第十七話 ミストラ王国軍
大陸歴527年6月3日。
俺がヴェネトから戻って二日後、『ミストラ王国』の軍がラドニールに向け進軍を開始したとの報せが入った。
その一報を聞き、第一王女アンジェリカの執務室では、国王と重臣達が中央の大きな机を囲んで、目の前に広げられた地図を睨みつけていた。
「いよいよ、来たか……」
国王の声は元気が無い。
それも当然だろう。兵力が多い相手から連続で攻められ、城の糧食庫にある麦袋も残り少ない。たとえこの戦に勝ったとしても、次はどこの国が攻めてくるかも分からないのだ。
乱世では戦争が戦争を呼ぶ。
こいつは弱そうだと見られてしまえば、すぐに襲いかかられる。
いじめられっ子ならぬ、いじめられっ国だ。
それは自然界の弱肉強食と同じであり、力こそすべてなのだ。
「はい。ですがこちらにはユーヤ様の策があります」
アンジェリカがそんな風に言うので俺は慌てて言った。
「い、いえ、アンジェリカ様、私の提案はその方がいいんじゃないかなーと思っただけで、素人の意見です。切り札みたいに考えられてしまうと……」
「いいえ、タダの素人がそんな巧妙な戦術を思いつけるとはとても信じられません。勇者なればこそ、ですね」
上品な笑顔で、にっこりと。
「あの、過信されても上手く行くとは限りません。戦術に穴があるとまずいので、よく考えて頂きたいのですが……」
勇者というキーワードに目がくらんでいるのではと心配になって俺は言っておく。
「穴などはあるまい。理に適った戦法じゃ。しかもこれならば相手の意表も突けるであろう」
老魔術士クロフォードが言う。十年前の戦で指揮を執ったというベテランの人がそう言ってくれるなら少しは安心だ。
「しかし、剣もろくに扱えぬお前が、どうしてそんなに戦に詳しいのだ?」
竜人族のエマが疑問に思ったようだ。
「ああ、戦略シミュレーションゲーム、俺の世界には割とリアルな駒遊びがあってね」
「駒遊びか。なるほどな」
コンピューターや3D映像なんてどう説明したものかと考えつつ俺は言ったが、エマはあっさりと納得してしまった。
「駒遊びですと!? いやいや、さすがにそれは。陛下、作戦のお考え直しを」
くりんっとしたヒゲの大臣は逆に不安になったようだ。
「マカローニよ、他に良い案があるのか?」
「いえ……、ですが陛下! 駒遊びと本物の戦争は違いますぞ?」
「だが、頭の使い方は同じだ。我らが頭領も駒遊びが上手い。一族では戦も負け知らずだ」
エマが言った。
「それはたまたま……だいたい、なぜ、竜人族のよそ者がここにいるのですか!」
「エマ殿は勇者殿の婚約者、それに協力者でもある。余が許可したのだ」
国王が婚約者と言ったときにエマの頬がぴくっと引きつったけど、否定はしなかった。まあ、自分でそう申告したからな。
「竜人族など、本当に信用できるのですかな」
「それはこれから分かるであろう。少なくとも我らの敵では無いことはハッキリしておる。いかがかな、エマ殿?」
「ええ、敵ではありません。陛下には厳しい食糧事情の中で我らに干し肉を送って頂きました。竜人族には、礼には礼で返せということわざがあります」
「ううむ、ふう、分かり申した」
大臣が渋々引き下がった。エマにはこの戦のすべてを見ておいてもらいたいから、まあ、そこは大目に見て欲しい。
「姫様は、大丈夫でしょうか……」
ロークが不安げな顔で、この場にいないリリーシュを気にした。
「平気ですよ、ローク。リリーはこの国で一番の剣の使い手ですからね。自慢の妹です」
アンジェリカが微笑む。リリーシュを見送るときはアンジェリカも心配そうにしていたので、本心ではやきもきしているのだろうが、士気もあるからな。
皆の前では気丈に振る舞うのが彼女の立場であり役目だ。
「はい、そうでした」
ロークもそれを聞いてすぐに笑顔になる。
だが、その笑顔が完全に消える報告が入った。
「申し上げます! 国境付近の村がミストラ軍によって焼き払われました! 畑も荒らされているようです!」
「なんだと!」
「うぬう、奴らめ、非道なことを」
