第一話 餅つき前編
2019/3/1 三章の後はどうなったの?という説明を、この話の冒頭に7行くらい追加しました。
狼牙軍本隊を撃破した俺たちは、そのまますぐに本拠地ラドニール城に全軍が戻って守りを固めた。
狼牙王国はロボウ国王が討ち取られたことで大混乱に陥り、すぐに攻めてくる気配は無い。
怪我をしたエマも完治し、最高の結果だ。
レムもラドニール城に救急レムとして急行した後は、リリーシュの指示で偵察レムとして頑張ってくれたようで、それはそれで良い判断だったと思う。リリーシュはあの時点では、どこに狼牙王国の本隊がいるか、把握していなかったのだから。索敵に神経を尖らせて当たり前だ。俺も別働隊がラドニール城に迫っているのではと心配だったからな。
それから一月が過ぎた大陸歴528年一月一日――。
こちらの世界では、年の変わりを新年節として祝う風習があるそうだ。
祝うと言っても、雪の降り積もった最中であるので、室内でご馳走と酒が振る舞われる程度だそうだが。
「ユーヤー! 準備できたー!」
俺が自分の部屋でのんびりと本を読んでいると、レムが呼びに来てくれた。
「おーう、じゃ、行くとするか。ううっ、寒いっ!」
ラドニールの冬は寒い。
部屋の中は暖炉があるが、そこから廊下に一歩でも出ようものなら、現代の空調設備のありがたみを再認識させられる。
この広い城では、薪や魔道具を使って廊下まで暖めるというわけにはいかないのだ。
建築構造自体に断熱の概念も無さそうだったので、一度、徹底的に密閉と断熱材をやって現代の匠を目指しちゃおうかと思ったのだが、暖炉でそれをやると窒息しちゃうんだよな。
途中で気づいて良かった。アフターが天国では笑えない。
「人間は寒がりだが、ユーヤは特別、寒がりだな!」
自分より背の低いコギャルにそう言われるとなんだか肩身が狭いのだが、コイツは温度変化なんてへっちゃらのレッドドラゴンだからな。
火竜だからレムの弱点は氷のはずだが、上位竜となれば、ちょっとやそっとの寒さでは無効化してしまうようだ。
うらやましい。
「俺は現代のもやしっ子だからね」
軽く肩をすくめて言う。
「もやしって何だー?」
「もやしというのは――確か……大豆か何かの豆を暗室で育てる野菜だよ。いや、穀物なんだから野菜とは呼ばないかな?」
「どっちでもいー。どっちでも植えるから植物だな!」
「そうだ。よく覚えたな、レム」
「ふふーん」
上機嫌のレムはやはり可愛らしい。彼女の保護者としては、しっかりと食べ物を用意してあげたいところだ。
幸い、大商人のホードルとバッグス船長が持ち帰った種が実を結び、中にはろくに育たない種類もあったが、トータルで芋から穀物まで大幅な生産力の向上を見た。
小麦や大麦が育ちにくい土地でも育つ物もあった。トウモロコシやソバ、燕麦、悪魔芋は特に良く育った。
城の文献を調べてみたが、ラドニールは元々土が悪く痩せた土地で、根が枯れやすく作物が上手く育たないという。木灰と鶏糞の肥料を与えてなんとか小さな実がなるレベルだ。
開墾して植えても育たないのでは厳しいな。
実際に土を見た感じでは、黒々としていて粘り気も有り別に何の変哲もない土だった。
確か地理の時間に亜寒帯の土壌はポドゾルって習ったけど、どうだったかな? 色までは覚えていない。授業をしっかり聞いていれば良かったな。
ラドニールの夏は全然暑くもなく、涼しいくらいだったから、亜寒帯地域で間違い無いと思う。少なくとも熱帯では無い。雨期はあるそうだが、梅雨みたいにやたら降ったりもしない。
水分が少ないから、余裕があれば灌漑の水路をもっと開発したいところだ。水桶で撒くのはキツいし。
ちなみに昔、三代目勇者がレッドスライムを上手く誘導して畑の水代わりに使おうとしたのだが、作物が逆効果で育たなくなり失敗に終わったという記録が残っていた。
四代目としてはこういう記録はありがたい。俺の失敗もきちっと書き残しておこう。
「ああ、来た来た」
厨房の一角ではリリーシュ達が木臼と杵で餅つきをやっていた。
