第十七話 大司母
大聖堂の屋上に出た。
そこから先は建物が別棟となっており、向こう側に同じ高さの聖堂が建っている。
その建物と建物の間の中央に一本の橋が真っ直ぐに伸びて渡っており、これは空中歩廊ってヤツだな。
ジャンヌは『真徒の道』と呼んでいたが。
手すりが無かったら俺は怖くて渡れないところだったが、ちゃんと横風が吹いても落っこちないように横壁が設置してある。
ただ……
「あー、無理無理無理、見えちゃう、見えちゃう」
近寄ってみたが、大聖堂の下の地面が橋の上からでも見下ろせる。
恐っ。
「ふふっ、勇者様は高いところが苦手ですか? 可愛い御方ですね」
ジャンヌが笑ってからかうが、何で俺が勇者に選ばれたんだろうね?
「情けないぞ、ユーヤ。落ちないからさっさと歩け。さあさあ」
先程から不機嫌なエマが後ろから押してくるし。
「ちょっ、おまっ、や、止めろ、押すな!」
「お待ち下さい。この道は高いところが苦手な人でも渡る方法が用意されています。さ、私の手を握って、目を閉じて下さい、ユーヤ様」
ジャンヌがそう言うので、彼女の手を握り、目を閉じた。
「では、ちょっとここで回りましょう。私が良いと言うまでは目を開かないで下さいね」
何かのおまじないか、それとも魔術なのか、ジャンヌが俺を連れて小さく一周する。
「次は真っ直ぐです。こちらへ」
彼女に手を引かれ、そちらの方向へ歩いて行く。
「あら、へえ。ユーヤ、恐くないの?」
リリーシュがそう聞くからには、橋の上にさしかかったようだ。
「んん? もう橋の上なのか?」
「そうよ。目を閉じてる方が歩けるって不思議ねえ」
「人は、自分の目に見える物がすべてだと思ってしまいがちです。ですが、神のお導きは心の内にこそあります」
歩きながらジャンヌが言う。
「理性ではユーヤ様も落ちないと分かっていらっしゃる。しかし人はそれだけでは動けません。信仰という心の平静があってこそ、人は理性を保ち、人生を真っ直ぐに歩けるのです」
「な、なるほど」
「へー」
「フン」
ここは道理に適った説法をやるための『仕掛け』だな。
この説法のためにここまで高い建物を作ったわけではないだろうが、この歩廊に限れば計算して作られたもののはずだ。
「ありがたや、ありがたや」
「ちょ、ちょっとユーヤ、これくらいのことで聖法国の国民になるとか、言わないでよ?」
ジャンヌを安心させるための演技だったわけだが、リリーシュの方がすっかり心配してしまったようだ。
「言わないよ。こんなことで簡単に人を入信させられるなら、『聖女』なんてものは必要ないはずだ」
俺は指摘する。
目に見える奇跡こそ、人の理性を揺さぶれる。
たった七年で大勢の信徒を抱え、ここまでの大神殿を建てたのだ。
その奇跡――あるいはトリック――は相当な物だろう。
もっとも、それはコロッと落ちるほどに、人心が乱れている時代や世界という裏返しなのだが。
宗教は心の救済であると同時に、心につけいる商売だ――と、俺は思う。
「そうですね。聖女の奇跡の力が神を信じるきっかけになったという方が大多数です」
ジャンヌもそれは否定しなかった。
「では、ユーヤ様、もう目を開けられて大丈夫ですよ。この中が『奥の祭壇』です。マザー・ナサリーがお待ちですよ」
目を開けると、正面にバラの彫刻が施された白い扉がゆっくりと開いていくのがちょうど見えた。
内部はやや薄暗く、大きな松明が四方に配置されて焚かれているようだ。
微かにお香の匂いがする。
「レム、もし、俺達が変になってると思ったら、構わずここから引っ張り出してくれ」
「分かった!」
レッドドラゴンなら、何か幻覚剤や催眠剤のような物が仕込んであったとしてもへっちゃらだろう。
『奥の祭壇』の中央、天窓から差し込む白い光によって作り出された二重円が、神々しく床に浮き上がっている。
至高神ファルバスのシンボルマークだ。
神がおわす間、だな。
「マザー・ナサリー、勇者様御一行をお連れしました」
中に入ってジャンヌが奥にいる人物に向かって声を掛けた。
「うむ、ご苦労」
巨大な神の彫像の前で、こちらに背を向け跪いて祈りを捧げていた小柄な老婆がゆっくりと立ち上がる。
意外にもその着衣は白色では無く、紫色のローブだ。
「よっこらしょ……」
少しよろめいて危ないと思ったので、駆け寄って手を貸す。
「おお、すまないねぇ」
「いえ」
「ユーヤ! 迂闊に近づくな。弓兵や護衛兵がいると殺されてしまうところだったぞ」
エマが鋭い声で言うが、おっと……相手はVIP、そう言うこともあり得るよね!
