第六話 先客
活版印刷を作ってもらおうと、鉄血ギルド本部に親方を訪ねた俺たちだったが、先客がいた。
どうもその先客が親方を激怒させてしまったようだ。いつもカッカして威勢の良い親方だが、ここまでの怒り方は珍しい。
「仕方ないな。じゃ、また日を改めて。帰るぞ」
「はっ」
ドアが開き、中からフルプレート鎧で武装した黒騎士がぞろぞろと出てきた。
「馬鹿野郎! 来なくていい、おととい来やがれってんだ」
「ちょっとぉ、おとといって、この妾を誰だと思ってるのかしら?」
「よせ、ジェシカ。今は親方に何を言っても無駄だ。話の持っていき方を少し間違えた。オレのミスだ」
「あら、シズマのせいじゃないわ」
シズマ……? どっかで聞いた名前だな?
俺と同い年くらいの男女、ジェシカとシズマだが、この二人は鎧ではなく絹服を着ていた。
「剣士が一人いるぞッ! 高レベル! ミスリルの業物装備! 要警戒!」
二人の護衛をやっているらしい黒騎士団がリリーシュを見つけ、あからさまに警戒してしまった。
「あっと、別に何もしませんけど……」
リリーシュも肩をすくめてその場で両手を上げて見せるが、騎士団もまだ警戒したままだ。
にわかに、緊迫した空気が充満する。
どうしたものか……。
「おい! 何が要警戒だ。そっちの嬢ちゃんはうちの常連客だ。手ぇ出しやがったら、承知しねえぞ!」
親方が後ろから怒鳴って身の証を立ててくれた。
「だそうだ。警戒解除! すみません、お騒がせして」
シズマが苦笑して警戒を解かせたが、どうやらこの少年がこの騎士団のリーダーのようだ。
「いえ」
「行こう」
黒騎士団が出て行く。
「それにしても随分と物々しい警備だったなぁ。ひょっとしてどこかの王族かな?」
ドアが閉まってから俺は言う。するとリリーシュが少し驚いたようだった。
「えっ、気づいてなかったんだ、ユーヤ」
「ん? 君は知ってるのか? 彼らを」
「知ってるわけじゃ無いけど、彼らのサーコートの紋章は見覚えがあるわよ。昨日、あなたに渡してもらった資料なんだけど」
「へえ? あっ、レオンハート帝国か!」
ロークが他国情報として基本事項だけを取り急ぎまとめて、プレビューとして提出してくれたので、それを読んでメモした後でリリーシュにそのまま渡したんだった。
次から騎士はまず最初に紋章を確認するようにしないとな。
星のマークにも見えたが、あれはライオン。たてがみの意匠だったのだ。
「となると、さっきのシズマが噂の婚約者で、あの女の子はジェシカ皇女殿下だったのか……?」
俺は今見たジェシカの顔を思い出そうとしたが、明らかに人間だった。――いや、頭にはバンダナを巻き、耳が隠れていたっけ。ライオン族の男性は顔がまんまライオンだが、女性は耳だけがライオンになるらしい。
「そうでしょうね。思ったよりも若かったけど、変な気は起こさないでね、ユーヤ」
「変な気? どういう意味だ?」
「うん、その反応なら、別に気にしなくて良いわ」
「? まあいいが、それより親方、いったい何を揉めてたんですか?」
「なぁに、連中が腕の良い職人を百人ばかり、帝国の子飼いにしたいなーんて抜かしやがったから、それで揉めたって訳よ。なんのためにオレらがギルドを作ってここに住んでると思ってるんだ。ったくよぅ」
この世界の職人は国の『お抱え』になると、たいていは技術流出を防ぐために、自由な引っ越しなどはできなくなる。国が一生の面倒を見てくれるなら悪い話とも言い切れないが、その保証が無い場合は悲惨だ。劣悪な環境でもずっと閉じ込められたままで奴隷のように働かされるかもしれないのだ。
そりゃ職人同士だけで集まった組織の方が安心できるってもんだろう。
「えっと、何のためなの?」
リリーシュは分からなかったようで俺に小声で聞いてきた。技術流出防止の説明を簡単にしておく。
「なるほど、職人も大変なのね……」
「しかも、今まで作ったことも無いような難しいもんを作らせたいらしいからな」