ラドニールでは脱穀用として普段使っているそうだ。
「もう、ユーヤったら、また本でも読んでたんでしょう。せっかくなんだから、見学くらいしてればいいのに」
杵を持つ手を休めたリリーシュが言う。上着は脱いでハチマキまでして気合いは充分だ。
肩まで晒している健康的な少女の腕と、汗でぴっちり胸に張り付いているタンクトップの肌着が妙に艶めかしい。
しかし、残念なことに、その下の胸の膨らみが……いや、何でも無い。
「そうだな、今からしっかり見学させてもらうよ。まあ、向こうの世界で一回見たことはあるんだけどさ。それにしても、エマも珍しいな。こういう料理で君が手伝いなんて」
エマが木臼の側に座り、桶の水も用意していて、餅をこねる係らしい。
彼女は戦の偵察や伝令などはよくやってくれていたが、これまで家庭的な面はほとんど見せたことが無かった。
「他に合いの手を入れる者がいなくなってしまってな。今、志願した兵士が二人、医務室で手を治療中だ」
「ああ…。リリーシュ、何もそんなマジに叩かなくたって、適当でいいんだぞ?」
「嫌よ。私が初体験の異世界の食べ物なんだから、気合い入れて行かないと!」
考え方が体育系なんだよなぁ。見た目は普通の体つきなのに。
「さてと、もうひと頑張り! 待っててね、レム、ユーヤ、もうすぐ美味しいお餅を食べさせてあげるから」
「おー!」
「エマも気を付けてくれ」
「分かっている」
もの凄いスピードで、ベタベタベタベタベタベタ!と三倍速の早送りスピードで餅をつき始めたリリーシュに「分かってない」と俺は首をゆっくりと横に振る。
これは年の暮れの風物詩みたいなもので、縁起物なんだから味とか精巧さを競うものではないのだ。
ましてや、量産スピードなどと。
忙しい王女様ならそれなりの意味はあるのかもしれないが、そこまで忙しいなら別の人にやってもらえばいい。
エマもエマで真剣な目をして手を連続で木臼に突っ込んでは引っ込め、エンジンのピストンを思わせる機械的な動きだが、断るか注意くらいしろと。
「ストップ! それは餅つきなんかじゃない」
「何を言い出すの、ユーヤ。ちゃんとあなたに教えてもらったとおりにやってるわよ?」
「いやいや、ただでさえ危ないんだから、もっと『ぺったん、ぺったん』、そのくらいのスピードでいいっての」
これは言わば伝統なのだ。
古来から人々が受け継いできたやり方を、『初めて食べるから気合い入ってるのよ!』などという個人の弱い理由で変えてしまっては問題がある。
それは様式美に留まらず、安全性という人が最も大切にすべき事柄までも犠牲になっているじゃないか。
『常識や伝統には必ず理由がある』
じっちゃんが教えてくれた四つ目の秘訣、それは人の伝統の大切さだ。
人間は一人では何もできない。
「いや、俺は一人で頑張っているけどな!」という人だって、電気やコンビニを利用していない人などいないだろう。
そこには発電してくれる人がいて、食べ物を輸送してくれる人がいる。いないと生活そのものが成り立たない。
だから集まって人がそれぞれの役割を果たす。
その上で、いちいちマニュアル化するまでもなく、『常識』や『伝統』で組織が動いている。
だからこれもルールの一種なのだ。
もちろん、それが悪い方に働くこともあるが、そういう間違った『伝統』はすぐに改められるのだ。
つまり長きにわたる伝統こそ、そうした数多の試練に耐えてきたシステムであり、それだけの価値がある。
古いからダメという杓子定規な考え方ではなく、それが本当に時代に合っているかどうかまで深く考える必要があるだろう。
言うまでも無いことだ。
だが、思いつきで行動しちゃう人間はどこにでもいる。
それがリリーシュのような権力者であればなおさらたちが悪い。
兵士達も、一目で「それは危ない」と思ったはずだ。
おそらく「姫様、それはちょっと早すぎて危ないのでは?」と進言した者もいたはずだ。
どーせリリーシュが「いいのよ!」の鶴の一言で片付けちゃったんだろうけど。
エマは反射神経が優れているので彼女なら怪我はしないだろう。
