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 ここのところ、ルカの気分は下がることを知らなかった。両家の食事会はつつがなく済んだし、子供部屋とエデの部屋の改装も滞りなく進んでいるからだ。


 家具選びは部屋の主人達の意見を多く取り入れたため難航するかと思ったが、みな好みがはっきりしていてやりやすかった。ストレートに要望を出してくれる相手との商談はスムーズでとてもいい。


 もちろん、かたくなな相手の口から望む言葉を引き出すのも手腕のうちだ。

 しかし、これから家族として暮らす小さな子供を相手に心理戦を繰り広げて誘導するのはさすがにどうかと思っていたのだ。その憂いが不要になったのはいい兆候だった。なんというか、それだけ心を開かれている感じがする。 


 ああ、でも、子供達のためにナニーや家庭教師を、そしてエデのために若いメイドを雇い入れなければ。庭に遊具を置けるよう、庭師にも相談しておかないと。


 結婚までまだ日はあるが、やるべきことは山積みだ。

 エデ達さえよければ、婚約期間中に越してきてくれても構わないわけだし。準備が早く終われば、それだけ早く一緒に過ごせるかもしれない。


 ……そんな風に日々を浮かれて過ごす主人の姿は、使用人の目には奇異なものに映っていた。

 これまで枯れたおじいちゃんだと思っていた主人が、ちゃんと年相応に女性に興味を示していて、縁談をとりまとめてきたのだ。驚きもする。


 ひいきの女優のため劇場に通っているのは知っていたが、そこまで入れあげているとは使用人達も思っていなかった。後援だけでは飽き足らず、まさか自分の妻として迎え入れるとは。


 それでも、守衛隊長のダンと御者兼馬丁のリチャードは、早々に“奥様派”に鞍替えした。華やかな若い美人がいてくれたほうが仕事に張り合いもでるからだ。

 庭師のグレッグと執事のジョゼには、主人の決定にわざわざ逆らう気がなかった。グレッグは鈍いが気のいい男で、人に親切にするのが生きがいなのだ。疑うことを知らない彼は、主人の祝い事を純粋に喜んでいた。

 それにジョゼも実は子供好きなので、一気に三人もの小さな子供が来てくれて屋敷がにぎやかになるのをひそかに楽しみにしているのだ。メンツにかかわるので黙っていたが。

 一方、女中のケイティと料理人のハンナはずっと渋い顔だ。主人が騙されていないか、財産目当ての結婚ではないか、そればかりが気がかりだった。

 もちろん使用人仲間以外の前でそんな顔を見せたことはないが、何度主人に忠言しようとしたかわからない。実際ケイティは小言混じりに何度かやったが、いつも主人に諭されてしまっていた。


 別に“奥様”が稀代の悪女だろうがなんだろうが、それでケイティ達の懐が痛むわけではない。

 痛むわけではないが……悪女の浪費のせいでベイル家が傾けば職を失う恐れもあるし、なにより信頼した主人が落ちぶれることになるのは見ていられないのだ。


 だが、最初はかたくなだった二人も、屋敷にエデ達を迎えるようになってしばらくするとだんだん打ち解けていった。ハンナの料理を食べて無邪気に舌鼓を打ったり、物陰のケイティに気づかず主人といちゃついたりしているところを目撃し続けたからだ。

 この鮮烈な美女は言うほど警戒すべき相手ではないかもしれない、と二人は思い始めていた。子供達がエデによく懐いていて、エデも庇護者の目をしていたというのも大きい。


 エデは、ケイティからすれば娘のような年だった。あの若さでよく三人もの養子を育てたものだ。主人が惹かれたのは、そういうところだったのではないだろうか。

 ケイティが態度を軟化させるとハンナもそれにならい、あの若く美しい女主人をきちんと歓迎できるようになった。


 使用人達の中でそんな感情の遷移があったことは、ルカだけが把握している。エデは知らなくていいことだ。


 ルカからかたくなに彼女達の主張を取り下げてばかりでは、彼女達もむきになってしまうだろう。自ら納得して意見を変えてくれるのであれば、それに越したことはなかった。


 女主人と使用人の間に溝があれば使用人の士気にかかわるし、なによりエデが心穏やかに過ごせない。

 だから、二人の心配は無用なものであるとわかってもらえるようにエデを紹介したつもりだ。理解を得られて助かった。


「旦那様、そろそろお時間です」

「ああ、ありがとうジョゼ。行きましょうか、エデさん」

「はぁい。あんた達、いい子にしてるのよ? ちゃんとご飯を残さず食べて、早く寝なさいな」


 ジョゼに声をかけられ、めかしこんだエデの手を取る。エデに釘を刺された子供達は、口を揃えて了承の返事をした。


 今日はマーモ伯爵が主催する夜会の日だ。マーモ伯爵の家は祖父の代からベイル家と取引のある貴族で、上得意の顧客と言っていい。当代の伯爵とはルカも何度か会ったことはあるが、落ち着いた雰囲気の老人だった。


