第四話 キリギリスの要求
二月中旬――。
ラドニールの冬は寒い。
俺は一歩たりとも部屋の暖炉の前から動きたくは無かったのだが、リバーシだけでは満足してくれないレムが駄々をこねた。
「ねー、ユーヤー、雪合戦しよー、雪合戦ー、雪合戦ー」
「あー、うるさい! 分かった。じゃあ、付き合ってやるから」
「やった!」
国王から褒美にもらった熊の毛皮コートをフードも被って、防寒の完全武装で部屋から出る。
「うわっ、熊が!」
ちょうど部屋にやってきたロークが俺を見てびっくりしてしまった。
「いや、ローク、俺だ」
熊の頭のフードをはぐって誤解を解く。
「ああ、ユーヤ様。せめて城の中ではフードは外しておいてもらえると。心臓に悪いです」
胸をなで下ろすルークは本当に恐い思いをしてしまったようだ。
金髪の小柄な美少年が涙目で緊張した顔をしているのはちょっとそそる――オホン、ちょっと可哀想なことをしてしまった。
「悪かった。次からそうするよ。ところで、何かあったか?」
ロークが小脇に抱えている青い服は俺の軍服だ。
「ええ、先程、聖法国の使者が」
「そうか、ようやく動きがあったか」
「今、リリーシュ様とアンジェリカ様が応対するため、玉座の間に向かわれました」
「国王陛下は?」
「それが、今朝方から体調が優れないご様子、報告だけしてお休み頂くとアンジェリカ様が」
「分かった。すぐ行く」
国王の体調が少し心配だが、時々こういうことがあるので、急病の類いではないだろう。
またすぐ良くなるはずだ。
医者のクラウス先生にも一度診てもらって、薬ももらっているし。
残念ながら、かの名医は次の国の患者が待っているそうで、色気で落として定住作戦の策は通用しなかった。
それでも、弟子に付けたラテス達の同行は歓迎するとのことで、いずれ高度な医術を弟子達が学び取って持ち帰ってくれることだろう。
事情を理解してむくれっ面をしているレムの相手を兵士に任せ、その場で俺は熊の着ぐるみを脱いで軍服に着替える。
玉座の間の裏口へ通じる廊下をロークと共に向かうと、そこに軍服姿のリリーシュが待っていた。
ま、彼女はいつもこの姿だけど。
「ユーヤ、来たわね」
「使者はジャンヌか?」
「いいえ、彼女じゃ無いわ。残念でした」
「いや、残念と言うより、今回はありがたいよ」
「そうね、アレは色々と手強かったし」
リリーシュの言う通り、見た目こそ可愛らしいピンクの髪をした少女だったが、ジャンヌは聖法国の政務を仕切る切れ者だ。
彼女の方が話はまとまりやすいが、交渉のプロと言っても良いだけに、恐い条件をスルッと飲ませられる恐れもあった。
ま、どうせ彼女が条件を考えてから使者を寄越しているだろうから、どこかに罠が入っていないか、話をしっかり精査する必要はあるんだけど。
「じゃ、行こう」
「ええ。今は姉様が世間話をしながら使者を待たせているわ」
広間に入ると、にこやかに談笑しているその二人がいた。
使者は中年の男で、白いローブ姿だ。
体格が良いが、武闘派の者なのだろう。和やかな雰囲気ではあるが、今は戦時、戦争相手国だからな。
俺は玉座の間に詰めている護衛兵の人数と位置をチェックしたが、弓持ち二人に槍持ち二人と、ちょっと心許ない。
いつも俺を護衛してくれるエマは、今日は竜人の里で会合が有るとのことで三日の泊まりの予定で実家に帰っている。
「護衛はもっと増やした方が良くないか?」
「平気よ、私がいるもの」
無双リリーシュが笑ってウインクする。顔をしかめて俺が何か言う前に彼女は付け加えた。
「それに姉様があまり物々しくやらない方がいいでしょうって」
「そうか」
今まで実務を担ってきたこの二人で決めたことなら、問題は無いだろう。
聖法国も暗殺まではやらないだろうし。
それでも、スキルで何か変なことをされても困るので、俺は警戒しつつ玉座の側に立つ。
玉座には誰も座らず、空席だ。
「では、お待たせしました。この三名で話を伺いましょう。紹介が必要ですか?」
アンジェリカが使者に問う。
「いいえ、銀髪の麗しき『内政長官』アンジェリカ第一王女殿下、金髪の凜々しき『剣姫』リリーシュ第二王女殿下、そして知謀のあふれる黒髪『勇者』にして『軍師』のユーヤ様。三人ともお顔はよく存じ上げておりますので。
リリーシュ様とユーヤ様が聖法国においで頂いた折、晩餐会に私も出席してご一緒させていただいておりますが、こちらの顔を覚えておいででしょうか?」
