第二話「依頼」
「それじゃ、行ってきます」
「お気をつけて。くれぐれも怪我のないように」
「分かってるよ」
玄関を開けると、先ほどまで一面に広がっていた雲に亀裂が生まれ、一筋の光が差し込んでいるのが見える。
太陽もこれから仕事といったところだろうか。
ここは北方大陸カラク地方北部にあるカラクス山脈。
14年間住んでいた"旧ルクス王国"から追われた身とすると、ここが新しい故郷だ。
全体の標高は1500メートルくらいはあるだろうか。
もっとも、家はそこまで高い位置にはない。
この山脈を境に旧ルクス王国領とカラク地方が分けられている事から、カラクス山脈と名付けられたそうだ。
それにしても、ロイと住み始めて半年とちょっとになるが、いつになってもこの山の坂道は慣れる気がしない。
ろくに整備されてない獣道だが、毎日ここを下って町に向かっている。
ちょくちょく魔物に出くわす事があるが基本的にEランク以下の魔物であるため1人で対処できる。
あまり狩りすぎると間引き担当の奴らにドヤされるからそこは気をつけなければならない。
キュレンの町に着いたら向かう所はたった1つ。
冒険者ギルドだ。
そこが職場であり、生命線でもある。
カラク地方は北方大陸の山々の中心に空いた盆地の地形であり、北方三国に囲まれている。
そのため、北方三国の中継地点として機能しており、特にキュレンの冒険者ギルドは活動が活発である。
俺はその冒険者たちのおこぼれの依頼を拾って生活している事になる。
誇れたもんじゃないが今できることはこれくらいだ。
もっとも、ギルドに入ればその理由はよく分かるのだが――
ーーー
キュレンに到着した。
それと同時に、今日はやけに北側の住居区が賑わっている事が分かった。
人族に獣族(獣耳)・亜獣族(獣面)、長耳族――と様々な種族が集まっている。
魔族は……流石にいない。
長耳族も魔族の一種ではあるのだが、排斥対象は純魔族である。
住居区と言ってもここにいるほとんどは他所からやってきて宿に泊まっている冒険者たちだろう。
何かデカい依頼でもここに舞い込んできたんだろうか。
しかし俺には関係ない話である。
足早にギルドへ向かうのであった。
――
ギルドに入ると、いつも通り多くの冒険者が集って賑わっている。
知った顔もいる中で新顔も見られる。
よーし、ここはキュレンギルドの先輩として一発挨拶でもしてやろうかって。
ただ、その中の1人でも俺の存在に気づくとその空気は一瞬で変わる。
一斉に彼らの目線俺へと向く。
この空気感は未だに慣れない。
「チッ、また来やがったあの野郎……」
「あれって魔族? なんでここにいるの?」
「あいつ剣持ってね? 魔族で剣士やってんのかよ」
彼らはコソコソクスクスと話し始める。
話の内容は……聞こえなくても分かる。
その空気を切り裂きながら受付に向かう。
冒険者は基本的に掲示板に貼ってある依頼の紙を剥がしてから受付に向かうのだが、俺は受付から直接依頼を受ける。
今日も今日とて憎たらしい牛面をしている受付の奴に話しかけるのはもう慣れたが。
「おはようございます、ニック」
「……あ?」
「……あの、今日の依頼を承りにきたんですけど」
「軽々しく話しかけてくんな。お前は黙って、俺の言う事に従えばいいんだよ」
「…………」
なに、これは日常のやり取りだ。
魔族の俺が、亜獣族のニックに謙る。
至極当然のことだろう。
……当然だ。
ーーー
依頼名 『3つ組の大狼討伐、その素材回収』 ランク:E
概要 旧ルクス密林地帯に生息しているとされる大狼がカラク大森林に出現。第一発見者はその場で大狼に襲われ死亡。そのパーティメンバーがギルドに報告、C級ギルド員を森に向かわせた結果、3匹の大狼がいることが発覚した。この依頼はその3匹の大狼の討伐、並びにその素材回収とする。そして、この依頼が達成されるまではこの依頼を受けたギルド員以外の全ての者の森への進入を禁ずる。