 今回は父の名代としてルカが出席することになったが、失礼があってはいけない。ルカはパートナーとしてエデを誘った。

 帰りが遅くなりそうなので、子供達はルカの屋敷で預かることにしている。この家に慣れてもらうためにもちょうどいいだろう。部屋はまだ完全に整え終わってはいないが、客室にならすぐ通せた。


「二人でパーティーに出席するなんて、婚約して以来初めてね。なにかと忙しかったし」

「貴方を大衆の目にさらすより、二人の時間を大切にしたかったんです。まあ、そろそろ婚約披露のためのパーティーを考えないといけませんが……」


 ルカとエデを乗せた馬車がゆっくりと走り出す。自分達のパーティーについて話し合っていると、あっという間に目的地に着いた。



「伯爵閣下、今宵はお招きいただきありがとうございます」

「なに、宴にはベイル家のワインが欠かせないからな。こちらこそ、この素晴らしき恵みを届けてくださるベイル家の方にお越しいただき光栄だ」


 ダンスホールは招待客であふれていた。気圧されないうちに、夜会の主催であるマーモ伯爵に挨拶する。


「ところで、そちらの美しいご婦人は……」

「こちらは私の婚約者の、エデ・リトリア嬢です」


 指し示すと、エデは淑女の礼を取った。伯爵は興味深げにひげを撫でる。


「なるほど。クレセント座のラナンキュラスがついに摘み取られたという噂はまことだったか。おめでとうルカ君、そしてリトリア嬢。お二人の末長い幸福を祈らせてもらおう。結婚式にはぜひ呼んでくれたまえよ」

「光栄です、閣下」


 挨拶を終え、招待客の中にまぎれる。ルカはおずおずとエデに尋ねた。


「あの方も、貴方の支援者だったのですか?」

「違うわ。伯爵がひいきにしているのは別の人。あの人、若い女には興味ないのよ。金払いはいいし綺麗に遊んでくれるから、悪い噂は聞かないけどね」


 エデはそれ以上話さなかったが、エデが言うならそうなのだろう。わざわざ他人の好みを知りたいわけでもないし、伯爵のひいきの役者についてはルカも無理に聞き出そうとはしなかった。


 それからも、招待客の何人かはルカに声をかけ、また何人かはエデに声をかけた。夜のラナンキュラスは社交界では有名だ。

 クレセント座のような格式高い劇団の役者と懇意にしているということは、それだけでステータスに繋がる。大金を使う場所に日常的に出入りすることで裕福さの証明となり、美しい者を侍らせることで優越感を満たせるのだから。


 エデのかつての支援者に会うたびルカは嫉妬で叫び出しそうになったが、エデがぴたりと寄り添ってくれていたのでなんとか我を忘れることなく立っていられた。エデへの愛で昂るあまり奇行に走ればベイル家の、そしてエデの迷惑になる。隣にエデがいてくれて本当によかった。


 下心を持ってエデを支援していた者達は残念そうに肩をすくめ、ルカに憎悪のにじむ眼差しを投げた。

 だが、心を鎮めようとするあまりエデにばかり関心を寄せるルカにはすでに効き目がない。なにより、ルカのことしか目に入っていないエデを見て、彼らはすごすごと引き下がるのだ。


 もとより本気の関係ではなかったし、本気でエデをものにしたいのなら—エデの意思はさておくとして—いくらでもチャンスはあった。それに乗らなかった時点で、彼らの敗北は決まっていたのだ。


 女優と支援者、その一線を越える気がなかった者達に、はじめからルカと同じ舞台で戦える道理などない。それを理解しているからこそ、彼らももう女優でなくなったエデに表立って劣情をぶつけはしなかった。

 それに、女優は他にもたくさんいる。夜のラナンキュラスが摘み取られても、次に咲いた花を愛でればいい。だから彼らは喪失感や後悔と寂寥を飲み込んで、エデとルカの門出を祝福できる。


 事件が起きたのは、夜会も半ばのころだった。

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