第二十二話 合戦じゃあ!
ラドニール城の執務室で、俺達は地図とにらめっこしていた。
――全員深刻な顔で。
「しかし、まさか離れた場所の狼牙国が宣戦布告してこようとは……」
国王も渋い顔だ。
「「「 申し訳ありません…… 」」」
俺、リリーシュ、ローク、エマが声をそろえて謝る。
「ごめんなさい」
レムも反省しているようで、彼女にしては礼儀正しく謝った。
「うむ。レムも反省しているようだから、それで良かろう」
国王が微笑む。
「しかし、子供同士の喧嘩でというのはやはり解せぬな。自分達が人間族より上の存在だと周辺に見せつける意図もあるのかもしれぬが……」
続けて言った国王の言葉は、あるいはそれが真実かもしれない。
「それはどうでしょうな。彼らは充分な武力を持っています。今更、楯突く人間族などおりますまい」
博識のクロフォード先生が言うが、彼らが何を意図したかは、情勢と無関係の可能性だってある。
あのお子様王女の態度からして、もうそんな気がしてきた。
だが、何にせよ、狼牙国は簡単に戦争を始められる強国だ。
普通の国なら、周囲の外交関係や国民の負担・不満も考慮しなくてはいけないから、大義名分が必要になる。
「相手の態度がムカついたから~」「子供がガキと言って侮辱したから~」では、とても大義名分とは言えまい。
それでも、彼らは宣戦布告に踏み切ったのだ。
まあ、あの場にいた王女のお付き、ショーンと言ったか――アイツが「じゃ、もう戦争しましょう、戦争。やっちゃえばいいのですよ、やっちゃえブランカ」なあんて煽ってたけど。アイツが一番の元凶だろうな。
子供が間違えたら大人が大人の態度で正すのが当たり前なのだから。
「して、竜人族は今回の戦、どう動く?」
国王がエマに聞いた。
「は、今回は私が側に付いていながら、レムを止めることもできず、私の失態であるとも言えます。頭領にはその件も含めて話をしました。返答は『いずれにせよ、義に従って動くまで』と申しておりました」
エマはそう言ったが、竜人族の頭領ダーンにしてみれば、今回の戦は完全なとばっちりだ。
しかも戦力的には敵の方が強い。
それでも防衛条約を守るというのは、やはり信頼に足る人物だ。
「それは心強い。だが、竜人族がこちらの味方に付いてくれても、戦力差は絶望的だな」
国王がため息交じりに言う。
「私も、狼牙族の個体の強さは目の当たりにしましたが、具体的な組織戦力は……?」
俺は質問する。俺だって軍師の役職をもらった人間だ。ヒマを見ては書物に目を通してこの世界の情勢を掴もうとしているのだが、具体的な兵数などは残念ながら記載が無いのだ。
軍事機密の部分は、この国の諜報員に頑張ってもらうしかないだろう。
ただ、遠方だとどうしても後回しだろうし、そんな人員、この国にはいないはずだった。
「具体的な戦力は我らも掴んでおらぬ。だが、ちょうど三十年前の戦では、狼牙兵三万が精霊国に向かったと言う。それから精霊国を吸収したのであるから、三万より上と見るべきであろうな」
「三万……」
「対する我が国の兵力は歩兵二千、騎馬隊二百。他に南部獣人連合の援軍二千、竜人族の援軍五百を当てにしても、総勢五千足らずというところですね……」
ロークが味方の数を計算して出してくれた。
六倍の戦力差だ。
「それに、聖法国オルバは狼牙国の同盟国です。さらに敵の数は上乗せされるでしょう」
俺は忘れてはならないことを付け加えた。
「徴兵するわ。良いわね? 姉様、ユーヤ」
反論は受け付けないわよという顔でリリーシュが言う。
「仕方ないな」
兵はそれだけで維持費がかかる。
屯田兵ならともかく、自分で食べ物や商品を何も生産しないからだ。
だから、俺と内政長官のアンジェリカは強力なタッグを組んで、兵数を増やさないよう増やさないよう、これまで将軍リリーシュの要求を突っぱねてきた。
