表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

あなたはまだ本当の河童を知らない

あなたはまだ、本当の河童を知らない。

作者: 須方三城


 薄暗い旧校舎裏で、若い男女が二人きり。

 さて、そこで始まる会話とは、どんなものがあるだろう?


 まぁ、甘酸っぱい青春の予感がビンビンだ。


 他の誰かには聞かれたくない事――恋愛相談か、愛の告白か。

 はたまた最近の若い子は色々と進んでいるから数段すっ飛ばしてウフフなボディランゲージだったりするのかも知れない。

 若さ故の過ち。大人になってはその傷を撫ぜて、追憶に耽るのもまたノスタルジィ。


 ……しかし、何事にも例外と言うものはあるらしく。


 片や、全体的にやたら大きな男子高校生。若草のような緑色に染め上げた髪が特徴的。


 片や、背は低いものの大和撫子を鼻で笑うような胸部装甲を持つ女子高生。天然の金髪に眼鏡の奥の碧眼からして外国人。


 男子の目は半死半生。じとっとした呆れ混じりの視線で女子を見下ろし。

 女子の目はほんのりと狂気。獲物を食い殺さんとする野獣めいた眼光で男子を見上げている。


 女子はパンと手を打って、楽し気に開口。


「それでは――河童の話を始めましょう」


 ……どうしてこうなった?