「やあ、すみませんね、親方には無理を言って」
馬車のサスペンションやキャタピラーを作ってもらった俺としては身につまされる。
「ああ、ユーヤのはいいんだ。こっちもその気になって、キャタピラーはオレが作りたかったんだからよ。そうじゃなくて……連中、何を作らせるつもりなのか、一言も言いやしねえ。それじゃ給金も決まらねえし、だいたい、金の問題じゃねえんだよ、これは。なんつーか……」
「信頼関係の問題ですね」
俺は言い当てる。
「そう! その通りだ。材料費や給金は確かに大事だが、勝手に生産計画だけ向こうで作って納期を今年の秋にしろと言われても、土台無理ってもんよ」
「生産計画と納期もですか。何を作らせたかったんだろう?」
俺は首をひねる。帝国が秋までに必要とする緊急度の高い何か。
「ねえ、それって武器じゃないかしら」
リリーシュが言うが。
「武器? うーん、違うと思うなあ。レオンハート帝国は鉱山をあちこちに持っていて、鋼の技術もある。さっきの黒騎士も良い鎧を身につけてたし、戦車まであるんだから、もう軍備は必要ないだろう」
チャリオットは現代の戦車ではないけれど、この世界では充分な威力があると俺は予想する。なにせ、歩兵より速い車輪の槍兵だ。
レオンハート帝国は百獣の王にふさわしく、大陸中央部では突出した強大国だと資料にはあった。
「でも、さっきの鎧、鉄や鋼じゃなかったわよ?」
「んん? じゃあ、ミスリル?」
「いいえ、ミスリルはほら、こう青く輝くし、それとも違うわ。何というか……とにかく、軽い素材だったわね。さっき彼らはガチャガチャとあまり音を立てなかったでしょう?」
「ああ……言われてみれば」
ラドニールにも少数だがフルプレート鎧の騎士がいる。宝物庫や俺やレムの部屋の門番をしてくれている精鋭だが、彼らは交代の時に動いたりすると結構大きな音がするのだ。それと比べると、さっきの黒騎士達は鎧の音をそれほど立てなかった。
親方も気に入らなかったようで言う。
「アレも見たことのねえ金属だったな。前は連中も鋼だったんだが……まあ、甘い鋳型だ。細かいところの形がピシッ!と行ってなかった。ありゃダメだ。強度も大したことはねえだろう。やっぱり武具は鍛造に限るってもんよ!」
「そうそう!」
リリーシュもすぐに同意したが、ハンマーでカンコン叩いて鍛え上げる真剣と、大量生産の型流し品の模造刀もどきでは、強度も違って当然か。
「それより親方、今日はこれを作ってもらいに来たんですよ。納期は別に急がないのでそちらのできる範囲でいいですけど」
俺は本題を切り出した。
「おう、次は何を持ってきたんだ? 見せてみろ。ほう、これは印だな」
親方もどういう種類の物か図面を見るなり一目で見抜いた。
この世界でも、玉璽が有り、王様の『はんこ』として使われている。
俺も国王陛下から予備を一つ賜り、自由に親書を作って良いことになっている。カルデアへの親書も、あれは結局無駄になってしまったが、そのはんこを押して送った物だ。もちろん、その文面は送る前に国王陛下に確認してもらったけど。
「ああ、なるほど、これなら字を綺麗に書こうと気をつけなくても、ポンポン行けるわね! でも……印を作るのが凄く大変そう」
「まあ、最初はね。でも、文字をワンセット作ってもらえば、後は組み替えるだけでポンポン行ける。大量に印刷、写本も造り放題だッ!」
俺は拳を握りしめて熱く言う。
「面白え! やってやろうじゃねえか!」
ドワーフの血が騒ぐ、と言わんばかりの腕まくりだ。
親方が『はんこ』を固定する型枠もきちんと考えてくれ、活版印刷はどうやら軌道に乗りそうだ。
これで背表紙が綺麗に並ぶ本棚ができあがる! 資料が充実して探しやすくなる!
グッバイ、荒くれ者のジャック!
一年後、ジャック=ボーアの日記シリーズが活版印刷の大ベストセラーとして巷にあふれかえり、そのあおりで資料の写本がかえって滞るのだが、今の俺はまだ何も知らない――。