第七話 衣食住
親方に活版印刷セットを発注して二週間後――。
もうできあがったと言うのでレムと一緒に製品を受け取りに行った。
完成が早すぎると俺は思ったのだが、ドワーフの若い衆がその場で寝転がってダウンしており、また徹夜の突貫作業をやったようだ。さすがに俺も心配して、親方にブラックにならないようにと職人の労働条件にも口を出し、釘を刺しておいた。
やっぱり職場と商売は持続可能じゃないとね!
それから馬車のサスペンションを作ってもらった時と同じく、ライセンス生産としてこの『活版印刷セット』も鉄血ギルドでの販売を許可することにした。
これをやると周辺国の知的水準が劇的に上がってしまい、ラドニールの優位性をも捨ててしまいそうだが、それでも周辺国が『バカばっかり』よりは『まとも』な国の方がいい。特許料ももらうので、こちらも儲かる悪くない話だ。
何より、本はたくさん種類が有った方がいい。
さて、俺は軍師として取り組むべき次の課題を考えた。
国を発展させる上で何が必要か?
科学技術、経済、制度改革、司法、人事、官僚制、表現の自由、エトセトラ、エトセトラ……様々なものがある。
だが、俺が何でもかんでもできるわけじゃないし、それは次に呼ばれる予定の『五代目勇者様』に期待して任せるとしよう。
だから今、俺が取り組むべき課題は、なるべく緊急度の高いものにすべきだ。
活版印刷の緊急度は疑問だったが、まぁ俺の緊急度が高かったから、そこは大目に見て欲しい。
軍事や防衛も国が滅べば大変なことになってしまうから、おそろかにすることはできない。
だが、包囲網同盟の結成と、近隣諸国の軍事バランス、ここまでの軍師ユーヤとしての用兵の自信、ラドニール王国の軍事的な人材、その他諸々を総合的に考えて、今はそれほど心配することでもなさそうだ。
もしもカルデア王国がレオンハート帝国にこのまま浸食され、あるいは、エルフ王国が奇襲の遠征を仕掛けてきたら問題があるが、いくらエルフと言えども、ドーアハイド山脈を易々と突破はできないはずだ。
問題は、東側のルート。海上やフェアリーの国を通って、ミストラ王国を突破してきた場合が問題だが、これも、フェアリーの国やミストラ王国と結託しない限りは、こちらも動きをその時点で察知できる。だから簡単に奇襲とは行かないはずだ。
「防衛は今はいいとして、うーん、何があるかな……?」
国家として考えると、ちょっとすぐに思いつかない。
ここはやはり身近に、人間一人一人にとって何が重要かで考えた方がいいだろう。
なぜなら、『国家』とは人々の集まりなのだから。
その『人』が生活する上で、『衣食住』は欠かせない。
その一つ、『食』はもう目処が付いた。
『悪魔芋』の仕入れや『タコの食文化の伝播』など、俺が蒔いた種は今まさに実りつつある。
『衣』も、自由交易都市ヴェネトや鉄血ギルドと良好な関係になったため、今は冬物に困らないくらいには服が市場に並んでいる。衣と言っても、結局は金が必要だから、狼皮紙の大量生産とそれに伴う職人の大量雇用で国民の金回りを良くしている。ちゃんと充分な給金を払っているからな。
経済とは血液と同じで、お金が全身の隅々に回らないと意味が無いのだ。(じっちゃんの受け売りの受け売りだけど)
「となると、次は衣食住の『住』――家だな」
正月の餅まきや国勢調査でラドニール王国の一般市民の家を何度も訪れている俺だが、やはり、この国の住居はボロく、小さいという印象を受けた。
対策としては……
・安価な住宅の大量供給
・大工の建築技術の向上
・一般市民の貯蓄率を増やす
こんなところだろうか?
