第二十五話 狼の腹の中
(視点がゴーマン将軍に変わります)
狼牙王都は、王城ハールッツがその中心に位置するのは間違いないが、その範囲は時が経つにつれて大きく膨れ上がっているので、新しく整備された土地と古い土地では趣が、がらりと違う。
元々、武闘派の狼牙族は建築学などに興味を持たないので、他民族が作り上げた都市を占領する形でしか街を大きくできないのだ。古くなって使い物にならなくなった場所はそのまま捨てて放置し、そこに別の民族が入り込んで来るのを待って、新築が完成したところを襲い美味しく接収する。それが狼牙族の古き良き習わしである。時には住人に化けて家で待ち構え、罠を張ったりもする。
そのようなやり方であるから、なかなか好み通りの家に住めるとは限らないのだが、狼牙族の貴族は基本的に派手で明るい色合いを好む。中でもクリスタルがちりばめられ、きらびやかな高級住宅街として皆が羨む『サウスブルーマウンテン地区』も、つい三十年前に接収された土地であり、元はユニコーン族の住居であった。
設計はエルフ、施工はドワーフの作であるが、馬の姿をしているユニコーン族に合わせて住居が作られているので、背の高いゴーマンなどは上の梁に頭をぶつけたりして住み心地が良くない。なので、国王から褒美として与えられたその地区の別荘には住んでいなかったりする。
サウスブルーマウンテンからやや離れた旧市街の一角に、将軍職を解かれたゴーマンは佇んでいた。
ここは元は大型の熊族の住居であるので、道から家の梁までゴーマンの体格にフィットした住み心地の良い場所である。色が地味なのと、古いのを我慢すれば、特に問題も無い。住めば都である。
「ふう、今日も良い天気だ。さて、水でもやるか」
身長二メートルを超える鎧姿の大男が小さな如雨露を持って、これまた小さな盆栽に水をかける。
狩りが普通の趣味である狼牙族において、盆栽を趣味にする者は老人であっても極めて少ない。
ゴーマンはゲオルグが盆栽に水をやっているのを見て「木に水をやって何が面白いのか」と問うたことがあるが、ゲオルグ爺も「これがええんじゃ。おぬしもやってみれば分かる」と言われ、盆栽を一つもらってこうして水をやっている。あれから十年経つが、その面白味は……やはりさっぱり分からない。
「うっわ、何してるの、ゴーマン」
後ろから驚いた声が聞こえ、ゴーマンが振り向くと、そこに同僚のハイネ将軍がいた。たった今、お化けでも見たような顔つきをしている。
彼女はいつもの胸の大きく開いたドレスのようなひらひらした軍服で、アレでは戦いにくかろうとゴーマンは会う度に思うのだが、女性のファッションほど不可解で難題なものはないので、口に出して言ったことは無い。
「見れば分かるだろう。盆栽に水をやっているのだ」
「それは分かるけど、あなたらしくも無い。カイツ砦から敵を逃したのは、物見がきちんと見張っていなかったからで、あなたや私があそこに到着したときにはもう砦はとっくにもぬけの殻だったみたいよ」
「そのようだな」
ゴーマンも大失態の出来事であるから、そのあたりはきちんと部下に調べさせて把握していた。
「だったら、何を大人しく謹慎なんてしてるのよ。今、ショーンが何をやってるかあなたは知っているの?」
「ショーン? さてな」
ゴーマンは元々、他人が何をしていようがあまり気にしない質だ。
「もう。ブランカ王女を手下の兵に襲わせて廃嫡し、別の者を犯人に仕立て上げて、自分はヒーロー気取りで偽王の後見人として権力を振るっているわ」
「なに? 王女襲撃事件の犯人は、ショーンだと言うのか!」
豪胆なゴーマンでもさすがに驚いた。
「そうよ。決まってるでしょう。王女が襲撃される前に、王位継承権の低いいとこだか、はとこだかの後見に収まっていたけど、そこからして怪しいでしょうが。本来なら、第一位のブランカ殿下のお側について、彼が本命の後見人をやるのが筋でしょう」
「まあ、そうだな。だが、継承権の順位が変わったとも聞いたぞ」
「それもデマよ。あれだけロボウ陛下が可愛がっておられたのに、妾の子だなんて。まあ、妾の子でも可愛いでしょうけど、そういう子は最初から政務の場、表舞台に立たせたりしないわよ。調べてみたけど、噂の出所は、ショーンみたいよ」
「なに? となると、すべて奴のでっち上げか」
「そういうこと」
「ぬう……だが、ハイネ、お前も陛下の葬儀すら欠席し、しばらく行方をくらましていたな? アレはどういうことだ」
「それは国王崩御の責任を全部私に押しつけられたら敵わないもの。王位継承権争いで、きな臭くなるとも思ったし。案の定、四天王の一人、ゲオルグは襲撃事件で王女をかばった後は本当に行方知れずよ。ショーンに消されたか、国外へ上手く脱出したか……どのみち、いないのだから失脚でしょうね。一番の重臣、四天王の一人ともあろう人間が、よ」
「ううむ……」
「だから、今はあなたにしっかりしてもらわないと困るわけ」
「そう言われてもな。今はオレも、謹慎中でな」
「だから、それを言い渡したのが逆賊ショーンでしょ?って話よ」
「ううむ、しかしな……そういうことであるなら、お前が新しく軍師に就任するなり、どうにかできるのではないのか」
「あなたがやれというのであれば、軍師職でもいいけど、どちらにしても、兵を動かして王城に攻め入る必要があるわ」
「バカな。それではまるでこちらが逆賊ではないか」
「仕方ないでしょう。ショーンは王城に籠もりっきりで、私たちの反乱も予想してるようで、兵を固めてるんだから」
「いかんいかん、それはいかんぞ。仲間同士で斬り合うことになる」
「裏切ってるのは向こうなんですけど?」
「そうだとしても、王城はまずい。攻め落とすのも難しいし、何より、あそこを血で穢しては恐れ多い」
「じゃあ、どうするのよ」
「知らぬ」
「もう。このままずるずる行くと、手が打てなくなるわよ? 兵糧も私の城と別の場所に集めてあるけど、税収や年貢が配給として来ないわけだし」
「分かった。兵糧の手配はオレがやっておく。王城については……攻め方を考えてみるとしよう」
「頼んだわよ。じゃ、私はもう行くわ。何か連絡があればこの裏の娼館の女将に頼めば私に届くようになってるから」
「分かった」
それだけ言うとハイネは腰に巻いていた黒い布を解いて広げ、それを頭からすっぽりとかぶった。何かと思えば、腰を曲げて老婆に見せかけるという見事な変装だった。普段、派手で露出度の高い格好をしているハイネが、まさか地味な老婆に化けていようとは誰も思うまい。
「女は化けるというが、真だな」
ゴーマンは舌を巻く思いでハイネが庭から出ていくのを見送った。