 男子は首をすくめて溜息を零しつつ、少し記憶を遡る。



   ◆



 まだ四月の頭だと言うのに、セミが鳴いている。

 ああ、地球温暖化だなぁ……大抵の者が、そんな感想を抱くだろう。


 そんな中。

 高校生になりたてのフレッシュ少年、更頭さらかぶり龍助リュースケは別の感想を抱いていた。


「……ん~……駄目だ。セミの声ですら子守歌に聞こえてきやがる……」


 緑色に染め上げた頭髪をボリボリと掻きながら、龍助は今にも眠気に負けそうな半目で窓の外に視線を送る。


 大合唱は確かに聞こえるが、中庭の木々にセミの姿は確認できない。

 鳥や虫採り小僧と言った天敵を避けるため、木の葉の陰になる絶妙な位置に陣取って鳴いているのだろう。


「かぁー……いっそ、うだるくらい暑けりゃあ、眠気も引っ込むんだけどなぁ……」


 うつらうつら。高校生にしてはズバ抜けて大きな体を気怠そうに揺らしながら、龍助は欠伸を噛み殺す。


 セミの鳴き声で体感温度は僅かに上がっているが……実際の所、そこまで暑くはない。

 先日は真夏日を記録したので、それでセミたちも勘違いしてしまったのだろう。


 本日の気候は、適度に温かいと評価して良い。日差しは春の陽気そのもの。

 おかげで、龍助は昼食後からず~っと眠い。


 もう放課後だし、さっさと帰ってひと眠りしたい所だが……そうもいかない理由があった。


 先輩に呼び出しをくらったのだ。

 特に面識のある先輩ではないのだが……無視する、と言うのは失礼な気がした。


 呼び出しの用件は……まぁ、大方の察しはつく。

 どう転ぶにせよ、早目に済ませよう。


 そう決意して龍助が向かったのは、校舎を出てしばらく歩いた所にある旧校舎……その裏手。

 放置された樹木たちが枝葉の天井を形成して日差しを遮り、不気味な薄暗さを演出している。


「よぉ! ちゃあんと一人で来たなぁ、【河童カッパ】ァ!!」


 龍助が旧校舎裏に足を踏み入れるやいなや。

 先客として佇んでいたソフトモヒカンヘアの強面男子が、威勢よく叫んだ。

 声楽でも嗜んでいるのか、よく響くものだと感心してしまうほどの大声。


 あまりの大声に驚いたのか、セミたちが一斉に「じびびっ」と短い悲鳴のような鳴き声をあげて、飛び去っていった。


「……元気が良いッスね。先輩」


 このソフトモヒカンこそが、龍助を呼びつけた先輩。

 そして、ソフトモヒカン先輩が「河童」と呼んだのは、龍助の事。


 いわゆる、通り名と言う奴だ。


 燥祓かわはら高校の新入生ヤンキー【河童】。それが龍助。


 通り名の所以は、龍助の特徴的な緑髪。


 先輩の柄の悪さと、ヤンキーとしての通り名で呼ばれた事から、龍助は「やっぱりそう言う用件か」と確信。

 ああ、それにしてもやっぱ眠いなまったく……龍助は先輩へ配慮し、手で口元を隠しながら小さめに欠伸を噛み殺す。


「欠伸とは余裕だな、一年坊主が……通り名がついてっからってチョーシ乗んなよ……!」


 スゴむソフトモヒカン先輩。その険しい表情には若干の緊張が見て取れる。

 龍助を一年坊主と見下すような言葉とは裏腹、警戒しているのだ。


 ヤンキー界隈で言う所、通り名は称号のニュアンスが強い。

 強烈なヤンキーである証左だ。


 河童こと龍助は、入学早々にある伝説を打ち立てた。

 燥祓高校カワコーの番長に、張り手から始まる新入生挨拶をかまして一発で撃沈したのだ。

 そうして一気に名をあげた、いわゆる超新星である。


 たかが一年坊主……だが、例外もあろう。

 それに、龍助は高校生としては群を抜いて大柄。体が大きいと言うのは、それだけで脅威的だ。


 ナめられないように言葉では見下しつつも、ソフトモヒカン先輩は龍助を見くびってはいない。


「あー、すんません……別にチョーシに乗ってるつもりはなくて……昼飯後からずっと眠くて……ふぁあぅ……でも、授業中に寝る訳にゃあいかないじゃあないッスか?」


 午後の授業、すげぇ頑張ったんスよ? と冗談めかして笑う龍助。

 純粋に見れば「好感の滲んだ、実に人懐っこい大型犬のような笑顔」なのだが……。

 悪感情を以て対峙しているソフトモヒカン先輩には、そう見えなかったらしく。


「へらへらと舐め腐りやがって……テメェが今からどうなるか、想像できてねぇみたいだなぁ!!」


 ソフトモヒカン先輩、顔中に青筋を走らせながら拳を構え、完全な臨戦態勢!

 いくら相手が実績のあるヤンキーだろうと、歳下にこうも舐め腐られては怒髪が天を突く!


「おぉう、マジかぁ……笑顔にゃあ自信があったんだけどなぁ……」


 一方、先輩を舐めているつもりなど毛頭無く、「愛想良く笑って、なるだけ穏便に事を運ぼう」と考えていた龍助はちょっとがっくり。

 龍助の目論見は完全に空振り……と言うか全力で裏目に出た形だ。


「つぅか先輩……喧嘩とかマジやめませんか? 怪我したら痛いだけッスよ?」

「あぁん!? なに一般生徒パンピーみてぇな寝言を吐いてやがる!」

「できれば俺だって、パンピー側でありたいんスけど……」

「つくづく何を言ってやがる。そんなふざけた雑草頭で――」

「あ? この頭はふざけてねぇよ。言葉は選べやブッ殺すぞ」

「急にキレた!?」


 先ほどまで(丁寧とは言い難い若者風ではあるが一応)敬語を使い、口角をあげ極力穏便な姿勢を見せて先輩ソフトモヒカンに接していた龍助だったが……。

 髪をディスられた途端に、表情が変わった。


 例えるのなら、拳が血まみれになるまでマウントを解除しなさそうなヤンキーの顔だ。いわゆる狂犬面。


 ――龍助が髪を染めたのは、ヤンキー的な反骨精神や、ファッション精神ではない。

 育て親のとある修道女に「高校に通うのなら、髪くらい染めとかないとナめられるわよ?」と助言を受けたためだ。

 緑色なのは「思うに、時代の流行はエコ……つまりクリーン&グリーン! これね!」と言う謎のひと推しもあったから。


 つまりこのグリーンヘアは、龍助がこの世で最も敬愛する御仁のイチオシ!

 ディスられれば基本は温厚な龍助でも額に青筋が浮かぶ!


「おかげで眠気はトんだけどよぉ……不愉快だぜ、まったく」


 まぁ、キレて目つきと口が悪くなっても実際に殴りかかろうとはしない辺り、性根のおとなしさが伺える。


「や、ヤロウ……一年坊主にスゴまれたって、別にビビんねぇぞ! 先輩ヤンキー舐めんなぁあ!」


 やや震えた声で叫び、ソフトモヒカン先輩が龍助に殴りかかった!


