前編
この作品は黒森冬炎様主催の「螺子企画」参加作品です。
いやー今日のバイトもきつかった。
やっとの思いでオンボロアパートに帰ってきたら、ドアにメモがはさんである。何だろ?
「来次くん、車が完成した。明日部室にこられたし 大宝寺」
え? 車が完成したんだ。これは楽しみ。やっと運転の練習ができるぞ。
◇◇◇
翌日の夕方、僕は学校の自動車部(通称:シャブ)の部室に向かった。
広いキャンパスの西北の隅。サークル棟の一番はずれにその部室はある。
まあ実態は部室というより倉庫。古い建物の中にもう使えないパーツ取りのための中古車が無造作に置かれている。
その中にようやく二人乗れるくらいの小さな車があった。やった。これだ。これで免許取得に向けての練習が出来るぞ。
あ、知ってる人も多いだろうけど、自動車運転免許というのは自動車教習所に通わなくても運転免許センターで試験に合格することで取れるのだよ。但し、自動車教習所を卒業した人と違い、学科試験の他に技能試験も課せられる。
僕はその運転免許センターでの合格を狙っているのだ。理由? 自動車教習所に通う金がないからだよ。
昔はそういう学生でシャブも大賑わいだったそうだ。だけど、今はみんな普通に自動車教習所に通って免許を取る。
だから、今シャブにいるのは僕と大宝寺先輩だけなのだ。
で? 先輩はどこに行ったんだ。僕は早く運転の練習をしたいんだけど。
あっ! キーが刺さってる。先輩には悪いけどちょっとエンジンかけちゃおうかな。僕だって楽しみにしてたんだがら。
おっ、キーをひねってもエンジンがかからない。ふふふ。こういう時の対処法はもう先輩に教わっているのだ。
クラッチを離した状態でアクセルを何度か踏む。そして、ギアはニュートラルのままキーをひねれば……
グオオオーン わああああ
ほうらかかったって、エンジン音の他に叫び声が。まさか?
慌ててエンジンを止め、車から降りると車の下からのそっと這い出てきたのは大宝寺愛季先輩。油染みだらけのツナギ、埃でグレーになったボサボサのロングヘアー、右手には年季の入ったスパナ、女子力は皆無と言ってもいい。但し、結構巨乳だ。
「来次くん、科学的に見て、君はあたしを殺す気か?」
「すみません。まさか車の下にいるとは思わなくて」
「科学的に見て、車の下で作業してそのまま寝ちゃってるとは考えないか。まあいい」
「それよりとうとう完成したんですね。車」
「ああ、早速走ってみようか。科学的に見て、これがシャブ最後の走れる車になりそうだしな」
二十世紀の頃はシャブもたくさん部員がいて、みんなここで練習して、自動車教習所に通うことなく運転免許を取得した。
そして、学生のうちは五万円くらいのやっと動くような中古車を購入。卒業して社会人になると新車を購入し、車検の切れた中古車はシャブに寄付していった。
ただ時代の推移とともにそういう学生は減り、シャブで使える中古車もどんどん減っていき、ついには動く車は一台もなくなった。
そんな中、機械工学科史上最強(最狂かもしれないが)の車オタク大宝寺先輩が使える部品をかき集め、完成させたのがこの車だ。
車検なんか絶対通らないだろうし、これ以上はもう一台も作れない。部品の絶対量が足りないんだそうだ。
グオオオーン ドコンドコンドコンドコン
最近の新型はエンジン音が静かだそうだけど、この車は真逆だ。振動も大きければ、エンジン音も大きい。
でも、僕にはその振動や、やかましいエンジン音が僕たちの前途を祝福しているように思えてならなかったんだ。
「さあ、来次くん、科学的に見て、発進だ」
「はい」
ガガガガーッ
鈍い音を立てて車は動き出す。
目的地は学校裏のシャブの練習用コースだ。カーブに障害物。踏切に見立てた看板。再発進用の坂道。S字にクランク。一通りのものは揃っている。かつて土木工学科の人たちが自らセメントをこねて作ったものだそうだ。
だけど、それも劣化が著しい。道路はひび割れ、そこからたくさんの雑草が生えている。走るとガタガタ揺れるけど、そんなことは気にならない。むしろ、こういった悪条件での運転に慣れれば実際の運転免許センターでの技能試験などちょろいものだ。
いやそんなことはどうってことないのだ。本当にどうってことない。むしろ問題なのは……
この車のベースは軽自動車でもともと狭い。しかも昔の規格。排気量が550CCだったころのものだから更に狭い。
そして、これが一番問題なのだが大宝寺先輩は結構な巨乳のナイスバディーさんなのだっ!
つまり……その……柔らかいお体にたびたび触れてしまうと。
自慢じゃないがこっちは今時珍しい絶滅危惧種の貧乏学生だ。女の子慣れしていないことには絶対の自信があるって、あわわわわ。
ガタッガタッガタタタタッ
わー車が更に激しく震動しだした。それはいいんだけど、つまり触れ合う時間と面積が増えるということで……
「いかんっ! 来次くん、科学的に見て、エンジンを止めろっ!」
「はっ、ははは、はいっ」
大慌てでキーを回す。
ガッガッガッガガガガ プスーン
大宝寺先輩は止まるや否や車の周囲を見回す。
「先輩。大丈夫ですか?」
僕の問いに大宝寺先輩はエンジンを見たまま答える。
「科学的に見て、どうってことない。螺子が何本か飛んだだけだ」
「えーっ、それって大丈夫なんですか?」
「科学的に見て、直せる範囲だ。だが、今日はもう無理しない方がいいかもしれない」
内心ホッとした。これ以上先輩のお体に触れるのは今日はもう心臓がもたないわ。