第九話 悪い報せ
錬金術の許可はアンジェリカが立派な許可証付きで出してくれ、宮廷魔術士であるクロフォード先生の工房も使って良いとのことだった。
ラドニール王国の上層部も、どうやらクラウス先生がタダの医者では無いということをすぐに見抜いたらしい。
ま、諸国を旅して錬金術もやっているとなれば、目を付けない方がおかしいよな。
ますますラドニールに欲しい人材となったが、彼は今までどこの国にも所属していなかったのだから、下手に誘っても断られるだけだろう。
今は弟子入りした俺達に色々と教えてもらいながら、あわよくば、お色気担当のエイアが先生のハートを射貫いて捕まえてくれればというところか。
「やあ、これほど高純度の蒸留酒が使えるとはありがたい」
クラウス先生が工房でアルコールの入った瓶に蓋をしながらにこやかに言う。
さきほどこの人は、蓋を開けたアルコール瓶にいきなり炎の魔法を唱えて火を付けるという危険な事をやってくれたので俺やロークは顔が引きつっているのだが。
ひょっとしてマッドな御方なのかな……。
もちろん青い炎が上がった後、クラウス先生は自分の手でさっと瓶に蓋をして酸素を断ち、きちんと火を消した。
高笑いや危ない目はしてないので、ひとまず大丈夫のようだ。
「必要な物があれば何でも仰って下され」
クロフォード先生もにこやかに応じた。こちらも怒ってないようなので一安心だ。
この工房は棚に綺麗に整頓されており、俺がイメージしていた錬金術師の工房とはかなり違っていて、理科準備室といった趣だ。
「ではさっそくお言葉に甘えますが、クロフォード卿はゴムの開発も行っておられますかな?」
「ふむ、木の樹脂で、伸びたり縮んだりするアレですか」
「ええ、アレです」
「研究はしているのだが、なかなか上手く行かなくてね。行商人から仕入れた物が有るのでおわけしよう」
「ありがとうございます。アレがもっと手に入りやすければ良いのですが」
「まったくですな」
ゴムは貴重品か。メモっておこう。
あ、ミツリン商会に頼んで……いやいや、どうせ高値だろうしな。そんな物を買うお金が無い。
それにしても……もうあれから二ヶ月近く経つというのに、もう一人の大商人、バッグス船長が戻ってこない。
詐欺られた……とは思いたくないのだが。
ロークが呼んでくれた商人だものね。
ま、どうせ、あぶく銭だったから、使用目的と状況を考えれば後悔は無いのだ。しくしく。
「ユーヤ様、バッグス船長の使いの者が参っておりますが」
兵がやって来て告げたので、俺は思わず跳び上がって喜んだ。
「おお、ようやくか! 申し訳ありません、クラウス先生、私は急用ができたので」
「ああ、構わんよ」
「では失礼します」
医者志望の青年ラテスとお色気ナース・エイアが付いてくれてくれれば後は大丈夫だろう。
俺とロークは急いで地下室の工房を出た。
「こちらです」
城の一階の応接室に兵士の案内で向かう。
「いやあ、なかなか帰ってこないから、俺はしてやられたかと思ったよ」
「僕もです。紹介した手前、ユーヤ様になんとお詫びしたら良いかと考えていたので」
ロークも気を揉んでいたようだ。二人で笑う。
「お米、あるといいなあ」
「あるといいですね! 僕もユーヤ様の故郷にあるという物を、ぜひ食べてみたいです」
軽い足取りで応接室のドアをノックし、俺はくるりとターンして中に入る。
「待たせたな! 船長の使いよ」
「も、申し訳ございやせん!」
ぬ?
なぜに、謝る?