「……ったく……そんなに喧嘩が楽しいかよ……」


 短く細く溜息を吐き、龍助も構えた。

 拳――ではなく。掌を広げて、振りかぶる。


「俺の張り手にキスしろやオルァ!!」

「ぐあッはぁ!?」


 カウンターの要領で、龍助の強烈な張り手がソフトモヒカンの顎を直撃。


「か、ぁ、河童……強ぇ、え……げふぅ」


 ソフトモヒカン先輩は拳を振るい切る前に意識を刈り取られ、その場に倒れた。

 一発KOである。拳ではなく張り手だったおかげで、ソフトモヒカン先輩に大した怪我は無い。


「……ケッ」


 倒れ伏したソフトモヒカン先輩を見下ろす龍助の表情は――不思議な事に。圧倒的勝者らしくもなく、実に不満気。


 そもそも喧嘩が好きではない……のも要因のひとつ。

 龍助が曇り顔の理由は、他にある。


「……誰が河童だよ、誰が」


 そう。実は龍助――河童と言う通り名が、不服。


 通り名と言うのは良い。

 ぶっちゃけ、中学時代はちょっぴり憧れてもいた。

 だって、カッチョ良い。

 強い奴だと周囲に認められ、畏れられているの証左。つまり称号。


 喧嘩は嫌いな方だが、漫画やアニメのヒーローは好きだ。リアルとフィクションは別腹で当然。

 称号がつくと言うのはヒーローっぽくて、実に良い。そして好い。日常に食い込んだ非日常みがある。ワクワクするさ、思春期だもの。


 ……せっかくのそれが、河童て。


「河童ってあれだろぉ~……? 緑色のぬるっとしたサルみたいなバケモン。そんなの、全然カッチョ良くねぇと思うんだよなぁー……」


 河童にゃあ悪ぃけどよぉ、良いイメージが無いぜ……ハァァ……と龍助が溜息を吐いた、その時だった。


「聞き捨てなりませんね」


 静かだが、芯があって聞き取り易い。

 そんな、耳に親切な声が聞こえた。


「あん?」


 龍助が振り返ってみると――


「テメェは……確か……」


 見た事のある顔だった。

 交友は無いが、それなりに身近……そんな関係性。

 端的に言うと、まだ喋った事の無いクラスメイトの女子。


 リヴィエール・大河たいが


 ウェーブのかかった金髪に、眼鏡の奥で宝石のように光る碧眼。

 ガッチガチの外国系女子だ。名前から察するに、外国の血がパワフル過ぎるハーフか、片親が日本人と再婚したのだろう。

 小柄なくせに、大和美人の奥ゆかしさなど当然知らぬ(ドント・ノウ)と言いた気な圧倒的発育も、思春期男子リュースケの記憶に強く残っている要因のひとつ。


(こいつ……まともに喋れたのか……)


 かなり失礼な心の声だが、龍助がこう驚くのも無理は無い。


 リヴィエールはいつも、教室の隅の席で厳つい古書を読み耽っている。

 時折、唐突に「ふふっ」と笑ったり、ブツブツと独り言を言っている事もある……いわゆる不思議ちゃんだ。


 龍助は彼女と話した事はまだ無いし、彼女が誰かと話しているのを聞いた事も無い。

 HRでの自己紹介だって、リヴィエールは素っ気も味気も無く、ぼそっと名前を言っただけで終了だった。


 そんなリヴィエールが、先ほどのしっかりとした声の主?


