第二十四話 護衛の役割
日が暮れると、星明かりだけが頼りで、ほぼ真っ暗になった。
「これで森の中を斥候なんてできるのか?」
俺は歩き回ることすら難しそうだと思って心配になった。森だと木にぶつかりそうだ。
「大丈夫よ。この子達は夜でもちゃんと目が見えるんだから」
そう言ってリリーシュが白い愛馬の首を撫でる。そうだよっ!とばかりに、ブルルッと小さな鼻息を鳴らして愛馬も応じた。
「ああ、馬は夜目が利くのか……へえ、知らなかったなぁ」
俺が感心した目を向けると、急にピクッと馬が反応し後じさる。
え? 何その反応。俺の視線は嫌なの?
「どうしたの? メリー」
「馬が落ち着かぬか。近くに何か獣かモンスターがいるのではないか?」
エマが言うが、ああ!そう言えば、この世界は普通にモンスターも出るんだった!
「総員! 警戒!」
リリーシュがすぐに周囲の兵に警戒を促した。
座ってくつろいでいた兵士達が慌てて立ち上がり、剣を取る。
「Gururururu……」
低い獣の唸り声がどこからともなく聞こえてきた。
「くっ、どこ? 探せ!」
その場の全員が周りを見回すが、獣の姿は見えない。
これだけの人数がいるのだ。発見できないなんてことは無いはずだ。
ひょっとしてこれは音だけが聞こえるファンタジーな森の現象なのではないか――
俺がそう思い始めた時、突如、闇から何かが飛び出してきた。
「GuAH!」
「ぎゃあっ!」
で、デカい。
人よりも大きな四つ足の獣が、二人の兵士を地面になぎ倒し、獰猛に噛みついた。
「いかんっ! これはブラック・サーベル・パンサー! しかも複数だと!?」
ガルバスがモンスター名を識別したが、そいつは強敵だ。
平均レベル53、Bクラス冒険者パーティー以上推奨の危険な相手だ。
城の書物で読んだ情報だと、このモンスターは夜行性で、火があっても恐れずに人間を襲ってくる。
二十センチほどもある上顎の長く鋭い牙は、鉄の鎧でさえ貫くという。
弱点は特に無し。
「レベルの低い者は下がって! 私が相手をする!」
リリーシュがそう言った時には、もう駆け込んで剣を振るっていた。
「いけません、姫様! 別の者にお任せ下さい! 相手はレベルが10も上です!」
ロークが叫ぶが、リリーシュのレベルは43か。
「ダメよ。私の他はもっとレベルが低いじゃない。くっ!」
斬り込んだリリーシュの剣が黒豹の青白く輝く牙に弾かれた。
くそ、リリーシュがこの場で一番レベルが高いのか。
どうする?
いや、迷ってる場合じゃないな。
「レム、起きてくれ!」
ここは切り札のレッドドラゴンを出すしか無い、そう思って気持ちよさそうに眠っているレムを揺するが起きてくれない。
「くそ、こんな時に」
次から戦場ではキノコを食べないように言い聞かせておこう。
彼女自身の身だって守らなきゃいけないからな。
俺はレムを抱きかかえて後ろに下がろうとしたが、エマが鋭く叫んだ。
「ユーヤ! 右ッ!」
「えっ?」
正面の黒豹だけ気にしていたが、別のもう一匹が横にいた。
すでにそいつは俺に飛び掛かってきており、俺にはどうすることもできなかった。
「うわっ!」
「ぐっ! ええい! 豹風情が!」
間一髪のところでエマが俺を庇って間に入ってくれた。
「エマ!」
「Gau!」
エマの剣の一撃を食らった黒豹は、倒れなかったものの、後ろに下がって距離を取った。
「ふう、助かった、ありがとうエマ」
「気にするな。私の役割は護衛だからな。くっ」
「んん? あっ、怪我をしたのか……」
脇腹を押さえたエマの手から血がしたたり落ちていた。
「フン、かすり傷だ」
いや、どう見ても重傷なんですが。
「よし、一頭、仕留めたぞ!」
ガルバス将軍と彼の部下が上手くやってくれたようだが、まだ二頭もいる。
リリーシュが一頭とやり合っているが、レベル差もあって押され気味だ。
すでに五人の兵士が倒されている。
撤退……はちょっと難しいか?
