止まない雨はない〜那月〜
おばあちゃん曰く「昔に戻ったよう」というほど、おじいちゃんはイキイキとあちこちに電話をかけ、檄を飛ばしまくっていた。
そして…私はというと、昨晩ほったらかしにして寝てしまった事を思い出し、携帯の電源を入れた途端、ズラッと並んだ着信履歴に、頭を抱えてしまった。
「なぁに?まだ頭痛いの?
って、あら凄いわねぇ、全部野口さん?」
画面をスクロールしてみると昨夜19時過ぎから早朝まで、航平からの履歴で埋め尽くされている。
「ちゃんと連絡してあげなさい。
きっともの凄く心配かけたんでしょうから」
「…そうする」
客間に戻り、着信履歴から航平の番号を呼び出す。
すると、1コールも鳴らないうちに
『那月か?』
焦った声が聞こえてきた。
「うん、ゴメン。
昨日色々あって今、横浜のおじいちゃん家にいるの」
『お前の家、今規制線張られているし警察が来てる。
何があったんだよ、那月も綾香ちゃんも大丈夫なんだろうな?』
航平の言葉に絶句した。
——おじいちゃん、仕事早すぎ!
『もしもし那月?おい、大丈夫か?』
「あ…うん、ゴメン、大丈夫」
『ほんと何があったんだよ?
昨日那月が血相変えて帰宅したって聞いて、そっから何回連絡しても繋がらないし。
昨日は残業でどうしても寄れなかったから、今朝になって家に来てみたら警察いるし。
ていうか…今、悠二さん家だって言ったな。
今から行くからそう伝えといて。
じゃまた後で』
…え?と思う間に通話が切られた。
「お姉ちゃん、どしたの?」
「あ、うん、航平が今からこっちに来るって」
そう言うと、綾香は何とも言えない生ぬるい目でこちらをみた。
「…ナニ?」
「別に」
* * *
それから1時間ほどでインターフォンが鳴り、玄関先でいきなり航平に抱きしめられた私を、おばあちゃんと綾香が生ぬるい目で見つめた。
「あらあら、まぁ」
「来て、いきなりそれ?」
どこか面白がっているような、呆れたような2人の視線がもの凄く居た堪れないので、離して欲しいのだけど…。
「あの、航平?」
「心配したんだからな」
「うん、ごめん。でね…」
「携帯は繋がらないし」
「ごめんなさい」
「家には警察がいるし」
「あの…そろそろ」
はぁーっとため息をついて、航平はやっと腕を解いた。
その頃には、おばあちゃんも綾香も居間に引っ込んでいたのだけど。
「で?今度は何があった訳?」
ようやく落ち着いた航平を、居間に案内したところで
「綾香ちゃんも無事そうでよかった」
「どうせ私はついでですよね」
というやりとりがあった事は、置いといて。
昨日の1件をかいつまんで話す。
見る間に眉間に皺を寄せた航平は、聞き終わるとフンと鼻を鳴らした。
「こないだも思ったけど、ほんとシャレになんないな。
立派に犯罪じゃないか」
「その通り!久しぶりだな、野口くん」
携帯片手に居間に現れたおじいちゃんは、喋り疲れたのかおばあちゃんが手渡したお茶をがぶ飲みした。
「どうなんですか?状況は」
「まだ何とも言えんが、篠塚香織…綾香ちゃんの実母と一緒にいた男の素性はわかった。
ただ、ここから先は多分相当嫌な話になると思う。
聞けば綾香ちゃんはかなり嫌な思いをする、というか多分傷つく。
ジジイとしては、可愛い孫にそんな思いはさせたくはないんだがな。
ここは何も聞かず任せてもらえんか?
絶対悪いようにはしない、それは約束する」
「…」
「なぁに、こっちはプロだ。
相手さえ特定できれば、やりようはいくらでもある」
おじいちゃんの心配も分かる気がする。
自分を捨てた母に、今また不当に傷つけられている綾香の心の傷を、これ以上広げたくない。
出来る事なら、もうそっとしておいてあげたい。
…綾香が、それを望むのならば。
一方で、綾香の躊躇いも戸惑いも分かるような気がした。
何故今頃になって現れたのか。
何故こんな事になったのか、当事者として知りたいのは当然の事だろう。
「おじいちゃんが心配してくれるのは、本当に嬉しい。
何も聞かないでお任せすれば、何とかしてくれるのもわかってる。
今はまだ怖いし…多分話も聞けないけど。
でもいつか、ちゃんと向き合う事が出来るくらい大人になったら、その時は教えてほしいの。
あの人が何を考えて、何をどうしたかったのか。
それでも…いいかな?」
長い時間、考え込んでいた綾香が出した結論を、おじいちゃんが断る筈もなく。
そして事態は一気に動き出した。
結論から言うと、あの女が私達の前に現れる事も連絡を取ってくる事も、もう2度となかった。
* * *
とはいえ、納得がいかなかった私は無理やりおじいちゃんから聞き出していた。
綾香には絶対言わない事を約束して。
あの女が現れた理由。
それは、やっぱりお金だった。
スナックのママをしていたあの女は、借金が相当額あったらしい。
そんな頃、別れた旦那が亡くなった事を聞き、自分が捨てた子を思い出した。
付き合っていたのは、ヤクザの三下というどうしようもない男で。
そいつに話したところ、綾香を引き取り遺産を手に入れた後、風俗に売ろうという事になったそう。
無理やり綾香に借金を肩代わりさせて、自分は遊んで暮らす。
それが目的だった、らしい。
その話を聞いた瞬間、頭の血管がブチブチと切れた気がした。
「那月、落ち着け」
本当に怒った時、人は怒鳴ったりしないものだ。
少なくとも私はそうだった。
「そんな事の為に綾香を攫おうとしたっていの?あの女は。しかも風俗?馬鹿じゃないの、汗水垂らして働きなさいよ。なに娘働かせて自分はラクしようとか考えてるの?ほんとクズ、どうしようもない毒親ね」
ノンブレスで一気に言い放った私の背中から、青白い炎が見えたと航平は後で苦笑していた。
「その意見には甚だ同意だが、まぁとにかくだな。
あちらさんの世界は縦割りのトップダウン。
上からの命令は問答無用で絶対だ。
で、今回ツテを頼って1番上に話をつけた。
あいつらも馬鹿じゃない。
万が一、逆恨みでもしてサツの身内に手出ししたらどうなるか…。
その点も含めて、きっちり念押ししてきたから、まず大丈夫だろう」
——うわ、私も大概怒っていたけど。
おじいちゃんの怒りも相当なもんだったんだ。
ていうか、1番上って何?誰?
どんなツテを辿ったら話がつけられるの?
ニヤリと笑うおじいちゃんの凄みのある笑顔に、かつての「ハマのユージ」の面影を見た気がした。
「落ちるとこまで落ちたら、あとは浮上するだけだ。
今は辛くとも止まない雨はない。
明けない夜もないからな、那月」
ハマのユージは…情熱系⁈