「自分達が主張している領土だというのに、燃やしてしまうなんて……」
アンジェリカが両手を胸の前で合わせて、握りしめる。
「あ奴らにとって、余に忠誠を誓う民は邪魔な敵としか思っておらぬのだろう。しかし、畑まで荒らすとは」
国王が眉間に深いしわを寄せ、理解できぬというように首を横に振ったが、これは単なる見せしめや憎悪ではなく、相手の食料を減らすための戦略的な焦土作戦かもしれない。
ただ、占領後を考えるなら、やはり疑問手だ。
「ちょっと、様子を見てきます。エマ、付いてきてくれ」
「いいだろう」
俺はエマと共に執務室を出ようとしたが国王が後ろから言う。
「勇者殿、危険だぞ?」
「承知しています。空から様子を見るだけなので」
羽のある竜人族のエマにお姫様だっこしてもらえば、敵兵に囲まれずに偵察できるはずだ。
「お気を付けて」
アンジェリカが心配そうな顔をして祈りのポーズで見送ってくれたが、彼女にはあんな顔、させたくないもんだな。
それに、直情的なリリーシュも心配だ。
村が焼き払われたと聞いて、怒りで彼女が勝手な行動を取らなきゃいいが――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「まったく、馬にも乗れぬのに、何が『ちょっと様子を見てくる』だ」
エマが文句を言う。
二人とも馬にまたがり、俺はエマに後ろから抱きついている格好だ。竜人族も人一人を抱えて長時間羽ばたくのは疲れるようで、今は馬で国境へ向かっている。ま、敵が近くにいるところだけ、お姫様だっこでいいだろう。
「ごめんよごめんよ。でもエマ、君も戦況は気になるでしょ?」
形だけの婚約者だから、彼女に得することが無ければ俺の言うことなど聞くわけがない。彼女は人間を下に見る誇り高き竜人族なのだ。
「まあな。頭領からも、ラドニールとその周辺を見てくるように仰せつかった」
「じゃ、ラドニールの戦い方をしかと目に焼き付けてくれ。いや、人間の戦い方を、かな」
「ふん、お前達に見るべきものがあるとは思えぬがな」
「期待外れだったら謝るけど、頭領に駒遊びで勝つヒントが見つかるかもよ?」
「なに? まあ、見るだけは見てやるが」
見える、と言うことはとても重要なことだ。
弱冠12歳で軍隊に入ったプロシアの軍学者クラウゼヴィッツは『戦場の霧』と言って、戦争の不確実性について説いている。
これは単に視界だけのことではなく、情報が錯綜したりして、めまぐるしく動く戦場では『何が起こるか分からない』ことを述べたものだ。
途中の街で一泊し、国境が近づいてきたのでここからはエマに時々空を飛んでもらい、斥候しながら慎重に進む。
「いたぞ。ミストラ軍だ」
飛んでいたエマが降りてきて言う。
「陣容は? 騎馬隊だけだった? 攻城兵器は見える? 数は?」
「自分の目で見ろ」
エマが俺を抱きかかえ、再び飛んでくれた。
すぐに地面が遠ざかり、下の木が小さくなっていく。
「うう、高っ! 恐っ!」
「勇者が聞いて呆れるな。そ、そんなにしがみつくな。ほら、向こうだ」
エマが指差したが、街道に沿って行軍している騎馬隊の一団が見えた。綺麗な四列で並んでおり、それが二十騎ごとのひとかたまりの単位で隊列を組んでいる。
そのため数は簡単に数えることができた。二十騎がちょうど二十部隊で、騎兵四百。
ラドニールの騎馬隊は二百騎しかいないので、ちょうど二倍の兵力だな。
その部隊はすべて漆黒の鎧で統一され、馬にも鎧を着せているようだ。もう見た目からして強そう。
「うええ、しかも、練度が高そうだなぁ……」
「確かに、良く訓練されているようだ」
だが幸い、向こうの軍は、騎兵と歩兵が別れて進軍しているようだ。
歩みの早い騎兵だけで先行し、街道の安全を確保しておこうという感じかな。
その向こうにいくつも煙が立ち登っていたが、あれは燃やされた村の家だろう。
「エマ、ありがとう、もういいよ。降りたらここを迂回して村を目指そう」
消火活動を手伝えるかもしれない。それに連中に見つかったら困る。
「分かった」