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「エデ姉ー! みてみて、お姫様!」
「あら、なんて美しいのかしら! リコ姫様、そちらはどうなさったの?」
今日は天気がいいからと、屋敷のテラスで刺繍をしていると、庭園からてとてとと駆けてくる小さな影があった。
リコだ。花冠を被り、満面の笑みを浮かべている。
「グレッグおじさんに作ってもらった! 姉のぶんもあるよ。姉のはね、リコが作ったの。おじさんに教えてもらってね」
ぎゅっと握りしめたもう一つの花冠を、リコは得意げに差し出す。ぼろぼろだが、一生懸命編んだのだろう。エデがくすりと笑って頭を下げると、リコはおごそかにそれを載せた。
顔を上げると、生け垣の向こうに庭師のグレッグが立っているのが見えた。グレッグは被っていた帽子を脱ぎ、エデに向けて一礼する。エデが大声でお礼を言うと、グレッグはきょとんとしたもののすぐに破顔した。
「可愛いわねぇ。あたし達、お姫様の姉妹よ」
「えへへ。ごきげんよぉ!」
よっぽど花冠が気に入ったようだ。リコはスカートの裾をつまみ、どこで覚えたのか淑女の礼の真似事をする。エデも一緒に礼を取った。
刺繍はいったん中断し、リコとお姫様ごっこをして遊ぶことにする。結婚式の準備の一環で行っていたが、進捗はまあまあだ。今日はこれぐらいでいいだろう。
貴族のお茶会風におやつを食べ終えると、リコは眠くなってしまったらしい。
せっかくだからとリコの部屋まで連れていき、着替えさせて広いベッドの上に横たえる。お姫様のようだと選んだ天蓋付きのベッドはリコのお気に入りだ。花冠は乾燥させて、オーナメントにしよう。
「エデ姉もいっしょにねて! ひろいから、リコ、ごろごろしちゃいそうなの」
「あらあら。仕方ないわねぇ。ちょっと待ってなさい」
寝やすい格好に着替えて戻ると、リコはもうまぶたの限界が来ていたらしかった。エデはリコに寄り添うように寝ころび、甘い香りのする頭を撫でて抱き寄せる。
無事に引っ越しを終え、ちび達もすっかりこの家になじんだようだ。リコはもちろんトミーとジャンも、毎日楽しそうに過ごしてくれていた。
邪険にしないルカや使用人達には頭が下がる。この調子ならきっと、結婚してからも問題なく暮らしていけるだろう。
リコの穏やかな寝息を聞きながらぬくい身体を抱きしめているうちに、エデのまぶたもすっかり重くなっていた。
* * *
トミーが仕掛けるカエル攻撃や虫攻撃をあしらうのは、ここ最近のルカのルーティンだった。
農村育ちのせいか、生き物のおもちゃが部屋にばらまかれていてもルカは動じることがない。むしろそういう生き物は好きなぐらいだ。
本物を捕まえてくるのではなくおもちゃを使うあたり、まだ聞き分けがいい子なんだなぁ。ルカはほのぼのしていた。
しかもトミーは、泥団子を作れどそれで合戦を始めないのだ。むしろルカの少年時代よりお行儀がいい疑惑すらある。
トミーにとって、ルカは大好きなエデを奪った悪党だ。そのせいか、トミーはルカに色々ないたずらをしかけた。
だが、木登りや釣り、虫取りなんかを教えると、トミーはだんだんルカに心を許してくれたらしい。称号『大人のくせに話のわかるヤツ』を授与してくれたということは、少なくとも敵から遊び相手ぐらいには昇格できたはずだ。十分すぎる出世と言えるだろう。
そのトミーも、今日はもうおとなしい。「おやつにおいしいケーキがありますよ」と教えたところ、トミーはそっちに飛びついたからだ。今頃はキャロットケーキに夢中になっているだろう。
「あ、ルカさん。この本、教えてくれてありがとうございました。わかりやすくて面白かったです」
「それはよかった。図書室の本は好きに見ていって構いませんから、どうぞ役に立ててくださいね。わからないことがあったらなんでも聞いてください」
ぺこりと頭を下げたジャンが抱えているのは、先日彼に貸した果実の図鑑だ。高品質のフルーツワインを開発して商品として取り扱えないか、試行錯誤していた大学時代に集めた本のうちの一冊だった。
ジャンは博物学に興味があるらしい。そんなジャンは図書室に入り浸る姿がよく見られた。
ルカの家の図書室にあるのはほとんどが経営か農業に関する実用書だが、珍しい植物の図鑑や草花の研究書もある。そういう物を読んでいるのだろう。勉強熱心なのはよいことだ。
「はい!」
しかも素直ないい子だ。文句の付けどころがない。
真面目なジャン、快活なトミー、天真爛漫なリコ……この三人を育てたエデは、聖女か何かではないだろうか?
エデに盲目なルカの頭は、すっかりお花畑だった。
「そういえば、エデさんを知りませんか? 姿が見えなくて」
「エデ姉なら多分、リコの部屋だと思います。そろそろリコの昼寝の時間だから、寝かしつけてるんじゃないかな」
「なるほど、ありがとうございます」
ジャンと別れ、ルカはさっそくリコの子供部屋に向かう。
リコを起こしてしまわないように、控えめにノックをする。返事はなかった。「エデさん、いらっしゃいますか?」小声で呼びかけ、そっと扉を開けてみる。
天使がいた。
無垢な幼子と寄り添って眠る、あどけない寝顔の聖女。どんな高名な芸術家も、この至高の美は表現できまい。ベッドの上で広がる緩やかなオレンジ色の髪には小さな白い花びらがついている。もしかすると妖精の王女かもしれない。人間ではないことだけは確かだ。地上に舞い降りた聖なる乙女の白き柔肌はあまりにもまぶしすぎた。この神々しすぎる光景を見てまだ目が潰れていないのはきっと女神の御業に違いない。奇跡はここに顕在し、楽園への扉が開かれた。祝福の鐘が聴こえる。おお我が主よ、この素晴らしき運命に感謝します! 輝く世界に祝福あれ!
「え。ルカさん、なにしてるの」
「……神に感謝の祈りを捧げていました」
跪いて滂沱の涙を流すルカを、通りすがりのジャンが開けっ放しのドアから目撃していた。
ルカは咳払いして立ち上がる。ジャンは曖昧に笑いながら立ち去った。
「ん……。ルカ? 起こしに来てくれたの?」
「お休みのところ失礼しました、エデさん。起こしてしまいましたか」
「大丈夫よ、すぐに起きるつもりだったし」
エデは目をこすりながら起き上がり、大きく伸びをした。ややはだけた室内着のワンピースはあまりに扇情的で直視できない。
リコを起こしてしまわないように部屋を出る。「それで、何か用?」ぱたんとドアが閉じられた。「実は……」はて、どう伝えたものか。ルカはわずかに目を泳がせた。だが、言わないことにはどうにもならない。ええい、ままよ。
「カルゼル男爵のご令嬢から、どうしても会いたいと手紙が届きまして……」
「……え?」
目を見開き、エデはしばしその動きを止めた。