使者が笑顔で応じて、こちらに聞いた。
「ああ、いたわね、覚えているわ」
リリーシュは覚えていたが、あの時は結構な人数の司祭がいたから、俺の方はうろ覚えだ。
ここは曖昧なモナリザ笑顔で頷いておく。
「それは光栄、では、さっそく、聖女様のお言葉を伝えさせて頂きます。これは我らが同盟国狼牙王国とすでに話し合った事ですので、両国の総意とお受け取り下さい」
話し合ったからと言っても、ゴーサインまで出しているとは限らないから、そこは後で狼牙王国に確認が必要だが、まあまずはどんな事を言ってくるか聞いてみよう。
「オホン。我らは寛大にもあなた方と停戦の和議に応じる用意があります。停戦の条件は三つ。一つ、ラドニール金貨十万枚を一括でこちらに納めること」
「はぁっ?!」
リリーシュがさっそくキレるが、落ち着けと。
「リリーシュ、黙って最後まで聞きなさい。国事ですよ」
アンジェリカも小声で窘めた。
「でも姉様、いくらなんでも。こっちは勝ったっていうのに」
その認識はまずいな。
「リリーシュ、こっちは向こうの本丸を落とした訳じゃ無いんだ。一つ勝っても、決着はまだ付いていない」
俺は言う。
敵の親玉は倒した。
だが、彼らが負けを認めず、戦いを続行すると言うなら、こちらにそれを止める術は無い。
残念ながら、彼らにはそれだけの力も残っていた。
奇襲で少数の本隊を蹴散らしたが、それ以外の部隊とは交戦していないから、敵の将兵がたくさん残っているのだ。
それに、本丸――首都や王城を落としたとしても、主力が蹴散らされていようとも、敵が諦めなければ戦争は終結しない。
中国のかつての首都南京もそうだったし、フランスもまた首都パリを落とされても戦いを続けた。
単純なゲームと違うのはそこだ。
北のミストラ王国とも和平条約は結んでいないが、あそこは今、無政府状態ながらも、村単位の自治が始まったようで小康状態だ。
少なくとも軍をこちらに向ける余裕は無いからミストラについては安心だ。
「その通り。我らはロボウ王を失いましたが、負けたわけではありません」
使者も不敵な笑みを浮かべつつ、頷く。
「さて……聞くに堪えない戯れ言に聞こえましたが、いいでしょう、次の条件を話すことを許可します」
アンジェリカも冷たい表情で仕切り直す。
普段の彼女なら「失礼しました」と笑って言うところだろうが、戦の交渉だしな。
「では、第二の条件。麦袋一万を即座に引き渡すこと」
ギリッと横に立っているリリーシュの歯ぎしりが聞こえておっかないが、彼女も今度は沈黙を守った。
「第三、最後の条件は、ロボウ王を手に掛けた逆賊ガルバス、並びにその策を授けた軍師ユーヤの身柄の引き渡しを求めます。以上」
「ふざけないでっ! そんな条件、こちらが飲むとでも思っているの!」
リリーシュが怒鳴るが、まあ、かなりふっかけてる感じだよな。
将軍や軍師の引き渡しなど、敗戦国へ要求するような内容だ。
「ま、まあ、落ち着かれませ、王女殿下。これはあくまで狼牙王国側の要求でして」
使者も自分の身が危ういと感じたか、冷や汗を垂らしながらなだめる。
「落ち着けるわけ無いでしょう。まったく」
それでも、オルバの考えは異なると理解したか、リリーシュも気を少し静めたようだ。
「それで、聖法国側の考えはどうなのですか」
アンジェリカが問う。
「は、こちらとしては、まず第一の条件である金貨の額については、こちらの裁量で大幅に減額することが可能であると申し上げておきます」
「と言うと?」
「さすがに金貨十万枚は多すぎると私個人も思いますので、まあ、そこは七割くらいでも。最悪、半分くらいまでなら何とか、負けられるということです」
「それなら、最初から五万枚って言いなさいよ。ってか、一万枚でも多すぎるわ」
リリーシュが文句を言う。
「いえまあ、こちらの外交努力もありますので、一万というのはなかなか……」
外交努力などと言っているが、おそらく、オルバが不足分の金貨をまるまる肩代わりするつもりなのだろう。
聖法国オルバとしては、ラドニール王国との戦いは百害あって一利なし、骨折り損のくたびれ儲けだ。
それなら金貨を自分で支払ってでも停戦しておきたいというところだろう。
それもどうかと思うのだが。
「それから第二の条件ですが、麦袋九千までは負けられます。残念ながら、これ以上はどうにもなりません」
「それは、聖法国でも食料が不足している、と言うことですね?」
俺は確認した。