第二十話 エルフでないエルフの刺客
『鉄血ギルド』の上等な宿を取った俺たちは、そこでゆっくりと旅と足の疲れを癒やすことにした。
ありがたいことにドワーフの司祭がフェアリーの悪戯の魔法を解いてくれ、元の自分の顔に戻っている。
そんな素敵な顔じゃないけど、魔物や動物の顔よりはずっとマシだもの。
ついでにロークが筋肉痛に効くという薬を店で買ってきてくれて、風呂上がりにそれを足に塗ってくれている。
クールミント系のこの爽快感。
「くぅー、効くぅー!」
「ここに温泉があって良かったですね、ユーヤ様」
「そうだなぁ」
ただひとつ、レムと一緒に入れなかったのが残念だったが。
ごくごく自然にナチュラルにに俺がレムを連れて一緒に温泉に入ろうとしていると「あ、そっちは男湯ですよ?」と無駄に親切なお姉さんが引っ張ってレムだけを女湯に連れて行ってしまったのだ。
俺もレムも一緒のお風呂に入りたかったのに!
「はい、塗り終わりましたよ」
「ありがとう、ローク。じゃ、今度は俺が塗ってやろう」
「いえ、そんな、自分で塗れますから」
「遠慮なんかしなくていいって。ほら、そこにうつ伏せになってくれ、ローク。命令だ」
「分かりました。命令でしたら、逆らえないですね……では、遠慮無く」
ロークはズボンを脱ぐと、俺に下着姿を見られるのが恥ずかしいのか、ただ単に育ちがお上品なためか、布でお尻を隠してうつ伏せになった。
「じゃあ、行くぞ」
彼の華奢で色白な足に薬を塗っていく。
「は、はい……ああっ! これは」
「どうだ? 気持ちいいだろ? ローク」
「え、ええ。思った以上です。これは効きますね。ああーっ!」
塗り薬の爽快感に思わず声を上げるローク。
その反応に気をよくした俺が、半透明のジェルを両手にたっぷりと付けてそそる太ももに手を伸ばしたとき、バンッ!とドアが開いて何者かがいきなり部屋に踏み込んできた。
「二人とも、何をしている!」
「エマ?! 良かった。無事だったか」
「私は、何をしているのかと聞いたぞ?」
ヤバイ、なんだか良からぬ誤解をしているようでエマの瞳が縦筋になっている。
「く、薬を塗ってたんだ」
「薬?」
「ええ、足の痛みを取る薬ですよ、エマさん」
「ああ、なんだ、それで服を脱いでいたのか。ふう」
「それより、エマさんがご無事で何よりです。上手く逃げ切れたようですね」
「ああ……だが、すまない、戻ってきたのは私だけだ。他の四人は、おそらく逃げ切れなかったはずだ」
エマがそう言って俺から視線をそらした。
「そうか……」
俺たちの護衛をやってくれていた兵士四人の顔を思い出すが、全員笑顔だった。
「それはエマさんの責任ではありませんから」
ロークが大事なことを言ってくれた。
「うむ……」
「そうだな。エルフに囲まれたあの状況ではどうしようもなかった。君が無事に戻ってくれただけでも良かったよ、エマ」
俺もエマが自分を責めたりしないようにフォローしておく。言っておかないといけないこともあった。
「それに、ロネッタが不思議な力で近道を見つけてくれたけど、君たちを迎えに戻らない決定をしたのは俺なんだ」
「ああその話はさっき兵士達に聞いた。それで正解だ。敵の数も多いし、魔法も使ってくる相手で、こちらも苦戦していたからな。私は三人ほどエルフを仕留めたが、全員は無理だっただろう。途中で隊長に早くユーヤを追ってくれと頼まれてしまってな。私はお前を守ることを優先したんだ。だから、決して自分だけで逃げ出したつもりは無い」
拳を握りしめて不機嫌そうに言うエマも、簡単な決断では無かったのだろう。
「ああ、それは言わなくても分かってるよ、エマ。君はそんな卑怯な奴じゃない」
だが……守る側と守られる側、か。
「そんな顔をするな、ユーヤ。お前は隊長の上に立つ軍師だ。隊長よりもっと大きな役目があるのだろう? 部下も自分の役目を果たしたのだ。次はお前が自分の役目を果たす番だぞ」
「ああ、分かった。そうだな」
隊長が命を懸けて俺に託してくれた役目だ。
それはラドニールを守ること。ラドニールの国民を守ること。
剣の才能が無い俺は、頭を使うしかないし、それだって優れてるわけじゃない。
となれば、後はあらゆる想定を考えて、あらゆるものを利用し、がむしゃらに最善の道を探す、それだけだ。
「それにしてもエマ、よくここに俺たちがいると分かったね?」
「他に当てが無くてな。狼牙王国やミストラ王国を通ったりはしないだろうから、ロネッタの里を訪れるにせよ、そうでないにせよ、どのみち帰りはドーアハイド山脈のこの入り口を通るだろうと思ったまでだ。狼牙王国の西、カルデア王国には北回りの道ではもう向かえまい」
「そうか、それもそうだな」
エルフに襲われて北と西の道には行けないのだから、俺たちは南へ、ラドニールに戻るしかない。
ラドニールに戻るには、東側の海路でも行かない限りは、ここを通るのが最短距離だ。
……最短距離?!
