恋人の義妹が姉を好きすぎる〜航平〜
概ね好意的にこちらを見つめる祖父母と違い、義妹の方は戸惑いを隠そうとはしなかった。
戸惑い、というと語弊があるかもしれない。
あの、険のある眼差し。
あれは多分……気のせいでなければ、敵意だ。
那月の家にお邪魔した事は、お付き合いを始めた当初から今まで1度もない。
だから義妹に会うのも初めての筈。
…なんだけど、初対面の筈の義妹に敵意を向けられるって、一体どんな状況なんだ?
と、つい自問してしまう。
——そういえば、那月が以前チラッと言っていたな。
義妹に懐かれすぎて、まるでトイレにまでついてくる赤ん坊がいる母の気分だ、とかなんとか。
という事は、さしづめ俺は大好きなお姉さんとの間に割り込んできた邪魔者か。
そう思うと、じっとりと睨まれている理由はわかったが。
…正直、あまり気分がいいものでもない、かな。
まぁ、だからと言って見せつけてやろうとか、そんな大人気ない事はしないけどな。
そんな事を考えていると、クイっとスーツの裾が引かれた。
「ん、どうした?」
見ると那月が不安そうな、今にも泣き出しそうな顔をしてこっちを見つめている。
「…何でもない、けど」
言葉は否定。
けれど「目は口ほどに物を言う」という通り、揺れる瞳が完全にそれを裏切っている。
「けど?」
「でも…」
震える声に混じるのは…多分恐怖。
大方ご両親を亡くしたショックで、気が弱くなっているのだろう。
そう見当をつけ、彼女の頭に手を置き
「那月、どこにも行かないよ。
どうして俺が、お前を置いてどこかに行くなんて思うんだ?」
那月が少しでも安心できるよう、目をしっかりと見つめてそう聞いてみる。
「だって、鷺山のおじいちゃんおばあちゃんもいるけど…綾香もいるけど。
私がしっかりしなくちゃいけないのはわかってるけど。
航平が忙しいのもわかってるけど…」
答えになっていない台詞は、多分思っている事を素直に口にできないから。
…混乱しているのか、この人達の前では言いにくいのか。
それとも…?と考えている間に、那月の目がまたしても潤んでいく。
「あらあらまぁまぁ、那月ちゃんは野口さんの事、本当にす…信頼してるのね」
今度こそハンカチを差し出すべく、焦ってポケットを探る俺と涙ぐむ那月とを見比べ、祖母だというその女性はコロコロと笑った。
* * *
本当は線香をあげさせてもらって、那月の顔を見たら帰るつもりだった。
葬儀の間は悲しむ時間も取れなかったと思うけど…自宅に戻り家族だけになったら、積もる話も思い出語りもあるだろうから。
けれども、不安定な那月を置いて帰るのは妙に心配というか…要は離れがたかった。
とはいえ、社会人である俺は明日も仕事な訳で。
そもそも彼女の家族と初対面で、いきなり泊まりとかどう考えたって無しだろう。
「あのさ、そろそろお暇するよ」
晩ご飯までご馳走になってしまい、何だかんだで結構な時間になってしまった。
その間、ご馳走になったお礼に茶碗洗いを買って出た俺と、那月のお祖母さんの間で一悶着あったのは、まぁ置いといて。
隣で茶碗を拭く那月に小声でそう告げた。
「え?もう…?」
「もうって、21時回ってるぞ」
時計の針は21時半を回ったところ。
学生時代の後輩から、那月の家族の件を知らされたのが昼食後。
先輩に事情を話してフレックスにさせてもらい、駆けつけたのが15時過ぎ。
6時間も長居してしまったのは、流石に申し訳なくなってきた。
それに
「明日も仕事だしな」
そう言うと、那月はハッと息を飲んだ。
——あぁ、余計な事を言ってまた我慢させてしまったか。
「そう、だよね。
今日だって、お仕事途中で来てくれたんだよね?」
「いや、ちゃんとフレックス使えたし」
案の定、しょんぼりとしてしまった那月に、慌てて言い訳をするが顔色が晴れる事はなく。
こういう時、大学生と社会人の差みたいなものを感じてしまう。
これが俺自身の家族の事であれば、忌引きという扱いになるんだろうが、いくら親しくとも身内ではない以上、急な欠勤は難しいものがある。
もちろん、大学生の方がお気楽だとか言うつもりは、毛頭ない。
特に4回生の那月にとって、大事な時期なのは間違いないし、内定がもらえたとは聞いているけど、単位の事も卒論の事も疎かにして良いものではない。
そうは言っても、社会に出てつくづく思うのが、仕事に対する責任の重さだ。
体調不良であれ急用であれ、急に1日仕事を休んだとする。
その分の穴埋めは、翌日自分が頑張れば良いだけ、というのならまだ少しは気も楽なんだけど。
結局、他の誰かにしてもらう事になったり、チームに迷惑をかけたりする。
勿論どうしてもという時もあるし、お互い様だとも思うけど…まだ入社2年目のペーペーにはなかなか言い出しにくい事でもある。
まして明日は取引先との大事な打ち合わせが入っている。
担当が俺である以上…引継ぎもちゃんと出来てない以上、休む事は出来ない。
「…ごめん、本当は側についていたいんだけど」
「ううん、こっちこそごめん。
わざわざ来てくれてありがとう」
無理したように微笑む那月の笑顔を見るのは、本当に辛いし心苦しい。
なので
「那月が良かったら…。
いや、ご家族の皆さんさえ良かったら、また明日も来て良いかな?」
「…ホント?」
パッと顔を輝かせる那月が可愛くて、いじらしくて、思わず抱きしめそうになる。
けれど手を伸ばす直前、背中に強い視線を感じ、かろうじて思いとどまった。
振り向かなくともわかる。
姉を好き過ぎる義妹が、こちらをじっと見つめているのだと。