第十八話 将の違い
(視点が別人に変わります)
「ガルバス将軍! あそこに人がいます!」
部下の騎兵が叫んで空を指差した。
「なに? 人が?」
ガルバスがそちらを見たが、雲一つ無い青空が広がっているだけだった。
「何も見えぬが?」
ミストラ王国において、この人有りと謳われる老将のガルバスだ。
すでに齢七十の下り坂にさしかかりながらも、まだまだかくしゃくとしており普通の者より視力がずば抜けている。その視力たるや、三キロ先にいる人間の表情を細かに見分けるほどだ。
彼に見えないのなら、そこには本当に何も無いのだ。
ガルバスは秘密にしているが、これも彼の持つ能力の一端である。
「申し訳ありません、たった今、降りていきました。数は二人、一人は翼があって、竜人族のように見えましたが」
「竜人族か。ならば、気にすることは無い。連中も食べ物が無くて、遠出して狩りでもしているのだろう」
「はっ」
それにしても、とガルバスはため息をつく。
この戦、自分がもっと陛下をお支えしていれば、避けられたやも知れぬ。
種まきの農繁期が終わってしまい、開戦に反対する理由に乏しかったのも、運が悪かった。
まだ若き王は、若きゆえに血気盛んで、戦で消耗する糧食についてあまりお考えになっていないご様子だ。
農夫や奴隷兵も徴兵して軍を増強しているが、それだけ民の方は人手が足りなくなって、収穫に時間が掛かることになる。
結果、軍隊も糧食の確保に不安を抱えることになる。
自分は武官であり、内政に口を出すのは分が過ぎるというものだが、しかし、長年の経験から、生産力を超える兵員数を抱え込むのは後々苦労するのをよく知っている。
ドラン三世陛下は威光を配下に示すため、手柄に逸っておられるようでもあったが、しかし、今のミストラ王国で王家に逆らう者などいるはずもない。
反逆者はことごとく苛烈な処罰を受け、王家の血筋の者ですら、それは例外では無かったのだ。
だからこそ、今は戦を控え、大飢饉を乗り切るべきではなかったか。
「だが、すでに戦は始まった。ここは忠義を尽くし、領土を広げ、畑を確保するとしよう」
国王より畑も焼き払えと命令は受けているが、何もすべての畑を焼き払えと言うのではあるまい。
にっくきラドニールにはすでに仕返しした。見せしめにもなった。それで良かろう。
砦もすでに一つ落としている。もぬけの殻の無人ではあったが。
「将軍、ラドニール城までの街道に敵影はありません。どうやら、すべてラドニール城で籠城しているようです」
放っていた斥候が戻ってきて報告する。
「ふむ、ま、道理よな。こちらは兵数で倍も上回っておる。獣人族を籠城で破ったからには、慎重で臆病なマケドーシュが撃って出てくるはずも無い」
ガルバスは十年前の戦を思い出す。あの時もラドニール軍は野戦で一度敗れた後、早々に城に引き上げ籠城で凌いできた。
前回は攻めきれなかったが、今回はその教訓をもとに攻城兵器の数をそろえている。
ただ一つ……守備兵をほとんど残してこなかったのが気にかかる。自国の城、ミストラ城の守りが手薄なのだ。だが攻めてくる国は無いだろう。
東は海で海賊のいる島があるが、連中は商船を襲うくらいで上陸はしてこない。
北は小人族で彼らはひ弱だ。おかしな魔法を使うからこちらから攻めるには難しいが、奴らは草むらでしか魔法が使えない。
西はドワーフ族が住み、装備も良い彼らは厄介だが、彼らに領土的な野心は無い。
だから、ここでラドニール王国を併合できれば、ミストラ王国は安泰だ。
「国境の砦もすでに落とした! これは勝ち戦である! 後方の歩兵部隊と攻城兵器部隊にそれぞれ伝えよ! 街道に敵影は無し。速やかに前進せよ、と!」
歴戦のガルバス将軍は、わずかに残っていた心の迷いを自ら払うべく、威風堂々と命令を発したのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
街道の後方、二千の歩兵部隊を率いる将軍の名はワイローと言う。痩せぎすで鎧も着ていない彼は戦場にあっても絹服姿だ。
ガルバス将軍の伝令を聞くなり、彼は苦々しく愚痴った。
「ガルバス将軍は経験豊富で恐い物知らずだからいいが、こっちは初陣だぞ? できれば先に敵を片付けて、あっさり勝利してくれないものかねえ」