それに、バッグス本人では無いというのも引っかかるんだよなあ。
そこにいるのは、海賊の子分みたいな、裸布チョッキを着た男で、最初から土下座している。
不吉だ。
「何があったのか、事情を聞かせてもらえますね?」
ロークが言う。
「ええ、もちろん。それが、あっしらは前金を受け取った翌日にはすぐに港町ヴェネトへ向かい、船で東へ向かったんでさぁ」
「東へ? それだと行ける場所も少なく、遠いのでは?」
ロークが怪訝な顔で言う。俺がこの城の図書室で見た地図では、東の海にはデカいタコやらイカが描かれていて、まあ、要は危険な怪物がいて、その先に何があるのかは、みんな良く知らないらしい。
「ええ、ですが、親分――失礼、バッグス船長は『大商会ミツリンと同じ商品を並べちゃ勝負にならねえ! 客はレッドドラゴンも片付けた勇者様だ! ここはオンリーワンの品で一発デカく勝負してオレ様の顔を覚えてもらう! ミツリンとタイマンだからな、野郎共、気合いを入れろよ!』と張り切ってまして」
「うーん、そうですか、いや、普通に種をいくつか持って帰ってもらえれば良かったんですがね……そうかぁ、デカく一発勝負しちゃったか……」
俺は尻すぼみの声で言うが、それでもバッグス船長の判断は正しい。もし、ミツリン商会と同じ商品で分量が少なかったら、次からミツリン商会だけでいいやと思うはずだ。
ましてやミツリン商会以下の品揃えだったら、ますますバッグスとの取引は遠のくことだろう。
これは下手に競争みたいな形にしない方が良かったかも。
「それで結果は……怪物にやられて、沈没ですか?」
やめて! ローク、それ以上はハッキリ聞かないで!
「いやいや、お客さん、うちの商会は怪物に襲われた程度でやられるような柔なヤツは一人もいませんぜ。まあ、勝てるとも言いませんがね、とにかく行きは上手く、化け物共を避けて順調に行ってたんでさぁ」
子分の話では、ついに未知の国を発見し、そこで珍しい種を手に入れたという。
「親分も上機嫌で酒を飲みつつ、帰路を急いでたんですが……まっすぐ進んで急ぎすぎたのが良くなかったんでさぁ。奴らに見つかっちまった」
「奴ら? クラーケンのことですか」
「いや、海賊です」
「ああ……ちょうどヴェネトの真東に、フィヨード王国という小さめの島国があるんです」
ロークが俺のために説明してくれた。
フィヨードは海賊を生業とする国で、牛角を生やした鉄兜を被り、衝角船という戦闘用の船を用いて相手の船にぶつけては飛び乗り、通行料を奪っていくそうだ。
名前が知られているのにこの国の地図に載っていないのは、何代か前の王様が海賊に手酷くやられて腹いせに、地図から抹消したんだそうな。
まったく、地図を書き換えるなんて、暗君もいいところだ。
それじゃ何も解決しないってのに。
その王様も、最初はヴェネトと契約して、宿敵ミストラを飛び越して北の国々と海上交易を行おうとしていたようだ。
ま、発想は良くても怪物や海賊がいるんじゃあ仕方ない。
ゆくゆくはヴェネトを支配下に置いて大型帆船を開発し、大航海時代で売って買って売って買ってウハウハしてやろうと思ってた俺様の野望が……ん?
「ローク、その海上交易の話ってひょっとして三代目勇者の頃の話じゃないのか?」
「ええ、その通りです。その計画は勇者が発案者だったという記録がありました」
ロークも勇者の小姓となるために、色々と事前に調べていたようで、やっぱり頼りになるな。
そして、俺は一つの大事な教訓を得ることができた。
ここでは現代知識の発想は通用しない。
時代的には地球の中世にそっくりな国なのだが、なまじ史実を知っているとかえって足を掬われそうだ。
魔法やモンスターという特殊な要素が絡んでおり、地球とは違うという大前提を忘れると危ない。
だが、俺が四代目勇者で良かったぜ。
少なくとも、先輩勇者の失敗や成功について教訓を得られるから、同じ失敗は避ける事が可能だ。
セーブロードやリセットボタンが無くとも、選択肢にヒントは付いているのだ。
まあ、その選択肢が常に見えるってわけでも無いけれど。
「よしっ! ローク、史書と指南書を読みに図書室に行こう。この世界で名君と呼ばれた王達がどんな政策をやったか、片っ端から調べるぞ!」
「はいっ、分かりました!」
俺とロークが心機一転、やる気を出して走り出そうとしたが、バッグスの子分が止めた。
「待ってくだせえ、話はまだこれからなんでさぁ。どうか、船長の身代金、用意してもらえませんか」
などと言い出した。