 信じ難い……とまでは思わないが、強めに意外ではある。


「今、あなたは河童を馬鹿にしましたね?」

「あぁーと……いや、馬鹿にしたっつぅか……確かによろしくはない発言だったかもだが……」


 龍助は確かに「俺個人の感性としちゃあ、決してカッチョ良いとは思えねぇ生き物だ」と河童へのマイナス評価を口にした。

 しかし、悪意を込めたつもりは無かった。

 シンプルな感想……所感を言語化しただけ。

 曇天の空を見上げて「雨が降りそうで、嫌な天気だぜ……」とつぶやくような感覚。


 誰も、曇り空を批難するつもりで「天気が悪い」とは言わないだろう。そう言う感覚だ。

 なので「馬鹿にしただろう」と指摘されても、素直には頷けないものがある。


「まったく……この旧校舎、いかにも『出そう』な雰囲気だからワクワクして探索していたのに……気分が台無しです」


 リヴィエールは怪訝そうな表情で溜息をひとつ零すと、微塵の躊躇いも無く龍助へ接近。


 入学早々から喧嘩三昧なヤンキー野郎である龍助に対して、僅かな恐れも無い足取りだ。

 逆に龍助の方が後ずさりそうになる気迫すらある。


 リヴィエールは龍助の眼前で立ち止まると、腰に手を当てて仁王立ち。

 まるで聞き分けの無い子供に説教をするような姿勢だ。


 龍助が大柄なのと、リヴィエールが小柄な相乗効果。

 碧い瞳が、上目遣いでじいっと見つめてくる。


「……な、何だよ……? もしかして、怒ってんのか?」


 リヴィエールの不興を買うような行為……龍助は特に身に覚えが無い。

 先に言った通り、龍助は彼女とクラスメイトではあるが、ほぼ初対面に等しい。


 つまり、このタイミングでリヴィエールが不快そうな態度を見せている理由は……先の、河童への発言か?


 河童に対する負の発言が、どうしてリヴィエールの不興を買ってしまったのか。

 龍助にはさっぱりだが……そこをしっかり確認して、謝罪すべきであればきちんと謝ろうと思い、訊いた。


ノッ


 対するリヴィエールの返答は、キレの良い否定だった。


「私は悲しんでいるのです。こう言う気持ちを悲しすクライシスと言うのだと実感しています」

「はぁ……? くらいしすぅ……?」


 さすがは外国人。さらっと聞き覚えの無い横文字を日常にブッ込んでくる。

 ちなみに「Crisis(クライシス)」は「危機」「衝撃」「決壊」等を指す英語だ。

 今のリヴィエールの用法的には「悲しすぎて精神が危機的状態」と言ったニュアンスになるだろう。

 要するに「すごくショックを受けています」、と。


「とにかくめっちゃ悲しいって事か……? 何がそんな……」

「河童の本元と言っても良いこの国の男子高校生が……本当の河童を知らない。その悲惨なこの国の現状いまが……どうしようもなく私を悲しませているんですよ」

「……………………?」

「生粋の日本人だのに……河童と言う存在を世界に輩出した誇りは、無いんですか?」


 ――いきなり滔々と何を言っているんだ、この外国人。


 龍助はそれ以外の感想が見当たらない。思わずヘンテコなものを見る目になってしまう。


「あー……すまんが……無ぇな。ンなもん。そもそも河童の事とか、そんなに知らねぇからよ」


 詳しく知らないものを誇るなんて無理だし。


 龍助は不良だが、意外にも、知識を付ける事を嫌ってはいない。

 誰かの話を聞く、モノを教えてもらうと言うのは、むしろ好きな部類だ。

 どれだけ眠くても授業を真面目に受けるのはそのため。


 しかし、興味が乗らない分野と言うものはある。

 今のところ、河童はそれ。

 詳しく知るつもりなんて――


「ふむ。つまり。その無知を恥じ、心をすっかり入れ替え、今となっては河童の事が知りたくてしょうがないと」

「そうは言ってねぇけど?」


 むしろ真逆の思考をしていたのだが。

 話の流れがすごい勢いで湾曲した気がする。


「皆まで言われずとも私は感じ取りました。あなたは今、私から河童の話を聞きたがっている」


 ふふ、とリヴィエールが不敵などや顔で笑った。

 眼鏡の奥、碧い瞳には一点の曇りもない。

 こう言うのをサイコ晴れした瞳と言うのだろう。


「成程。わかったぜ。面と向かってこう言うのは酷いかもだが……テメェはヤバい奴だ」


 美少女で、声が好くて、おっぱいも大きい。

 そこまでならモテ要素の塊だ。龍助だって、まともな状況でこんな子と近距離対面したのならば「ぅぉお……」とちょっぴり頬を染めて緊張していただろう。


 でも、この瞳はヤバい奴だ。何もかもを帳消しにしてなお余りが山になる。


 もう少し普通の瞳で丁寧に推されたならば、今後の展開に青春的な期待を込めて、渋々ながらも河童について教えを乞うのもアリだったかもだが……これはアウトだな、と龍助は頷く。


