固たる意志が宿っていた。
大神は、最後の希望であったはずの結にまで反抗され、狼狽の色を深める。それでもなお、諦めきれないのか、今度は世一に向かって卑屈な懇願を始めた。
「の、の、望みは何じゃ? 財宝か? それとも、神にも等しい力か? 美しい女か? 言うてみよ、お主の望むものならば、このわしが全て、全てくれてやろうぞ!」
だが、世一は、そんな大神の哀れな命乞いを、吐き捨てるように一蹴した。
「だまれ」
「ヒィィィッ!」
大神は、その短くも絶対的な拒絶の言葉に、短い悲鳴を上げた。
世一は、恐怖におののく大神を、値踏みするような冷たい目で見据え、静かに、しかし心の底からの軽蔑を込めて語り始めた。
「……この世界は、反吐が出るほど最悪だ。何一つ己で成し遂げなくとも、貴様ら神とやらに媚びへつらってさえいれば、勝手に餌を与えられ、何もかも手に入り、何の苦労もなく生きていける。そんなふ抜けだらけの世界じゃないか」
大神は、世一のその言葉の意味を理解しかねるのか、あるいは理解したくないのか、必死に反論を試みた。
「そ、それが、一体何が悪いのじゃ! 我ら神々は、外界の者たちの望みを全て叶え、誰一人として何の不満も抱かぬ、完璧な世界を築いてきたのじゃぞ……!」
世一は、大神のその言葉を、鼻で嗤った。
「ばーか。そんなものは、生きているとは言わねぇんだよ。苦労もせず、努力もせず、ただ与えられるだけの人生が、何だって面白いものか。飯はな、汗水垂らして自分で見つけ出し、自分の力で手に入れて食うからこそ、本当に旨いんだよ」
「???」
大神は、世一のその哲学が、まるで理解できないというように、ただただ困惑の表情で首を傾げるばかりだった。彼にとって、世一の言葉は異次元の言語のように聞こえているのかもしれない。
世一は、そんな大神の反応にはもはや興味がないとばかりに、その視線を大神の胸元で禍々しい光を放つ、一つの宝玉へと移した。それは、あらゆる力を凝縮したかのような、見る者を魅了し、同時に畏怖させる輝きを宿していた。
「……よし、これか。この『宝玉』とかいう代物があるから、結はずっと苦しみ続けてきたんだな」
大神は、世一の視線が宝玉に向けられたことに気づくと、まるで我が子を庇うかのように、慌ててその宝玉を両手で覆い隠した。
「!? よ、よせ! それだけは、それだけはならん! それを壊したりすれば、この我も、そこにいる天照も、そして貴様自身も! この世界に存在する全てのものが、跡形もなく消え去ってしまうのじゃぞ!? それでも良いというのか!?」
その声は、悲鳴に近い。
「!?」
結もまた、大神のその言葉に、驚愕の表情で息を呑んだ。世界の消滅。それは、彼女にとっても想像を絶する事態だった。
しかし、世一の決意は揺るがない。彼は、再び大神を、そしてその胸元の宝玉を真っ直ぐに見据え、どこまでも冷酷に、そして静かに言い放った。
「……貴様ら神は、どうせ本質的には死なねぇんだろ。形を変え、名前を変え、何度でも蘇る。なら、もう根本からぶっ壊すしかねぇじゃねぇか。神なんぞが存在しない世界に。全てのしがらみも、苦しみも、喜びさえも存在しない、まっさらな『何もない世界』にするしか、手はねぇだろうが」
それが、彼の出した結論。それが、彼が結に約束した「破壊」の真の意味だった。
「世一様っ!」
結は、悲痛な叫びを上げた。彼女の瞳からは、止めどなく涙が溢れ出す。世界の終わり。そして、それは愛する人との永遠の別離を意味するのかもしれない。
世一は、そんな結へと、ほんの一瞬だけ視線を送った。その瞳には、珍しく、ほんの僅かながら、穏やかな色が浮かんでいるように見えた。
「結……ヤニ、美味かったぜ。……またな」
それは、あまりにも彼らしい、ぶっきらぼうで、それでいてどこか優しい響きを持つ、別れの言葉だった。
結は、その言葉の意味を悟り、堰を切ったように想いを叫んだ。
「わ、私……必ず、必ず貴方に会いに行きます! この魂が、何千回、何万回生まれ変わろうとも、必ず、必ず世一様を見つけ出します! それが、私の……私のたった一つの、願いですから! だ、だから…………ありがと……う……世一様……」
涙でぐしゃぐしゃになりながらも、彼女は精一杯の感謝を伝えた。
世一は、結のその言葉に、微かに口の端を上げたように見えた。
そして、大神の「やめろおおおー!!」という絶叫が神殿に木霊する中、彼は宝玉へと手を伸ばした。その手に、全ての元凶である宝玉が握り込まれる。
「……ふっ!!」
短い呼気と共に、世一の手に力が込められた。
パリン、という乾いた音、あるいは世界そのものが軋むような轟音が響いたのか。
次の瞬間、宝玉は木っ端微塵に砕け散り、そこから放たれた凄まじい純粋な光が、神殿を、世界を、そしてそこに存在する全てを、白一色に包み込んでいった。