だが、いざ兵数が足りないとなると、これまた困ってしまう。
こればかりは相手があることだから、攻められる戦争は突然に始まってしまうこともある。
特に強い国なら周りもなかなか攻めてこないが、弱い国ならいつ攻められるか分かったものでは無い。
さらに乱世ならば戦争が戦争を呼ぶ。
戦が燃え上がる火の手のように周りの国までも巻き込んで拡大していく。
……分かってはいたんだけど。
内政が先じゃないと国も軍備も大きくできないんだよな。
「ええ。でも、兵は応募してくれる者だけにしましょう。老人や女子供まで入れたとしても、士気も体力も低いのでは役に立たないわ」
アンジェリカが優しさと現実主義者の両面を見せて言う。
「分かった。じゃ、今日中にそれで布告するわ。マカローニ大臣、装備と給金も含めて手続きをよろしく」
「は……」
くりんっとしたヒゲの貴族が渋い顔で返事をするが、この人、大臣だったのか。財務関係の大臣なんだろうけど、いつもはアンジェリカが全部仕切ってるから、本当に目立たないな。
たまにしか会議に姿を見せないし。
「しかし、我が国の財政も逼迫しております。募兵してもどれだけ兵が集まるやら……。この際、レッドドラゴンを差し出して、許してもらう、と言うわけには……」
「「「 ええ? 」」」
「それは認められぬぞ、マカローニ卿。レムは余がここに住むことを許可しているのだ。それにレッドドラゴンと正体を他の皆には明かしておらぬから、今は他の国民もレムを普通のラドニール国民の一員として見ておるだろう。
それを、都合が悪いからと言って簡単に棄てるとなれば、今後、他の国民が不安に駆られよう。
王は民を守らぬのか、と」
「ならば、正体を明かして……」
それをその場で聞いているレムが暗い顔で身を縮めたが、レムを悪者にするなら、もう黙っていられない。
俺とリリーシュが口を開こうとしたが、その前に国王が言った。
「ならぬ。余計な混乱を招くだけだ。仮にレッドドラゴンを差し出したとして、狼牙国が攻めてこないという保証など何も無い。
大した理由も無しに戦争をふっかけてくる国であるぞ?
そんな国に対して、卿は、『大臣の首一つで丸く収めてやるから寄越せ』と向こうが言ってきたら、それで納得して自分の首を差し出すのか?」
「それは……」
「マカローニ卿、交渉の使者として卿が出向きたいのであれば、余も許可しよう。ただし、余の見立てでは、卿は首から上だけしかこの国に戻って来られぬ」
「ご、ご冗談を! いえ、結構です止めておきます。レム殿も私の下半身も、我が国の大事な民ですからな!」
「もう、調子良いんだから。とにかく、そういう脅しがあったとしても、屈しちゃダメよ。心で負けていたら、勝てる勝負も勝てないわ」
リリーシュが良いことを言った。
「そうですね、やる前から負ける事ばかり考えていても勝てません。ここは勝利の方法を考えるとしましょう」
俺はニヤリと笑い、自信を持って言った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「お前は本当にバカだな」
後ろを歩くエマが俺に向かって言う。
きっと彼女は今、それはそれは冷たい仏頂面をしていることだろう。見ないでも声で分かる。
「いや、自覚はしてるんだから、追い打ちは止めてくれ。胸がこう……ちくちく痛むから」
「だが、先週のあの言葉、我がフィアンセも見所があると思ってしまった。私の胸のときめきをどうしてくれる」
「いやあ、誤解させたのは悪かったけど、俺は『じゃあ、みんなで考えよう!』って言っただけで、勝利の方法があるなんて一言も」
「それは詐欺師と言うのだぞ」
「うぐ」
「して、軍師殿、勝利の秘策はともかく、そろそろ具体的な方針を決めて頂かねば。すでにここはオルバ領内、敵と戦うかどうかすら迷われては話になりませぬぞ」
漆黒の鎧に身を包んだ老将ガルバスが言う。