「悪ぃけどよぉ……俺は失礼させてもらうぜ。ほんとごめんな」


 関わり合うべきではないと判断し、龍助は踵を返した――が、瞬きの間に回り込まれた。

 びゅん、と風を切る音が聞こえる移動速度だった。


「……異様に速ぇな、おい」


 教室では本の虫を決め込んでいるくせに、大したものだと感心する。

 天性の外国人フィジカルがなせる技だろうか。


「関係の無い話は結構。それでは――河童の話を始めましょう」

「いいや、それこそ結構だぜ」


 再度、龍助は踵を返した。

 しかしデジャヴ。またしてもリヴィエールに涼しい顔で回り込まれる。

 しかも、今度は回り込むついでにさり気なく一歩、距離を詰めてきた。


 龍助は思わず「ぅおうっ」と小さな声を上げながら半歩後退。

 リヴィエールが不気味だから忌避した――とか、そんな酷い理由ではなく。

 彼女の大きなお胸が腹に掠りそうだったから引いてしまったと言う、思春期ならではのサムシングだ。

 やべぇ瞳をしている相手でも、胸を押し付けられそうになるとさすがに、そう言う意識をした反応をしてしまう。


「て、テメェなぁ……俺なんかに絡むより、陸上部にでも入れよ。きっと大成するぜ。なんなら応援もしてやる」

「水の上ならまだしも、陸地を走って何が楽しいんですか?」

「陸上部の前でそれ言うなよ絶対」


 槍投げ競技(ジャべリックスロー)の槍が飛んできそうだ。


「はぁ……河童が大好きらしいテメェに、こう言うのはマジに心苦しいんだがよぉ……ここはハッキリ言っておくぜ。河童の話なんざ、興味が無ぇんだ。俺は」

「そんなあなたにこそ、語りたい」

「…………………………」


 何て迷惑な願望だろうか。


「……ったく……せっかく可愛い面してんだから、まともにしてりゃあ良いもんを……」

「ふ、ふふん。そんなわかりやすい御世辞では動じませんよ。あとで人目を忍んでガッツポーズするくらいです」

「そこそこ嬉しいのな」


 女子的な要素には余り興味が無いタイプかと思ったが……そうでもないらしい。

 足の速さを褒めた時とは違い、露骨に嬉しそうにしている。微笑ましい事だ。


 ……さて、それはそうと、どうしたものか。

 龍助は困り果て、ボリボリと首を掻く。


 どうにも、逃げるのは難しい。


 力づくで押しのける事はまぁ、可能か不可能かで言えば可能だが……。

 龍助の個人的な基準として。売られた喧嘩は言い値で買うが、喧嘩を売られてもいないのに武力行使と言うのは、ナンセンス極まりない。


 龍助の基本的なスタンスは「そっちがやる気なら、そりゃあ俺だってやるよ。無抵抗は趣味じゃあねぇ」と言うもの。

 喧嘩では拳や蹴りを使わず張り手に拘るのも、相手を最低限のダメージで制圧するため。


(厄介だぜ……こう言うタイプに絡まれたのは、初めてだ)