これだけの人数がいる。それに逃げたとしても、黒豹の方が足が速そうだ。
エマも早く手当しないと。
時間が無い。
「うぬっ、しまった!」
「しょ、将軍!」
「構わん、いったん下がれ。命令だ」
まずい、ガルバス将軍も何かあった様子。
このままでは……
どうする!?
くそ、こんな時に策が出せないのに、何が軍師だ!
考えろ。
何か手はある。
あると信じろ!
「落とし穴は……ダメだ。今からじゃ、ハマるわけが無い。せめて何か目つぶしでも」
俺は地面の砂を使ってでもと思ったが、ここは芝生のような草むらで、土ごと引っこ抜いても俺のノーコンでは黒豹の目には命中させられないだろう。
だが、もっと別の良いものを見つけてしまった。
「黒豹、これを食らえ!」
俺はそれを拾って黒豹へ投げつけた。
割とあさっての方向へ飛んで行ってしまったが、動く物なら何でも襲う習性のようで黒豹は自らそれに食いつき、一口で飲み込んだ。
「よしっ! もう一頭!」
別の一頭にも投げつける。
食べた。
「ユーヤ、今のって……」
「ああ、レムが採ってきた毒キノコだ。みんな、無理しなくて良い。あと数分でいいからそのまま粘ってくれ!」
「了解! でも、モンスターに効くのかしら?」
リリーシュが疑問に思ったようだが、Sランクモンスターの上位竜ですら眠らせるシマシマキノコだ。
それをレベル53のBクラスモンスターならば――
「GuRu!? Gau――! Gu……」
二頭の様子がおかしくなり、苦しみ始めた。滅茶苦茶にその場でもがくと、口から真っ赤な泡を吹いて倒れ、最後にはぴくりとも動かなくなった。
「うわ、効きまくりね」
「レムにちゃんと見せておかないとなぁ」
百聞は一見にしかず。
何気なく結果を聞くのと、目の当たりにするのでは記憶も段違いだろう。
幼女に死体を見せるのはどうかと思うが、知らずに俺が死体になったり、誰かを死体にさせてもらっちゃ困るからな。
「やりますな、軍師殿」
額に傷を付けたガルバス将軍も命に別状は無いようだ。
だが、今はまず、エマだ。
「エマ、傷を見せてみろ」
「平気だと言っている」
口では強がっているが、顔は苦痛に歪んでいて、こりゃ良くないな。
強引に彼女の手をどけさせたが、思った以上に酷い。
右の脇腹のレオタードが大きく切り裂かれ、真っ赤に染まっていた。
傷も深そうだ。
「ローク、ポーションを」
「はい。ですが、ユーヤ様、これだけの重傷だと、すぐには回復は無理です。もっと良い、ハイポーションくらいでないと……」
残念ながら、ラドニール王国には上物のポーションなど無い。
薬草から蒸留してクロフォード先生が普通のポーションを作り、それを売って財政の足しにしているくらいだ。
王女リリーシュですら、回復には薬草を使っているのだ。
「分かってる。とにかく、貸してくれ」
「はい」
「エマ、ちょっとそこに寝てくれるか」
「大げさにするな」
「いいから、寝てくれ」
ロークから受け取った薬瓶の蓋のコルク栓を引っこ抜き、半分ほど傷口に青い半透明の液体を振りかける。
残りはエマに飲んでもらった。
「後は軟膏を塗って包帯を巻いておきましょう」
ロークが別の薬瓶を出して手を伸ばしたが、エマがその薬瓶を強引に奪い取った。
「貸せ! 後は自分でやる」
「ああ、ええ、失礼しました。どうぞ」
兵士達の怪我の手当も終えた頃、ようやくレムが目を覚ました。
「んあ、なんかあったの?」
「お前なぁ……ふふっ」
口からよだれを垂らした彼女ののんきな姿に、俺達はついつい吹きだして笑ってしまった。