「い、家か。そろそろ私たちも、新居を考えるときかもしれないな」
俺の側に座って編み物をしていたエマが言う。
ピンクの毛糸でたどたどしい編み物などと、初々しい新妻の雰囲気が無きにしもあらずだが、違う。
竜人族にとって、細かい作業はすべて『修行』なのだ。
なにせ、気が短いからな。
今年の餅まきの後くらいからエマは編み物をちょくちょくやるようになったのだが、そのマフラーは手のひらサイズからちっとも進んでいない。「ええい、やってられるか!」と地面に叩きつけては、剣の素振りなど、エマは他のことをやり始めてしまうのだ。
頭領からの言いつけか、俺の護衛としての役割も自覚している彼女は、他に用事が無いときは俺の側にいるのだが、俺がたいてい室内にいるため、剣の素振りばかりやっているわけにはいかない。こちらだって、いつその刃が俺に斬りかかるのかと気が気じゃないからな。
なので、編み物だ。
俺が勧めたわけでは無い。
誰かが勧めたようで「これは良い精神修練になる」とエマが言って始めたものだ。最後はカリカリするから、もっと別なことをした方がいいと思うのだが、彼女も相当な頑固さで、半年経つ今もまだやっている。ぱっつん前髪のこのヘアスタイルも会ったときから一度も変えていない。リリーシュやアンジェリカは時折、髪型を変えてるけども。
「別に家はここで良いだろう」
俺は自分の家について言う。
婚約の件はともかく、住む場所としてラドニール城で俺は不便を感じない。美味しい料理長の料理や、レムと一緒! これが凄ーく大事なポイントである。
「ふむ。やはり、ラドニールの役職があっては、竜人の里に来るつもりは無いようだな」
「まあ、そうだね。ところでエマの末妹の名前と年齢は……」
「では、なぜ家なのだ?」
エマが俺の何度目かの質問を華麗にスルーして問うてくる。竜人族の頭領は三人の姉妹を養子に迎えていると俺は情報を掴んでいるというのに、いつ里に行ってもなぜかいるのはルルだけでその末っ子に会えないのだ! おかしい。
「俺たちの家のことじゃなくて、ラドニールの国民の家のことさ」
肩をすくめ、末妹を諦めて俺は説明した。
「ああ、なるほどな。うむ、感心だ。常に民のことを考えるか」
「まあ、民が強くなってくれなきゃ、国も強くなりようが無いし」
民は国の土台であり、武田信玄曰く『人は城、人は石垣、人は堀』である。
奴隷を大量に集めて、人海戦術みたいな使い捨てのやり方もあるにはあるが、平民出身の(現代教育は受けたからこの世界の基準では少し違うみたいだが)俺としてはそれは採りたくない。
「強くか。強くする必要があるのか?」
少し意外だが、竜人族は日頃から体を鍛えているのに、国を強くする必要性は感じていない様子だ。
「そりゃあるだろう。いつ、攻め込まれるか分かった物じゃ無いし」
狼牙王国との戦なんて、ブランカちゃんが喧嘩でキレたというどうしようも無い理由で始まったからな。そんなもの、たとえ有能な軍師だろうと予測不能だ。
「それはそうだが、ラドニールは今はもはや大国だ。そう簡単には攻められそうに無いぞ」
「ええ? どこが? 前よりは防衛力が上がったかもしれないが、人口はたった三万人だぞ」
「充分な数だ」
エマは違うようだが、人口三万人で大国という感覚は俺には理解しがたい。
やっぱり、メガロポリス、百万人は目指したいよね!
「いやあ、まだまだ」
「まだまだか……分かった。私も婚約者として、ユーヤの目標に添えられるよう、全力を尽くすことにする。あっ! い、いや、こ、子作りは結婚してからだぞ! 馬鹿者!」
「いや、そんな先の話を先走ってされても」
顔を真っ赤にして恥じらっているエマだが、まず結婚云々の前に、俺たちは恋人関係になる必要があると思うんだ。それらしいことは何もやっていない。デートも何も無い。
「ええい、ダメだ、ちょっと外の空気を吸って頭を冷やしてくる!」
照れたエマが勢いよく部屋のドアを開けたが、その向こうで小さな悲鳴があがった。
「ひゃっ」
「ローク、そこで何をしている。用があるならさっさと入れ」
「え、ええ、お二人とも、お取り込み中かなと思いまして……」
「無い無い。何も無いぞ。全然違う」
俺は手を振ってその危うい誤解を解いておく。
「そうでしたか。良かった。では失礼してお邪魔致します」
「私は散歩ついでに、外の偵察をやってくる。ローク、ユーヤが国の人口を増やす方法を探しているようだ。お前も考えておけ」
「はい、分かりました、エマさん。ですが、僕は男なので、ユーヤ様の子供は産めませんね……」
ロークが伏し目で残念そうに言うとエマが一瞬変な顔をした後、「フン!」とひときわ機嫌悪そうに部屋を出ていった。もう個人的な子作りの話は良いから。
「それで、ローク、何か用があったんじゃないのか」
「はい、少し遅くなりましたが、レオンハート帝国、ワイルドベア王国、それにフーゴ諸島、北のグーリム王国の資料をお持ちしました」
「おお、そんなに。大変だったろう。一つずつでも良かったんだが」
「いえ、ある程度、同じ形式でまとめておいた方が、見やすいかと思いまして」
「そうは言っても、グーリムはワイルドベアのさらに北方、大陸の最北端の国だろう。人間も住めない極寒の地だと言うし、ラドニールに関係してくるとは思えないなあ」
「少し余計でしたか」
「ああいや、この世界のことは何でも気になるから、ありがとう、良くまとめてくれた」
「はい、労っていただき、ありがとうございます」
品の良い金髪の美少年が嬉しそうにはにかむが、有能なロークにはもっと重要な仕事を任せたいものだ。とはいえ、ラドニール王国の官吏は数が少なく、官吏ですら文字が読める者が半分くらい!だから、他に任せられる者もいないのが現状だ。
有能な部下がいてくれるのは良いことなんだが、独り占めってのもね。
羽柴秀吉には黒田官兵衛と竹中半兵衛という優秀な部下がいた。
やはり、有能な人間に有能な部下を付けるのが理想的だ。
忙しそうなリリーシュとアンジェリカ、それにエマや魔術師クロフォード先生にも、頼れる部下が欲しいところ。ロークは俺がここに来る前はクロフォード先生のお付きだったと言うし、それなら先生には代わりの部下が必要だろう。
だが、今は、まず家だ。
「じゃ、ローク、家について一緒に考えてくれるか」
「新居についてですか……」
「いや、俺の家じゃなくて、国民のね!」
どいつもこいつも。
だが、国民の家をどうするか、これが結構な難問だった。