 リヴィエールは発想と瞳と挙動速度こそイカれているが、悪意が感じられない。おそらく、本人は善意のつもり。

 生粋の何かヤバい奴だ、この女子は。


 あまり関わり合いにはなりたくないタイプだが、雑にあしらって傷付けるのも何かが違う。

 ヤバい奴なら不幸になって良い、だなんて割り切れない。


 張り手をかますほどの相手ではない、と言うのが龍助の結論。

 しかし、素直に付き合うのもしんどそうだ。


 ここは下手に拒絶して刺激するより、ひとまず。


「……わかった。じゃあ、五分だけだ。五分だけ、河童の話とやらを真面目にちゃんと聞くから。それで解放してくれ」

「五分で語り尽くせるとでも?」

「語り尽くされても付き合ってらんねぇから言ってんだよ……」


 龍助としては、五分が最大の妥協案だ。


「……ふむ。まぁ、良いでしょう。今日は初級編チュートリアルと言う事で」

「何か今後が不安になる言葉が聞こえた気がするんだが?」

「何の事やら」


 気を取り直すように、リヴィエールがパンパンと手を叩き鳴らす。


「それでは、今度こそ河童の話を始めましょう」



   ◆



 ――【河童のイメージについて】。


 いつの間にどこから取り出したのか。

 リヴィエールが持つスケッチブックには丁寧な筆致でそう書かれていた。


「さて、……えーと、確か……さるわたりさん?」

更頭さらかぶりだ。つーか龍助で良いわ。名前、気に入ってんだよ。自慢の名前だ。カッケェだろ?」

「確かに。龍、即ちドラゴン……良いですよね。もう響きだけでワクワクします」

「だろ!」


 ヤバい奴のくせに、話がわかるじゃあねぇか!

 龍助は少しだけ、リヴィエールへの評価を上方修正する。


「では龍助さん。ずばり、河童のイメージと言うと、どんな感じですか?」

「どんな感じ? んー……そりゃあ……」

「『気持ち悪い』? 『不気味』? 『うッッッわ、きっしょ』?」

「んー、ああ、まぁ……ざっくり、そんな感じだな」


 河童のイメージと言えば、何かカエルとサルを足して二で割ってから藻をまぶしたようなイメージだ。

 触ったら何かこう……ぬるめちょんっ……的な効果音がしそう。


 龍助がこくりと頷いてみせると……リヴィエールは不満気にもほどがあるぶちゃい顔に。


「な、なんだよ、その顔……」


 淑女が人に見せて良い顔ではない。せっかくの可愛い尊顔が台無しだ。


「まったく……いいですか、龍助さん。そのイメージは……濡れ衣です」

「濡れ衣?」

「はい。……まぁ、致し方ないものではあるんですけれどね」


 何だか、やるせない……そんな感情が見え隠れする、妙に含みのある言い方だ。


「そのイメージは……江戸時代あたりに形成されたものだと言われています」

「けっこう前じゃね?」

「絶対で考えればそうです。しかし、河童の歴史をふまえて考えると、そこまで古くもありません」


 リヴィエールがぺらりとスケッチブックをめくると、次のページには「鳴くよウグイス」と言う謎のワードが。

 これまた硬筆のお手本めいた綺麗な文字で書かれている。


「そもそも、河童はですね。『平家の怨念が水の化生物バケモノになった』ですとか、更に遡れば『平安時代の陰陽師が式神として使役していた』と言う話があります」

「平安時代って……」


 鳴くよ(794)ウグイス、平安京。西暦で言うと七九四年から一一九二年(または一一八五年)頃までを指す。


「まぁ、採用する学説によって多少前後するようですが、アバウト西暦八〇〇年前後から一二〇〇年前後とお考えください。さて……と、しますと。西暦一六〇三年に江戸幕府が樹立された事で始まった江戸時代まで、ざっくりと四〇〇~八〇〇年近い期間がありますよね?」

「そりゃあまた……」


 つまり『江戸時代に確立した河童のイメージ』と言うのは、そこそこ後付けだと言う事になる。


「何故、江戸時代に河童のイメージが塗り替えられてしまったか? それは江戸時代に『ある二つのもの』が流行ったためです」


 ぱらり、とスケブがめくられる。

 すると、そこにはどこかで見たような……腹巻きを巻いた赤い猫妖怪のイラストが。


「まずひとつ。『妖怪浮世絵ブーム』」

「……ちなみに、その猫ニャンのイラストは何だ?」

「私が描きました」

「上手いな。すげぇ。漫画家かよ。でも、そう言う話じゃあねぇ」

「今は懐かしき平成に、妖怪のキャラクターが描かれた玩具メダルのブームがあったでしょう? あれに引っかけました。要するに洒落です」

「ああ、そう言う……」


 説明されないとわかり辛い。

 猫も犬もめっちゃ好きな龍助はもう、いきなり何の癒しかと。


「話を戻します。江戸時代にはですね。それはもうとにかく『妖怪の絵を描けばアホほど売れる』と言う時期があったそうです」

「いつの時代も不思議なブームってあるよなぁ……」

「最近だと、落ち着いてはきましたがタピオカミルクティーのあれとかですかね。ま、そんな感じで妖怪の浮世絵が流行りますと。浮世絵師たちはこぞって妖怪を描きますよね?」