追記欄 ・1組のC級ギルドパーティが大森林に進入、3匹のうち1匹の討伐に成功。C級ギルド員1名死亡
・1組のC級ギルドパーティが大森林に進入、成果無し。全滅
・1組のB級ギルドパーティと1組のC級ギルドパーティが大森林に進入、成果無し。B級ギルド員2名、C級ギルド員3名死亡。残ったB級ギルド員2名は帰還し、残ったC級ギルド員1名は森に留まっていると思われる
報酬 北銀貨1枚 依頼主 キュレン冒険者ギルド
ーーー
「これが今日のお前の依頼だ。せいぜい死なない事だな」
俺は唖然とした。
「ちょっ、ちょっと待て! なんだこの依頼! いくらなんでも…やりすぎだろ!」
「やりすぎだぁ? 報酬見てみろ。お前に銀貨1枚なんてもったいくらいだ」
「対価についてはこれ以上何言っても聞かないのは分かってるから何も言わないが、C級・B級ギルドパーティが達成できず死んでいくような内容の依頼を僕1人でどうにかしろと!?」
「いつもそんなこと言って結局達成してくるじゃねぇか。それとも依頼を受けないつもりか?」
「……でも、依頼を受けないで困るのは互いにだろ!」
ニックは図星を突かれた顔をした。
後に沈黙が続く。
実際、ギルド側は誰も受けないような依頼を俺に押し付けて消化しているのは事実である。
俺もそれは分かっているが、それを受けなければ報酬が貰えず生活がままならない。
言わば持ちつ持たれつの関係だが、そこまで聞こえの良いものではない。
「……仕方がねえ、魔道具を支給しよう。その代わり、絶対に達成するんだな」
「え、魔道具ですか?」
「ここまで言ってるのに不満だなんて言わせねぇぞ?」
「え、あ、いや……分かりました……」
これはかなり厳しい1日になりそうだ。
いや、そもそも1日で終わるのか?
ロイにこんな依頼受けるなんて言ってないし後で怒られそうだなぁ……。
ーーー大森林前
気分が乗らない。
パッと依頼達成してくるなんて誰が言ったのだろうか。
大森林の依頼が容易なわけがない。
聳え立つ木々を前に心が折れそうだ。
これまでロイを恋しく思った事は初めてかもしれない。
支給された魔道具は何の変哲もなさそうなブーツであった。
これまで見たことある魔道具はロイが使っている家事補助用の物しか知らなかったため、これの能力は見当つかなかったが、ニックによると「履けば脚が速くなるシンプルなやつだ。それでもギリギリ大狼に追いつかれる程度だからそこはなんとかしろ。あと絶対壊すな」とのことだが。
一応履いてみる。
やはり、効果はない。
負の呪い――逆子には魔道具の効果も効かないという事が分かった成果は出た。
先日の『俺の体には外部からの魔術が作用しない』という過去の結果からすれば順当な成果である。
これが負の呪いと呼ばれる所以なのだろう。
誰が呼んでいたのかは知らないが。
しかし、肝心の効果が現れないのなら先程の口論は意味無かったって訳だ。
準備や移動や諸々を含め大森林への進入開始は午後1時となった。
空はすっかり晴れて、陽光が燦々と降り注いでいるが、大森林はそうはいかない。
100m越えの木々が空を覆い、昼間でも日の光は木漏れ日というのがピッタリな程しか入ってこない。
ましてや、夜になってしまえば右も左も怪しくなるくらい暗くなる。
そんな状況で大狼を倒す事は不可能であるため、日が落ちる前に討伐する他ない。
大森林を目の前にし、少し緊張と焦りが滲み出てくる。
ビビってる訳ではないが、まぁそういう事だ。
「死ぬ気でやろう、じゃなきゃ死ぬだけだ」
これまでに言った事のないような台詞を吐き、剣とブーツを携え、いざ大森林へと進入する。