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「エデ姉ちゃん、何かいいことあったの? 帰ってきてからずっと嬉しそうだよ」


 トミーに尋ねられ、エデは昨日から頬が緩みっぱなしだったことに気づいた。


「ちゃんと野菜を食べたら教えてあげるわよ」


 トミーの前にある、みじん切りのニンジンだけを器用によけてある朝食の皿を指す。

 トミーは嫌そうに顔をしかめたが、隣のジャンは残してあったブロッコリーをがつがつと平らげた。好き嫌いのないリコは、余裕そうにパンをスープに浸している。


「ほら、僕は食べたよ!」

「えらいわね、ジャン。リコもいい子」

「リコ、トミー兄みたいにオコサマじゃないもん!」

「うぅ……」


 トミーも渋々ニンジンを口に運び、牛乳で流し込んだ。エデは苦笑して口を開く。


「あんた達、ルカのことは好き?」

「ルカくん? いつもおかしくれる人だよね。あと、この前どうぶつえんにつれてってくれた! リコはすきだよ」

「俺あいつ嫌い! あいつはウソツキの悪い奴だからな。めっちゃうめープリンくれたと思ったら、それ、ニンジンでできてたんだぜ!? エデ姉ちゃんの髪の毛の色じゃなかったら、オレンジ色なんて大っ嫌いだ」


 リコは無邪気に笑い、トミーは頬を膨らませている。この中では最年長—といってもまだ十二歳だが—のジャンは、エデが何を言いたいのか察したようだ。


「あの人ならいいんじゃないの? ……僕ら、邪魔?」

「そんなわけないでしょう? ルカが一緒に暮らさないかって言ってくれるから、あんた達の意見を聞きたかっただけよ」


 昨日、ルカときちんと想いを伝えあった時、ルカにそう誘われていた。弟妹達も一緒に、ルカの家で暮らさないかと。

 どうやら帝都に越してきた時、予定もないのに将来を見越しすぎたせいで、ルカ一人では手に余る広い屋敷を買ってしまっていたらしい。

 願ってもない申し出だ。これまでは、エデが仕事で家を空ける時は子守りを雇っていたが、もうそんな必要もない。


 退団の話はルカがつけてくれた。劇団は避妊に厳しいし、エデのお腹に子供がいないことも毎月の検査で確認済みだ。結婚に支障はない。ただ、外野からは好奇の目を向けられてしまうかもしれないが。


 富豪と商売女が結婚すれば、下世話な視線にさらされるのは世の常だ。エデはあくまでも女優だったと言い張れるぶんマシだろう。夜の顔を抜きにしても、娯楽を供する偶像としての役目はある。

 そもそも、役者を買えるのは裕福な支援者だけだ。一般の人々からすれば、そういう存在でもあるとおぼろげに知っていても実際に手が届くことはない高嶺の花だった。


「おひっこし? おひっこしするの? あたらしいおうち! リコたのしみ!」

「よっしゃ、仕返しし放題! エデ姉ちゃん、あいつの嫌いなもの教えてくれよ!」

「……ありがと、エデ姉。ルカさんにもお礼言わないとね」


 子供達もおおむね好感触のようだ。ほっと胸をなでおろす。


 ルカの家業はきちんと聞いた。ルカは基本帝都にいるが、南西部の農園の様子を見に行くことも多いという。

 たとえルカがどこに住むことになろうとも、エデはついていく気満々だった。仕事の邪魔はできないが、数合わせの手伝い係ぐらいにはなれるはずだ。


 学はないが度胸ならある。金勘定では力になれずとも、他に助けになれることがあればいい。そうやって、愛し愛され支えあって生きていきたい。弾む心は、エデに希望で満ちた未来だけを広げてくれた。


*


「エデさん、今日は一緒に指輪を選んでくれませんか」


 待ち合わせの公園に来たルカは、いつもの何を考えているかわからない笑みを浮かべてそう誘った。


 劇場を通さずにルカとデートするのは不思議な気分だ。楽屋外で会う時も、劇場には連絡が行っている。そういうシステムだ。でも、これからはもう関係ない。


「喜んで。行きましょ、ルカ」


 この国では、結婚を約束した男女は揃いの指輪を嵌めるならわしだ。お互い遠慮する理由はとうになかった。


 ルカの手を取り、寄り添って歩く。幸せだ。


 ルカはエデの歩調に合わせて歩いてくれるし、疲れていないか気遣ってくれる。

 時間はたっぷりあったので、目的の宝飾店に辿り着くまでカフェでのんびりお茶をしたり通りの散策を楽しんだりした。


 帝都の一等地に建つその店は、複数の支援者のいるエデでもめったに寄ることのない高級店だった。帝都中の女の子の憧れの店の一つといってもいい。

 あまりにきらびやかな店内の様子に目がくらむが、それ以上に気分が高揚した。


「こういうものは、ダイヤが定番だと聞いていますが……何か、お好きな宝石などはありますか?」

「そうねぇ。ルカの目みたいな、アンバーとか?」

「ッ!」


 指を絡めた手を引いて、彼の身体に密着する。いたずらっぽく笑いながら琥珀の瞳を見上げると、ルカはようやく感情らしい感情を見せた。貼りつけたような彼の笑顔が崩れ、頬がわずかに赤くなる。