「まぁ、だろうな」


 売れるものはじゃんじゃん作る。

 いつの時代も商売事の鉄則だ。


 平成の終わりから令和の始めにかけて、きっと日本のそこら中でタピオカが作られていた事だろう。

 江戸時代の妖怪浮世絵も、そんな具合だったのか。


「そうなってくると、ネタはいくらあっても足りませんが……妖怪伝承には限りがあります。ネタはいずれ尽きる訳です。であれば、どうしますか?」

「どうするって……」


 龍助は顎に手をやって、少し考えて、


「……新しいネタを作るとか?」

「その通り。浮世絵師たちはオリジナルの新妖怪をぽこじゃか生み出し、更には既存の妖怪に二次創作の設定を付け足したりしてじゃんじゃんばりばり絵を描き続けました」


 ぱらり、とスケブがめくられると。

 今度は真っ赤な太字で『FREEDOM』と。


「そうして妖怪は、コンテンツそのものがフリー素材のような存在になってしまったのです。現代で言う戦国武将みたいなものですよ。織田信長とかえらい事になっているでしょう。女体化は平然、巨大化や職業化やロボット化もあり、果ては分裂して進撃したり。久しぶりにまともな織田信長が出てきたと思ったら眼からビームを撃つ始末」

「現代の織田信長の惨状はさておき……もしかして、そこから河童の濡れ衣うんぬんの話に繋がるのか?」

「ほほう。話が早くて助かりますね」


 リヴィエールが嬉しそうに頷く。

 話の先を推察してくる……それは、話を真面目に聞いて、思考を走らせている証左だ。


 ――それはともかく。


 話の流れから龍助は察した。

 河童の酷いイメージは、そう言った「妖怪をフリー素材の如く好き放題していた」と言う江戸時代の時勢に由来するのだろう。

 何らかの理由により、河童に酷いイメージを擦り付ける二次創作が広く出回った、と言う事だ。


「ここでもうひとつの『江戸時代に流行ったもの』が関連します」


 ぺらり、とスケブがめくられる。


「……モザイク?」

「はい。グロ画像です。あらかじめこちらで処理しておきました」

「お気遣いドーモ。確かにグロいのは苦手だぜ……ただ、モザイクが強過ぎて、なんなのかわかんねぇよ」

「元は精巧な水死体のイラストです。私が描いて、私がモザイク処理しました」

「何を描いてんだテメェは!?」


 画力の無駄使いだ。


「つぅか、何で水死体ぃ……?」


 流血くらいなら平気だが、そのほかのグロ系はてんでダメな龍助は想像しただけで「うへぇ……」と顔を顰める。


「江戸時代は当然、今の世の中ほど発展していません。貧富の格差も相当で、貧の方に傾いている家庭の方が多かったそうです」


 江戸時代は発展期であり、暮らしが豊かになった時代だと言うイメージが強い。

 しかしそれは、直前まで長らく続いていた戦乱の時代からの相対評価でしかない。

 まだまだ、日本と言う国は全体的に貧しかったのだ。


「するとまぁ……残酷な話ですが。口減らし、間引き、うば捨てといった行為が行われます。養えなくなった子供や老人を、山や川に捨てる」

「……!」

「すると結果、どうなるかと言えば……」


 ……川に、浮かぶのだろう。


「……ほんと、酷ぇ話だな」

「はい。そして、子供たちはそんな残酷な世界を知りませんし、周囲の大人たちは知らせたいとも思わない」


 当然だ。

 子供が知るような話じゃあない。


「何も知らない子供たちが水死体に近寄っては、不衛生で、疫病の元にもなりかねない。それを防ぐべく、利用されたのが……」

「……河童か」

「はい。『川には河童と言う禍々しい怪物がいる。近寄ってはいけない』と」

「…………………………」


 子供を水死体に近付けないために。

 当時は半ばフリー素材と化して設定を盛り放題だった妖怪を利用した……と。


 リヴィエールが最初に言った妙に含みのある言葉の意味が、理解できた。


「致し方ない事……か」


 子供たちの未来のため、河童には犠牲になってもらった。

 そう言う事だろう。


「……ですが、現代は違います。もう、川に水死体が浮く事などまずありません。子供たちを守るために河童が悪評を背負う必要は無いんです。だから私は、河童の真実を説きたい」