慌てて周りを見回したが、護衛の騎士はいない様子だ。
俺達の他に人影は見えない。……ふう。
「ほっほっ、ここにいるのはタダの老いぼれ、そんなご大層な護衛はおらんから心配無用じゃ」
しわくちゃの笑みだが、一癖有りそうなおばあさんだ。
「私としては、護衛をおつけしたいのですが」
ジャンヌが苦笑交じりで言う。
「そんな暇がある者がいたら、畑の耕しでもやらせるんだね、シスター・ジャンヌ。天命が尽きるまでは、ワシはそう簡単にくたばりゃしないよ」
「そう願っております」
「さてと、こっちの自己紹介は済んだ。次はそっちの番だよ。勇者の他にも自己紹介してもらった方が良さそうな感じだね。アンタ達も、タダのお付きなんかじゃないだろう?」
マザー・ナサリーはこちらを見て言った。
まだ自己紹介してもらっていない気がするが……ああ『タダの老いぼれ』さんですか。徹底してるなあ。
「あ、ラドニール王国の第二王女、リリーシュ=メリグ=マケドーシュと申します。お初にお目にかかります」
リリーシュも一瞬戸惑ったようだが、すぐに片膝を突いて挨拶した。
「およし、王女様ともあろう御方がそこまですることはないやね。非礼を承知で言うが、この歳になると膝を曲げるのも一苦労でねえ」
「いえ、お気遣い無く。無礼講で…あっと」
大司母と王女、どちらが格上か難しいところだが、少なくとも目上の人に向かって「無礼講で行きましょうぜウェーイ!」なんて言っちゃダメだしな。
「王女様が無礼講と言われるんだ、それでいいね、シスター・ジャンヌ」
大司母の方が気を遣って言ってくれた。
「はい、大司母様のご随意に」
「ふん、昔はねぇ、ジャンヌも『ババ様ババ様』と可愛かったもんだが、頭の切れすぎる子は良くないね、下手な知恵を付けてこんな王宮みたいな神殿まで作っちまった。立派なのはいいけどね、ファルバス神は貢ぎ物を寄越せという神様じゃないんだよ」
「え、ええ、それは、あくまで信徒たちが望んだ格式というか、信徒獲得のためのご威光や、対外政策などもありますから……とにかく、エマさん、先に自己紹介を」
ジャンヌもババ様には頭が上がらない様子で逃げを打った。
「南東は、ドーアハイド山脈の竜人族、頭領ダーンの娘、エマである。以上」
これを他国の王城でやったら、無礼者!と臣下が怒り出しそうなものだが、実に素っ気ない。
「ほう、ラドニールが竜人族と同盟を組んだとは聞いておるが、頭領の娘が同行とは固い同盟のようじゃ。いつぞやはうちの若いもんがそちらで粗相をしたようで申し訳なかったね」
「いえ…」
「そちらの金髪の子も、名のある御方と見たが?」
「い、いえそんな、私はラドニール王国の侯爵家の出ではありますが、今は勇者様の小姓を務めております、ローク=フォン=ジグムントでございます」
「ふむ、侯爵の子を小姓に据えるとは、よほどの厚遇、これはオルバに迎え入れるのはちと難しそうじゃの。さて、最後にそこのレッドドラゴンじゃが」
「「「えっ!」」」
ババ様がレムの正体を見破っているので、俺もリリーシュも少し驚いてしまった。ジャンヌも一緒に驚きの声を上げたので、彼女も気づいていなかったようだ。
「オレ様はレムだ! ラドニール城は角部屋ー!」
えっへんとばかりにレムが無い胸を張る。見た目はコギャル幼女。
どうでもいいけど、何々部屋~って相撲みたいだな。エマの名乗りを真似て言ったみたいだが、レムは今お城の角部屋に住んでいる。
「おやおや、人里に住んでいるのかい? 何か契約でもしたのかの?」
「うんにゃ。ヒマだったから」
「えええ?」
その答えに驚いたのはジャンヌだけだ。
「あっはっはっ、そうかえ、ヒマだったかえ。今はどうかの?」
「んふー、今はとっても楽しいよ!」
「それは良かった。では、勇者ユーヤよ」
「はい、僕は日本から――」
日本から来たと言おうとしたら、ババ様が頷いて手をかざして制止した。
「良い。おぬしがこの大陸では無い場所から来たというのはワシも知っておる。その故郷の名を聞いても、ワシにはとんと分からんからね。挨拶はこのくらいでいいだろう。――それよりも、ここに来てもらったのは他でもない、ご神託、神のお告げを勇者に伝えるためじゃ」




