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エデが一座の関係者からもらった餞別の整理をしながら返礼を考えていると、ドアベルが鳴った。
平日の昼下がり、リコは昼寝の時間でトミーは友達と遊びに行っている。ジャンは近所の博物学者の家で小間使いのアルバイトという名の勉強中だ。
実に静かな午後なのだが、一体誰が来たのだろう。今日はルカとのデートの日ではなかったはずだが。
ドアについている小さな覗き窓から外の様子をうかがう。立っていたのはシャロンだった。そういえば、今日は創立記念日だかなんだかで毎年大学が休みになっていたはずだ。
「エデ、改めて婚約おめでとう。これ、よかったら」
「わざわざお祝いに来てくれたの? ありがと、シャロン」
ルカとのことは、シャロンにもすでに伝えている。シャロンは驚いたが、すぐに祝福してくれた。
シャロンを家にあげ、お茶を淹れる。シャロンからの祝いの品はレースの白いハンカチだった。もったいなくてしばらく使えそうにない。
「エデが幸せになってくれるなら、わたしも嬉しい。だから、幸せになって」
「ふふ、当り前じゃない」
シャロンは安心したように目を細めた。だが、その表情はすぐに曇る。
「結婚が決まったこと、ウィズには話したの? わたしからはまだ何も言ってないけど……」
「伝えるわけないじゃない。だって赤の他人よ、他人」
あれ以来、彼とは会ってもいない。英雄サマも色々と忙しいのだろう。
ただ、街ではいくつか浮ついた噂が聞こえてくる。ウィズが貴族の姫君に見初められたというのも、その中の一つだ。魔獣狩りの英雄と高貴な令嬢の縁談は、多くの人々にとってはいい報せらしい。エデには関係のないことだが。
「そう。正しい判断。わたしも、黙っていようと思う」
シャロンはくすりと笑った。今回の件では、彼女も腹に据えかねたものがあるようだ。
それから二人は他愛のないお喋りに興じ、夕飯の支度をして、帰ってきたちび達と一緒に夕食を摂った。明日が早いということで泊まらずにそのまま帰ったシャロンだが、あと何度この家に迎えることができるだろうか。
ルカからは、いつでも家に来ていいと言われている。そのため、引っ越しの準備はちまちまと進めていた。大きな家具は新調できるからいいとして、ちび達にも荷物をまとめさせなければならないのだ。
「トミー、こんなにいっぱい大切なものがあるの?」
食事の後、荷造りに取り掛かったちび達のうち、終わったと得意げに言いにきたトミーの荷物を見て、エデはその中身をいくつか手に取った。
大きな箱が三つ、ぱんぱんに詰まっている。おもちゃや石ころ、棒切れに木の実。その他、よくわからない何かの残骸のようなもの。よくもまあこれだけ集めたものだ。
「うん! これ全部、俺の宝物なんだぜ!」
「そ。宝物がたくさんあるのはいいことよ。これからも大事になさいな。でも、集めてきた戦利品はちゃんとあたしにも見せてよね」
服や文房具といった物もちゃんとまとめられているから、これはこれでいいだろう。
手にしていたおもちゃを箱の中に戻し、エデはトミーの頭を撫でる。トミーは威勢のいい返事をした。
「エデ姉、リコもリコも!」
「あ、僕も終わったよ、エデ姉」
リコに引っ張られ、リコとジャンの荷造りの成果もチェックする。服と子供向けのアクセサリー、ぬいぐるみに絵本。これまで買い与えていた物はすべて持っていくようだ。
予想は大体していたが、リコもトミーと同じく取捨選択の発想はないらしい。まあ、それでいいだろう。むしろそうでなければ困る。大人の顔色なんてうかがわず、自由にのびのび生きていてもらいたい。
「というわけでジャン、あんたは荷造りやり直し。本当にこれでいいならそのままでいいけどね」
「うっ……」
「あたし言ったわよね。ここに置いてく物は、捨てちゃうって」
持っていく荷物からよけられた、兵隊の人形を一瞥する。エデが何を見ているか気づいたのか、ジャンはバツが悪そうにうつむいた。
あの人形だけではない。船の模型にゲームボード、それからスケッチブック。そういうものはまだ全部部屋の中だ。
持っていく荷物は服と勉強道具だけという殺風景さだった。植物の図鑑と鉱石標本だけが趣味の色を出しているが、選定の理由は「高価な貰い物だから」であるように思えてならない。図鑑はいつぞやの誕生日にエデが与えたもので、標本はジャンの師が彼のためにとこしらえたものだ。
「持ち込み禁止ならルカがそう言うでしょうから、とりあえず持っていってみなさいよ。無理って言われてもあたしからも頼み込むから」
ルカの家には、引っ越しの下見として何度か行ったことがある。実際にどの程度の広さなのか、子供をいきなり三人連れ込んで大丈夫なのか、使用人達はどうなのか。結果はすべて問題ナシだ。
このアパートはダイニングを含めて三部屋で、四人で二つの寝室を使っている。ところがルカの屋敷は、一部屋でこのアパートの一室がすっぽり収まってしまいそうなぐらい広かった。
そんな部屋がいくつも余っているのだ。ルカも、余っている部屋は好きに使っていいと言っていた。子供部屋を三つぽんと用意するなど簡単なことで、部屋にある小物をすべて持っていっても余裕で収納できるだろう。
「でも……ルカさんにそこまで迷惑かけられないよ。僕ら、エデ姉のオマケだし」
「ジャン?」
エデがにっこり笑うと、ジャンは「しまった!」という顔をした。
子供のしなくていい遠慮をエデが嫌うことは、ジャンもよく知っているはずだ。それでもつい考えてしまうのは、それだけ彼が優しい子だということだろう。
遠慮なのか、それとも本当にそれでいいと思っているのか。今回は前者だったらしい。ジャンは聞き分けのいい大人のフリをするのをやめて、潔く自分の宝物をまとめる作業に移った。
ほどほどのところで就寝時間になり、エデはちび達をベッドに集めて部屋の明かりを消す。
エデも自分の荷造りを進めなければいけない。明日ゆっくりやることにしよう。
お気に入りの服や靴にアクセサリー、純粋なファンからのファンレターとプレゼント。暗記するまで読み込んだレシピ本は、老爺が文字の読み書きや計算の練習のために与えた教本でもあった。
彼の形見は身につけている。護身用のナイフだ。形見分けで、懐中時計はウィズが、万年筆はシャロンが持っていた。
「……父さん。あたし、父さんのおかげで生きてこれたわ。あの時父さんに拾われてなかったら、とっくに野垂れ死んでたでしょうし……ルカに会うこともなかった」
ナイフの鞘をそっと撫でる。こうするたびに、彼が今もどこかで見守ってくれるような気がした。
「ありがとうね、父さん。あたし、父さんの娘になれて幸せよ」
枕元にナイフを置き、エデは眠りについた。
子供の姿に戻って、懐かしい老爺に頭を撫でられて強く抱きしめられて褒められる。そんな幸福な夢を見た。