「はあ、将軍、そう伝えて参りましょうか?」
「ば、馬鹿者! 今のは冗談、タダの独り言だ。直ちに了解したとだけ伝えておけ」
「はっ!」
ワイローは出陣などしたくもなかったのだが、役職で将軍職に就いていたため、歩兵隊を任されてしまった。後方の糧食部隊を希望したのだが、国王からやれと言われれば仕方ない。
「やれやれ、こんなことなら、文官で出世すれば良かったな」
ミストラ王国は根っからの軍事国家であり、だからこそ軍人の方が威張れる。給料も良いし、領地も良い土地が優先的にもらえる。
だが、剣の腕はからきしのワイローは、賄賂とおべっかでのし上がった人物であったので、戦争は大嫌いな平和主義者なのだ。
「行軍はもっとゆっくりでいいぞ、隊長、速度を落とせ」
「しかし、ガルバス将軍は先程――」
「黙らっしゃい! この部隊を率いているのは私だぞ? お前は直属の上司の命令にただ従っていれば良いんだ。余計な頭を使うな」
「し、失礼しました。では、速度を落とします」
「そうそう、それでいいんだよ」
ワイローは満足げに頷き、馬車に引っ込んだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
森の影からワイローの歩兵部隊を窺っていたリリーシュは自分の親指の爪を噛んだ。
「ああもう、トロいわねえ、この部隊。早く行けっての!」
「姫様、お下がりを。敵に見つかっては大変ですぞ?」
王族が自ら斥候など、前代未聞である。いくら剣の腕が優れているとはいえ、配下も気が気では無かった。
自重してくれない上司ほど恐ろしい物は無い。
「ここでは姫じゃなくて将軍と呼びなさい」
「はあ、では将軍、ここはもう一気に攻城兵器部隊を襲ってはいかがかと」
「うーん、でもユーヤもあれが一番ヤバイって言ってたし、あれだけは確実に仕留めてくれって頼まれてるのよね……。
『奇襲は大軍に仕掛けちゃダメ』とも言ってたし。もう少し、歩兵隊が離れるのを待ちましょう。まだ時間はあるわ」
「はっ」
リリーシュが率いる騎馬隊二百は、ミストラ軍侵攻の一報が入るとすぐに城を出立し、森に隠れ潜んでいた。
伏兵だ。
後方から来るであろう攻城兵器を襲うのが第一目的である。
攻城兵器は大型で重量もあるため、移動速度は遅い。小回りも利かないから、丈夫な造りであろうと軍の先頭で来ることはまずない。
木造ならなおさらだ。
ユーヤはそう言っていた。
逆に戦車は先頭で来るんだけどね……とも言っていたが、戦車が何かはリリーシュも知らない。
とにかく戦車は絶対に無いとのことだったので、敵の騎馬隊はかなり離れてやり過ごし、こうして後方部隊を狙っている。
敵の斥候に見つかって逃げ回るのは大変だろうと覚悟していたが、今のところは見つかっていない。
愛馬のところまで下がったリリーシュは、シッポを振って近づいてきた白い毛の馬を撫でた。
「もう少し、我慢してね、メリー。敵に突っ込んだあとは、そのくつわをすぐ外してあげるから」
ブフッと鼻を鳴らして返事をしたメリーはすべて理解しているようで、大人しい。頭が良いのだ。
「ふふっ、良い子ね。伏兵の訓練、事前におさらいしておいて良かったわ。うるさい子もいたし」
馬の中には布のくつわをどうしても嫌がったり、静かにしろと言っても理解しない子がいて、そういう子はこの作戦からは外し入れ替えている。
「でも、ユーヤはヴェネトに出発する前に伏兵の練習をしておいてって言ったけど、まさか初めからこの作戦で行くつもりだったのかしら?」
リリーシュは少し不思議に思ったが、ユーヤは作戦の幅を広げるためにそう言っただけだ。その時には攻城兵器の存在を知っていたわけでは無かった。
「あっ! ひょっとしたら【予知】のスキルかも? だとしたら無敵ね!」
勇者の才能を色々と想像して楽しんでいるリリーシュが、後で猛烈にガッカリしたのは言うまでも無い。
「将軍! 攻城兵器部隊が見えました!」
「すぐ行く! 隊長全員に、馬に乗り攻撃準備するよう伝えよ!」
「はっ!」
愛馬にまたがったリリーシュは鋭く前方を睨んだ。
空は雲一つ無い快晴。
一歩でもこの森から外に出たならば、彼女の視界を遮るものなど何も無い。
それは、敵からも丸見えになることを意味していた。