「勿体ぶらずに言えよ。……ちゃんと聞いてやる」


 一体、江戸時代にその悪評を背負うまで、河童とはいかなる存在だったのか。


 龍助は、興味を持った。


「河童はそもそも、河伯かはくと言う水神がベースにあるとされています」

「かはくぅ?」


 聞き覚えの無い神様だ。


「中国における、黄河の神様ですね」

「黄河って……俺でも知っているぜ。めっちゃ有名な川じゃあねぇか……!」


 黄河――「メソポタミア文明」「エジプト文明」「インダス文明」に並ぶ世界四大文明の一角、「黄河文明」の繁栄を支えた偉大な大河だ。

 その素晴らしい大河の神・河伯が、河童のモチーフ……元ネタであると。


「西遊記で有名な沙悟浄サゴジョウの元ネタもこの神様なので、沙悟浄は日本にくると補正がかかり河童として扱われると。日本以外では普通の武人だそうですよ」

「へぇー……西遊記は知っていたけど、そいつは初めて知ったぜ」

「して。この河伯と言う神様……御姿は、『龍に乗った武人』または『水の龍』だと言われています。……つまり、どう言う事かわかりますか?」


 ぺらり、とスケブがめくられる。

 そこに描かれていたのは――竜人リザードマン、とでも言うのだろうか。

 亀の甲羅を背負い頭に皿を被った、翡翠鱗の竜人がカッチョ良く描かれていた。


「河童とは――龍。ドラゴンなんです!」

「なッ……!?」


 衝撃の事実である!!


「それもただのドラゴンではありません。みず・ドラゴンタイプです」

「か、カッチョ良くない訳がねぇぞ、そんなもん……!」

「そうなんです……河童は――すごくカッチョ良いんですよ、龍助さん」

「ああ……俺は……誤解をしていたッ!!」


 何と言う事だろうか!!

 よく知りもしないのに!!

 決めつけて!!

 興味など無いと!!


 龍助は五分前までの自分が恥ずかしくて仕方が無い!!


「俺は昔からこうだ……何て浅はかなんだ……!!」


 もはや恥を越えて、悔しさすら覚える!!


「……さて、約束の五分ですね」


 少し寂し気に、だが、どこか希望を持った表情で、リヴィエールは穏やかに微笑んだ。


「あなたのその表情でわかります。あなたは本当の河童を理解する入口に立ってくれた。大概の人は……そもそも、ここまで真面目に私の話なんて聞いてくれませんから。それだけでも充分、喜ばしい事です。ご清聴、ありがとうございました」

「……いや、礼を言うのはこっちだぜ」


 リヴィエールが河童の誤解を説いてくれたおかげで。

 龍助がここ数日眉間に刻んでいた不機嫌の証が、消えた。


「これからは、カワコーの河童っつぅ通り名を誇っていけるぜ」

「はぁ? あなた如きが河童を名乗るとか。髪が緑だからって調子に乗らないでくださいよ?」

「え、ぁ、うん。ごめん……」


 ガチめに叱られた……。


「……ですが、まぁ、良いでしょう。大目にみます。それくらい、私は嬉しい」


 河童の話を聞いてくれた。

 ほんの少しだとしても、河童に良い印象を抱いてくれた。

 それがよほど、嬉しかったらしい。


「それでは、私はこれで」

「おう。気を付けて帰れよ」

「ええ。……あなたとは、またどこかで会えそうな気がします」

「ん? ……ああ、そうだな」


 まぁ、クラスメイトだし。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 日本の河童自体、いろんな種類ごちゃ混ぜですからね…… 河伯もそうですし、山童が川に降りてくると河童になるとか、使い捨てられた藁人形(式神)が河童になるとか 河童入門編として非常に楽しかった…
[良い点] 日本にモノノケバケモノ数多あれど、カッパほどごちゃごちゃ混ざってややこしいヤツはいない――そうですね。 にもかかわらず完全にキャラクター化しちゃった現状に立ち向かう、見事な河童布教のお手…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