ラドニールの宿敵、ミストラ王国の将軍だ。
彼がなぜ部下を率いて俺に従っているかは、ちょっと説明が必要だろう。
俺が聖法国に行っている間に、ミストラ王国では大規模な反乱が起きていた。
それも当然だ。
すでに食べ物も尽きて国民が草やネズミを食べていたところへ、ドラン国王が大増税と徴兵の同時発表を行ったのだ。
ゾンビを操っていたことも明るみとなり、恐怖と圧政で支配されていた国民もついにキレた。
国民が自ら立ち上がったのだ。
ま、俺があちこちで「みんなが食える国が良い国だ! 国王には国民を食べさせる責務がある!」と吹聴して回っていて、それがどうも行商を通じてミストラ王国内部まで浸透したらしい。
正直、難民が発生するから政権の崩壊って望ましいことでは無いのだけれど。
それは地球の歴史を見ても明らかだ。
そんな中、国境を越えてミストラの精強騎士団である黒騎士団が現れたとき、ラドニールには緊張が走った。
すわ復讐か、と。
だがしかし、黒騎士団を率いたガルバス将軍はラドニールへの亡命を求めたのだった。
理由は『いかに国王陛下のご命令とは言え、ミストラの民に向ける槍は持たぬ』ということ。
もう一つは、ラドニールの食料を少しでも減らし、ついでにミストラの負担を軽くしたいということだった。
この亡命が認められぬなら、騎士の死に場所は戦場であり、宿敵ラドニールと戦って華々しく散るのが騎士の本懐である――と。
まあ、それがどこまで本心かは分からない。
彼らはミストラ国民から体制側として恨まれていて追い出された面もあるだろう。
ガルバス本人が「民から厳しい取り立てをやって限界が来ていたのだ」と自分で言ったからな。
利害の対立は何も『国 vs 国』だけでは無い。
『貴族 vs 平民』『都市部 vs 田舎』『既得権益 vs 新規参入』『東地域 vs 西地域』『上流 vs 下流』『輸入 vs 輸出』『男 vs 女』『若者 vs 老人』など複数の対立軸が考えられる。
立場が違えば利害も違うのだ。
だから、ミストラ国王がいかにラドニールの暴虐非道さを説いたとしても、その説いている人物が非道であった場合、説得力を失う。
結局、人と人との関係は信頼が一番なのだ。
「同意したくないけど、ガルバス将軍の言う通りだわ。私達はいったいどこへ向かっているの? 城を離れてるだけでも危ないって言うのに」
リリーシュが心配顔で言うのも当然だ。
守るべき本拠地の防衛が将軍にとって最も大切だろう。
仮に俺達が運良く奇跡的にオルバの大聖堂や狼牙城を占拠できたとしても、ラドニール城が占領され落ちてしまえば負け同然である。
引き分けだろうがなんだろうが、それは最善の勝利では無いのだ。
「だが、今回はどうしたって籠城は最悪手だよ。ラドニール城は外堀すら無いんだからね」
城で籠もって戦っても、大軍が相手だとどうにもならない。
大軍――。
これまでの戦いとはそこが決定的に違う。
四倍以上の兵力なら、力押しでやられてしまう。
例えばはしごを一斉に城壁に引っかけて四方から乗り込むだけでも、どこかは侵入に成功してしまうだろう。
一度城門が開けられてしまったら、もうそれまでだ。
城の中は狭い場所ということで地形効果も少しは期待できるが、それだって時間の問題だ。
少数の軍隊が、多数の軍隊を破る方法はただ一つ――。
織田信長が今川軍相手にやってのけた桶狭間、奇襲だ。
打って出るしかない。
……ただ、今どこに狼牙国の本隊がいるかなんて俺も知らないし?
「だから、とにかく敵の本隊を探そう。それ以外は逃げで」
「本隊が分かりやすい旗でも掲げてくれてたら良いけど」
リリーシュが言うが、え? 本隊ってそれっぽい旗を掲げるのが決まりみたいなものじゃないの!?
「申し上げますッ! 街道一キロ先に敵影!」
俺が動揺したとき、不幸な一報がもたらされた。