「しまった!」
俺は自分が間抜けであることを再認識させられた。
「どうした、ユーヤ?」
「何かありましたか?」
エマとロークの二人が不思議そうに俺の顔を見るが。
「エルフも俺たちがここを通ることは予想しているはずだ」
「あっ!」
「むむ」
ラドニール王国の外交使節団だから、最終的にラドニール王国に帰るのは当然だ。
あとはいくつか想定されるルートに網をかけておけば、勝手に向こうから飛び込んでくる……か。
「くそっ、すぐにここを出よう!」
俺は言う。
「だが、ここは『鉄血ギルド』の領内、いくらエルフ共でも手荒な真似はできぬのではないか?」
エマが言うが。
「表だっては、ね。要はエルフの仕業とバレなきゃいいんだし、まずいな、違う種族の傭兵を雇う可能性もあったか」
「なに?」
「あっ、傭兵……ですか」
ロークが剣を持つあの老人の事を一瞬、思い浮かべたのだろう。失敗したと言う顔になった。
「いや、ローク、あの御仁は絶対にエルフの刺客じゃないぞ。それだけは断言できる。刺客なら、最初から不意打ちを狙ったはずだ」
目立つ金ぴか馬車なのだから、顔まで確認しなくたって近くにいた俺たちを問答無用で襲うのが一番確実だったはず。
「そうですよね。それに子連れの刺客なんていないと思いますし」
ロークが和む笑顔で言うが、そっちはその思い込みを逆手に取ることもあるから、分からないけどな。
「みんな、すぐに支度を」
「ええ」
「私は兵士に報せてくる」
「ああ」
支度を済ませてチェックアウトを告げると、ドワーフの店主が宿のサービスに何か問題があったのかと心配してきたが、こちらの事情だしな。急用だとだけ告げて、宿を出る。
「おや、どこに行きなさるのかの」
出たところで例の剣を持った老人とばったり出くわした。
「ちょっと急ぎで、もうここを発つことにしました」
俺はごまかさずに言う。俺の前に立とうとするエマを手でどける。
「それは良かった。お礼も言わぬままに別れてしまっては、二度と会えぬかもしれませぬからの」
「いえ、そちらの具合の方は?」
「おかげさまですっかり良くなりましての。ほっほっ」
老人は笑ってはいるが、孫娘の話では司祭も見放した不治の病ということだからな。治ったということはあるまい。
「あっ、ローク、さっきの足の薬を出してくれるか」
俺は良いことを思いついて言う。
「はい、ユーヤ様」
ジェル軟膏の瓶をロークから受け取り、老人に渡す。
「これを胸に塗ってみてください。筋肉痛の薬ですが、不思議と呼吸も楽になりますよ、きっと」
「おお、これはかたじけない。おいくらでしたかの」
「いえ、お代はいいですから」
宿を取る前にこの老人の馬車を購入したが、あの少女が渋々と半額の一万五千ゴールドを出していたから、この親子の手持ちはもうほとんど無いはずだ。定期便の方が遙かに安いのだが、病人は断られてしまう可能性もあった。
「なんの、馬車代を半分も肩代わりしていただいた上に、それでは甘えすぎというもの」
「では、馬車代と一緒に返してもらいましょうか。返済時期はいつでも良いので。ローク、いくらだった?」
「はい、五十ゴールドで購入したものです」
「五十ゴールドじゃな。ほれ」
「ああいや、別に今じゃ無くても。手持ちが無いとそちらも困るでしょう」
「なあに、足りなくなれば、この魔法の剣を売ってしまえば金には困りませぬて。もらいもので買値は知らんのじゃが、まあ売れば一万くらいにはなるじゃろう」
老人が腰の剣の鞘をぽんと叩いてみせた。
もっと高い値が付くだろうと俺は思ったが、目利きでも無い俺には剣の売値はちょっと分からない。
「うー、魔法の剣か」
レムが後じさる。
レッドドラゴンの鱗を傷つけられる剣だもんな。
「おっと、お嬢ちゃんを怖がらせてしまったようじゃの。すまんすまん。さて、そちらの竜人や兵士も落ち着かぬようだし、そろそろワシは行くとしよう」
「ええ。あ、おじいさん」
「なんじゃの?」
「お名前、伺ってませんでしたね」
「ああ、そういえば名乗っておらんかったのう。これは失礼した。我が名はゲオルグじゃ」
「ゲオルグ? どっかで……」
見た気がする。たぶん、資料として。
「あっ、狼牙王国の将軍の名ですよ! ユーヤ様」
「な、なんだって?」
「くっ!」
「ほほ、皆そう慌てなさんな。ゲオルグなんて名前は珍しくもないわい。ワシはタダの老いた武器商人、それに将軍ゲオルグは白髪白髭で、お付きの兵を大勢連れておるわい」
「それもそうですね」
皆が勘違いに笑う。
「さらばじゃ、軍師ユーヤよ」
「ええ。あれ、でも俺はゲオルグさんに軍師って名乗ったっけか?」
俺がよく思い出そうと上――洞窟の天井を見た瞬間、老人が目にも止まらぬ早さで剣を抜くと、こちらに向け突きを放ってきた。