世界でたった2人きり〜那月〜
大学生の時、今度は両親が亡くなった。
不慮の事故だった。
夫婦2人で仲良く買い物に出かけた先で、居眠り運転のトラックが対向車線から突っ込んできて、それきり。
大学に連絡が入り、学生課の職員が授業中呼びに来て、スマホの電源を切っていた私は同じ番号で埋め尽くされた履歴に愕然とした。
「とにかく〇〇病院へ、急いで」
急かされるまま荷物をまとめ、ふと気になったのは綾香の事。
この春、高校進学を機に買ってもらい喜んでいたあの子のスマホも、こんな風に見知らぬ履歴に埋め尽くされているのだろうか。
そう思ったら、居ても立ってもいられなくなった。
廊下に出て足早に歩きながら、綾香の番号を呼び出す。
2コールで出た綾香は、すでに涙声だった。
「綾香、今からタクシーでそっち向かうから、ちょっとだけ待ってて。
職員室かどこかで待てるよね」
『おねぇぢゃん…』
「すぐ行くから!」
大人しく職員室で待っていた綾香の元へ駆け寄ると、全力でしがみついてきた。
私より華奢で小柄な妹の体を抱きしめると、事情を知っているらしい職員の数名が、痛ましそうな顔をする。
そして、私達は言葉少なに両親がいる病院に向かった。
* * *
義父方も母方も、祖父母が既に他界していた私達にとって、頼れる親類といえば実父方の祖父母くらいしか思いつかなかった。
実父が亡くなってからは多少疎遠になっていたし、綾香と義父とは殆ど面識のない彼らに頼るのは、気が引けたけれど…。
連絡を受け、隣県から飛んできてくれたのは、本当に助かった。
久しぶりに会うとはいえ、そこはやはり祖父母。
遺された私と綾香に、ちゃんと両親とお別れする時間を作る為、私達をたてる形にしながらも葬儀の一切を仕切ってくれた。
おかげで母とも義父とも、ちゃんとお別れをする事が出来た。
けれどもその時、私の感覚はかなり麻痺していたのだと思う。
綾香のように素直に、感情のまま泣く事ができれば良かったのだけど。
悲しい心に蓋をしたまま、喪主として祖父母に助けられながらも両親を見送って。
決めなければならない事、しなければいけない事が次々とあって、淡々とこなすので精一杯だった。
何よりも…綾香のせいという訳では決してないけれど、あの子が泣いているのを見て、ここで私が泣く訳にいかないと思ってしまったのが1番の要因。
「那月!」
だからだろうか。
葬儀場からの帰り、自宅の前で無条件で安心できる声を聞き、ふっと気が緩んでしまったのは。
「航、平…」
せっかくちゃんとしたスーツ着てるのに、髪は乱れてるわ、ネクタイは曲がってるわ、ハアハアと荒い息をついてるわ。
——男前が台無し。
そう思ったら妙に笑えて。
なのに、零れ落ちたのは大粒の涙だった。
視界の片隅で、綾香が驚いたように目を見開いているのが見えたけど。
もう人前だとか綾香が見てるとか、そんな事を気にしている余裕はなかった。
「航平…」
「遅くなって悪かった」
病院でも葬儀場でも涙1つ見せない私を、祖父母も綾香も心配していたのだと、後から聞かされた。
そして、航平が来てくれて…やっと私が泣く事が出来て、本当に良かったとも。
けれど、その時の私は子供のようにひたすら泣きじゃくっていた。
航平のスーツをハンカチがわりにして。
* * *
泣いて泣いて、泣き疲れて頭が痛くなってきた頃、ようやく気持ちは落ち着いたけれど。
代わりに、ニコニコしながらこちらを伺う祖父母と、ジト目で航平を睨みつける綾香に、違う意味で頭が痛くなった。
「那月ちゃん、この方は?」
「お姉ちゃん、この人誰?」
ほぼ同時に同じ事を尋ねる祖母と綾香は、血の繋がりは無い筈なのに、妙にぴったり息があっていて。
「え、…と」
大泣きした事も、もちろんだけど。
家族に彼氏を紹介するなんて、初めての経験なので、気恥ずかしさから口ごもってしまった私に代わり
「初めまして、野口 航平と申します。
この度はお悔やみ申し上げます。
またこのような場でご挨拶させていただくのも恐縮ですが、那月さんとお付き合いさせていただいてます」
ピシッと頭を下げてくれた航平は、いつもの3割増でカッコよく見えた。
けれど、それも一瞬の事。
「まぁまぁまぁ、那月ちゃんの彼氏さん⁈」
祖母の一段と高い声も
「お姉ちゃんの?ウソ…」
綾香の呆然とした声も、耳を素通りしていった。
学生時代の先輩で、その当時からしっかりした人だとは思っていたけれど。
社会人としての経験の差だろうか。
学生とは全然違う言葉遣いと態度に、何故だか航平が遠くに行ってしまった気がした。
「ん、どうした?」
自分でも気がつかないうちに、航平のスーツの裾をぎゅっと握りしめていたらしい。
「…何でもない、けど」
漠然とした不安は、あっという間に恐怖へと変わる。
「けど?」
「でも…」
何となく私の言いたい事を察したのだろう。
航平は真剣な、けれど苦りきったような顔をしながら、私の頭に手を置いた。
「那月、どこにも行かないよ。
どうして俺が、お前を置いてどこかに行くなんて思うんだ?」
「だって…」
胸の内に巣食う漠然とした恐怖に、明確な理由も根拠もない。
ただ怖い、それだけだ。
置いていかれるのが。
親しい人が…好きな人が、頼れる人がいなくなるのが、1人になるのが怖い。
けれど、それを皆の前で口にするのは憚られた。
「だって、鷺山のおじいちゃんおばあちゃんもいるけど…綾香もいるけど。
私がしっかりしなくちゃいけないのはわかってるけど。
航平が忙しいのもわかってるけど…」
代わりに口をついて出たのは、とりとめのない言葉。
「あらあらまぁまぁ、那月ちゃんは野口さんの事、本当にす…信頼してるのね」
涙ぐんだ私と、焦ったようにハンカチを探る航平とを見比べて、おばあちゃんがおかしそうに笑いながらそう言った。
その時の私には、こちらをじっと見つめている綾香の…この世でたった2人きりの家族である妹の心中を思いやる余裕は、色んな意味でなかった。