「あ、貴方の指を飾るには、少し地味ですよ。それに、私も身に着けるものなんですから。自分の目と同じ色の宝石がついた指輪をはめた男なんて、変でしょう?」

「そうかしら。あたしはいいと思うけど……。そうだ、だったらあたしの目の色の宝石も並べましょ? ガーネットが近いかしら」


 店員に頼むと、快くサンプルを見せてくれる。特に鮮やかなワインレッドのガーネットを見つけてくれたのはルカだった。


「デザインはエデさんにお任せします。私はセンスに自信がないので」

「そんなしゃれた服を着こなす紳士が言うことなの? まあ、任せてくれるって言うなら好きにさせてもらうけど。あとで文句を言うのはやめてちょうだいね」


 エデの目から見ても、ルカは十分お洒落だが。彼はたまにそういう卑屈なことを言うが、謙遜なのか本心なのかよくわからない。


 ……ルカがお洒落に見えるというなら、それは都会に馴染みたくて必死で積み重ねてきた努力のたまものだ。おかげでルカはすっかり垢抜けた。

 だが、帝都にはかつてのルカを知る者がいないので、その変わりようを誰も評価できない。そのため、ルカはいまだに自分の容姿に自信がなかった。家族や郷里の人々は、ルカに激甘の甘なのでそういう意味では信用していない。


 もっとも、そんなことを人に言うのは恥ずかしいことだとルカは思っている—だって、本物の洒落者なら自然とできて当たり前のはずだからだ—ので、エデがそれに気づくことはないだろう。彼女はルカのことを、生粋のスマートな伊達男だと思っているのだ。


 ああでもないこうでもないと、店員とはしゃぐエデを見てルカは目を細める。

 エデが楽しそうだと、ルカも嬉しくなった。たまに意見を振られるたび、的外れなことを言っていないか心配だったが、それでもきっと彼女なら許容してくれるだろう。


 やがて、エデは納得のいくデザインに辿り着いた。

 完成には二ヶ月ほどかかると言われた。できあがるころには結婚している気がすると、二人は顔を見合わせて笑う。


「婚約指輪ぐらい、事前に用意しておいてよね」


 エデは唇を尖らせた。そうだったら、一も二もなく了承していたのに。指輪まで用意してくれていたのなら、その時点で彼の本気がわかるというものだ。


「だって、一人で勝手にそこまで話を進めていたらいくらなんでも気持ち悪いじゃないですか。貴方の指のサイズも知りませんでしたし」


 正式に付き合っていたわけではなかったのだから、とルカはすねたように目をそらした。


 それは確かにそうだろう。相手がルカだから嬉しかったが、特に気のない支援者にそこまでされたらさすがのエデも引いていたかもしれない。


 婚姻の耳飾りも注文しておいた。一対のイヤーカフを片耳ずつ、結婚式でつけあうことで既婚者の証になる。一生使える、シンプルで上品なデザインにした。


 一番の目的は達成できたので、気ままに街を見て回る。恋人……否、婚約者になれたというだけで、いつものデートコースもだいぶ景色が違って見えた。


 広場でアイスクリームの屋台が出ていたので、噴水の傍のベンチに座って並んで食べる。ふと、ルカの横顔に目がいった。

 少し日に焼けた、彫りの深い端正な顔立ち。柔らかな絹のようにまっすぐな黒髪は、癖っ毛のエデからすればかなりうらやましい。すべてを見透かすような琥珀の瞳は謎めいた印象を与え、他者からの詮索を拒むように伏せられている。もっとも、今は手元のアイスクリームに集中しているだけだが。


「エデさん? どうかしました?」

「……おいしそうだな、って思っただけよ。ね、ひとくちちょうだい?」


 ルカは目を見張りながらも小さく頷く。エデは礼を言い、ルカを見つめた。ルカは一瞬固まったが、手元のスプーンとエデを交互に見やる。おずおずとではあったが、彼はちゃんとエデにアイスを食べさせてくれた。

 カシスリキュールがふわりと香る濃厚でなめらかなバニラアイスを味わい、エデは口の端をぺろりと舐める。


「ん、おいしい。あたしのも食べる?」

「で、では、いただきます」

「はい、あーん」


 ベリーソースのかかったチョコレートアイスをたっぷりすくったスプーンを差し出すと、ルカは緊張した面持ちでちょびっとだけ唇で触れた。

 スプーンの上のアイスは全然減っていない。もっと勢いよくいけばいいのに、と笑うと、ルカは照れたように目をそらす。


(やだ、なにこいつ……可愛い……)


 ルカへの愛しさがこみあげてきてどうにもならない。とりあえず、ぴたりとくっつくことでその場をしのいだ。アイスはちゃんと食べさせた。


「エデさん」

「なぁに? あたし達は恋人同士なんだから、これぐらい普通でしょ?」


 流し目で挑発する。いや、エデには挑発の意図はなかったのだが、その蠱惑的な眼差しはルカの目にそう映っていた。


(エデさんねぁ敵わねなぁ……好ぎだ……)


 ルカもルカで、内心かなり悶絶している。キモがられないよう、にやけそうになるのを必死で抑えていたが、ぽやぽやした幸せオーラは隠しきれない。


 甘い雰囲気を醸し出す恋人達は、いまや世界の中心にいた。お互いしか見えない、理想の空間だ。


 そんな幸せいっぱいのエデだったが……この一週間後、彼女はベイル家の洗礼を受けることになる。

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