だからといって手を怪我した兵士の反射神経が悪かったとか、そんな個人の資質の問題にすべき事ではない。
これは常識や伝統をわきまえなかった組織の長が悪いのだ。
特に科学技術においては最先端のものほど『危ない』
安全の実用試験の回数や期間がそれだけ短いからだ。
「――と言うわけで、伝統は大切だ。立場をわきまえ、ご自重下され」
「うーん、言われてみれば、兵士の注意を聞き入れなかった私の責任ね。もう謝ったけど、また後で見舞いに行って謝るわ」
リリーシュが素直に頷く。
彼女は賢いとは言えないし、今、王位を継いだとしても名君と呼ばれるレベルにはとても行かないだろう。
だが、間違いを間違いと認めて受け入れるだけの器があれば、暗君にはなり得ない。
間違いを間違いとも認めず、ごまかし続ける暗君ならば、たとえ大国であったとしてもいつかは傾く。
「それでこそ姫様です。人の上に立つべき御方。きっと将来は名君ですな」
「もう、そうやってクロフォード先生みたいな好々爺の笑みはやめなさいっての。あなたも私と同い年でしょ」
「それはそうだけど。さて、うん、このくらいならもう充分だ。餅を小分けにしていこう」
俺は手をしっかり洗い、酒で清めてから布でふきふき。
食べ物を扱うのは手洗いが一番大事だからな。
布もまた清潔でなくてはいけない。
体調が悪いとき、特に手を切っていたり、下痢の時は感染症の感染源になりかねないので、これもダメだ。
衛生面の法律については内省長官のアンジェリカに聞いて、病気の人間は料理をしてはダメという法律も作ってもらった。
疫病がアウトブレイクしてから対策しても遅いのだ。
「神聖なる食べ物を扱うのに手も洗わない奴や、うんこして手洗いしないバカは死刑で!」
と気合いを入れて進言したのだが、アンジェリカに「それはちょっと……」と優しく微笑まれてそこは却下されてしまったが。それでもラドニール王国では罰金刑が成立した。
テーブルの上にパン用の浅い木箱を置き、予め米を粉にしたものを敷き詰めてから、木臼の餅をエマに運んでもらって、でんとそこに置く。
「じゃ、レムも手伝ってくれ。今はつまみ食いしちゃダメだぞ?」
「分かってるよ! でも、旨そうな良い匂い……じゅるっ」
「マスクマスク!」
幼女のよだれは俺的には隠し味でもいいのだが、そこは衛生面である。レムは時々狼も食ってるからな。要注意だ。
リリーシュとエマ、ロークと兵士やメイドも加わり横に並んだ。
俺も三角巾を口と頭に巻いて、餅の分け方を実演してみせる。
やって見せなきゃ、何事も教えたことにはならないからな。三つ目の秘訣だ。
「このくらいの大きさで、まんべんなく粉を周りに付けてくれ」
まん丸の煎餅型だ。
西日本の伝統である。
四角い切り餅でもいいが、どっちだって平たい方が加熱しやすく、料理しやすい。
この世界だと竈だから関係ないが、現代のガステーブルグリルに餅を入れると膨らんでガスバーナーに届いてしまい、火が付くので火事のもとだ。
やはり餅は七輪の上で焼くのが伝統というものだろう。
七輪の上にカセットコンロを置くのも危険だ。
「分かったー!」「ええ」「承知」
みんなで同じ作業に取り組む。こねているとそれだけでなんだか楽しいのだが、管理者はまず周りを見る責任がある。監督責任だ。
横を見ると、案の定、鏡餅みたいなのをこねてる子がいるし。
「レム、それは大きすぎるぞ」
レッドドラゴンには大きさの概念が伝わらないのだろうか?と思ったのだが、それは違っていた。
「いいのー! コレはオレ様が食うヤツだから」
小さい子は自分が食べる基準で作るよなぁ。
俺も小さい頃にじいちゃんの家でやった覚えがある。
周りの皆もほっこりした笑みに包まれた。
あとがき
土壌『ポドゾル』は表面が腐植(腐葉土)で黒、その下が灰白色、さらにその下が赤灰色らしいです。寒冷地に多く、作物には不向き。
ラドニールはもう少し温かい地域なのですが、赤スライムの影響による酸性の土で、元々アルミナ成分が多く、上層が黒、下層が褐色という設定です。